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ルルイエ異本
①
シュリ目掛けて打ち込むリスノー伯が、再度目に見えぬ何かに弾かれて、後ろへと後退する。
シュリが、変わらず右腕を上げたままで、微動だにせず、じっと前を見据えていた。
否。
何か、言の葉を唇にのせている。
この場にいる誰もが、聞き覚えの無い言葉。
それは、音の様にも聞こえ、歌の様に響く。
歌の様な言葉は、次第にはっきりとした音となり、人の心の琴線に触れる様に、ゆっくりと辺りに満ちてゆく。
さすがのリスノー伯でさえ、攻撃するのを躊躇する程の声。
それが、魔術師の使う言の葉なのだと言う事を、誰も知らない。
知らなくて当然か。
シュリは、この世界に現存する、最後の魔術師なのだから。
そして、この不思議な言葉は、彼が魔術師なのだと言う事を、そこにいる全ての人々にしらしめた。
シュリの声が、周囲の状況を変える。
何処からか風が吹き込み、大理石のホールに、微かに塩の香りが漂う。
「深く蒼き海の底、眠りに落ちしルルイエの、都に眠る魔道の書。我が身に還り、我が声に応えよ。我、汝を召喚す。魔道書、ルルイエ異本!」
この言葉だけは、周囲の者にも聞き取れた。
だが、意味がよくわからない。
ルルイエの都とは。
ルルイエ異本とは。
シュリは、何を呼び出したのか。
何処から吹き込むのか、ますます潮風が強くなる。
竜巻と言っても過言では無い風が、シュリを中心に、外に向かって渦巻く。
それは、暫くシュリの回りを渦巻いていたかと思うと、突然動きを変え、彼の手の平から、上空へと、速度を上げて立ち登っって行った。
その強い風と共に、虚空に顕現したのは、一冊の大きくて分厚い本。
その姿は巨大で、装丁は不気味だ。
何故かと言うと、その魔道書の装丁は、人の皮を使用して、できている物。
そしてその表(おもて)には、人の顔が張り付いていた。
宙に浮く魔道書と、それを眉一つ動かさず凝視するシュリ。
そんな異常な状況で、回りがざわつくのは無理もない。
痛い程の人々の眼差し。
驚愕におののく人々の声と、視線に晒される中で、ルルイエの書は、シュリの手の平の上まで降りて来ると、彼の前に顔を向け、ゆっくりとした動作で、閉じていた目を開いた。
目を開けた本は、シュリより若干年上程度の男。
そいつが開口一番にいった台詞が、
「久方ぶりにまみえる。我等が黄衣の王にして風の神ハスター」
と言う言葉。
それを聞いた途端に、シュリはあからさまに嫌そうな顔をしてみせる。
「俺は、ハスターでは無いと、何度言えは解る」
「間違ってなぞおらぬ。確かに器は違うが、その身に宿る魂は不変。かわりなきもの。ハスター様に相違ない」
溜め息を付いて肩を竦めるシュリと、文字通り頑固一徹を貫き通す男。
ルルイエ異本と交わすこの会話は、シュリとの間で幾度となく、交わされ続けてきた。
だが、いつも平行線をたどり、何の変哲もない。
「つったく…… 。挨拶なんぞどうでもいい。そんな事より、お前の力をかせ」
「うむ。それはもとより承知している。我は召喚の書。何を喚びたい?」
ルルイエの言葉に、少し考え倦ねるシュリは、自分の思考を率直に、ルルイエに投げ付けた。
「なんでも……と言いたい所だが、とんでもない者を呼び出されたんじゃ後が面倒だ。奴に少し、脅しをかけたいだけ、なんだがな……」
「ならば、ハスター様の僕、ではどうだ?」
「いや……あれはこの場にふさわしくない……混乱を招くだけだ。だから本の角を貸せ」
本気なのか冗談なのか、シュリの言葉に眉根を寄せて複雑そうな表情をするルルイエ。
「この、ルルイエ異本をわざわざ呼び出して、やる事と言ったら本の角でぶったたくですか………… あぁ、お労わしや…………シクシクシク…… 」
此処にも居たか、大根役者。
眉をしかめるシュリの横から、漸く正気に返ったリスノー伯の、怒鳴る声が辺りに轟いた。
「何をクダクダと言っている! 人を散々馬鹿にしおって! お前達、まとめて叩き切ってやる!」
確実かつ完全に、当初の目的を見失ったリスノー伯。
シュリは肩を竦め、ルルイエは深い溜め息を吐いた。
「ハスター様。あれは馬鹿か? 馬鹿なのですか? 」
ルルイエの言葉に、シュリが苦笑いをしてみせる。
「シュリと呼べ。確かにアイツは馬鹿だ」
彼らの、決して大きくはない呟きも、地獄耳のリスノー伯には筒抜けで、伯爵はキリキリと金切り声をあげ、理解しがたい言葉を喚き散らす。
「下品極まりない男だな。あれは。ハスター様に向かって、あのような暴言を吐くとは……」
「だから……俺は」
ルルイエの言葉に、意を唱えようとしたシュリの言葉が、ピタリと止まった。
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