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新たなる影
④
正面を凝視していたシュリがちらりと目線をイシスに落とし、ホッと安堵の息を付く。
「イシス。立てるか?」
「はい。シュリさま、ごめんなさい」
「何故、謝る」
「私がうかつだった為に、シュリさまにご迷惑をおかけしました……」
シュリは、イシスを降ろすと、クシャリと彼女の頭を撫でる。
「その台詞、全て返す。迷惑なんてしてないさ」
「どちらかというと、シュリが迷惑かけてんだよねぇ」
わざとらしいくらいの、漣の大きな溜め息。
イシスは、そこで初めてシュリの隣に、人が居る事に気が付いた。
「……どちらさまでしょう?」
シュリに聞くのが早いと判断したイシスは、小首を傾げてシュリを見た。
「気にするな。いないと思え」
シニカルな笑みを唇の端に湛え、漣を一瞥してイシスの問いに答えるシュリは、相変わらず漣に対して辛辣だった。
「もー、酷いなぁ。これでもお前の父親なんだけど……」
「ふん。逸れがどうした。戯れ事は、止めだ。奴が来るぞ」
バシッと言う、何かが弾けた音とともに、大きく太い触手の様なものが、シュリ達の目の前で透明な壁に弾かれた。
「言われなくても承知してるよ。ね、万全」
どことなしか、胸を張って自慢している様に聞こえる漣の声。
嫌、これは完全にドヤ顔。
その証拠に、触手を弾き返したのは、漣の力だった。
イシスの腰を右腕で引き寄せて、抱き留めていたシュリの腕が、彼女を隣にいた漣に預け渡す。
スマートに行われた二人の動作に、イシスは、仲が悪く思っていた二人の関係が、その実悪くない事に気付いた。
そうこの親子、普段は辛辣に言い合ってはいるが、実の所はそうでも無いのだ。
馬が合うとでも言うか。
気が合うと言うか。
「親父、イシスを頼む。くれぐれも怪我させない様にな」
「りょーかいっ! 心おきなくやっちゃって! 」
「はー。やっぱり高見の見物な訳ね」
漣の発言に、シュリは深く深く溜め息を付くと、一歩前に踏み出した。
「ロイ。こい」
シュリに言われるまま、ロイが前方に飛び出す。
「おいらは何時でも良いよ。シュリ」
「よし。お互い覚悟を決めるか」
シュリが、男と改めて対峙する。
男がニタリと笑った。
「話し合いは済んだようですね。貴方の事は腕の一本や二本無くても良いと命令が出ています。貴方を追い戻してから、ゆっくりと彼女を頂きましょうか……」
赤い蛇の様な舌が、彼自身の唇をチロリと嘗める。
両肩がダランと垂れ下がり、その先は何本もの触手でうごめいていた。
「外聞もへったくれも無いな。お前。少しは取り繕ったらどうだ?」
嫌なものでも見たように眉を潜めるシュリに、男は平然と言い放つ。
「貴方の連れが壊したのですよ。気に入っていましたのに、この器」
「憐れだな。お前に身体を取られるとは……」
シュリは気付いているのだろうか。
男の身体が、リスノー伯の成れの果てだと言う事を。
「その姿で私とやり合う気ですか? ハスター様」
「まさか。流石にそこまでマヌケじゃない」
「なら、お待ちしましょう。私は昔から貴方が嫌いだったんですよ。そんな経緯が有りますんで、同等レベルで戦わないと、寝覚めが悪くなりますからね。だから貴方自身になられるまでじっくりお待ちしますよ」
いつにもまして、饒舌になる男に対して、シュリも邪悪と思える微笑を湛え、男に応じる。
「そりゃ偶然だな。『私』もお前が嫌いでね。ナイアルラトホテップ」
シュリが、左腕を上げる。
「ルルイエ!」
呼ばれた瞬間、彼の手にはルルイエが握られる。
瞬間異動。
魔術書には、この様な芸当は朝飯前。
シュリは、無機質な声音を、人間的な声に装う事も無く、ルルイエに命じる。
「召喚。我が僕、『バイアグヘー』」
「承知。風の神ハスターの僕バイアグヘー召喚」
ルルイエも、先程とは違い、機械的に言葉を紡ぐ。
ルルイエ自身が、シュリの手の上でパラパラと頁を開き止まる。
そして、呪文の永昌を始めた。
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