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獣人ファルク
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自分がこんなに誘惑に弱いとは知らなかった。女性に誘われた経験は数え切れないほどあるし、失礼のないよう、やんわりと断るくらいの頭はあるつもりだ。なのに俺の中からアルミナの求めを断る言葉は消え去っていた。
「好きよ」
決定的な一言がアルミナから送られる。
「俺をよく知らないのに?」
身体の奥底から湧き上がる歓喜を閉じ込め、この事態をなかったことにしようとしていた。よく知らないのは俺のほうだった。俺は生身の彼女に会ったことすらないのだ。俺の感情が間違っているはずだ。
「ある程度は知ってるわ」
「なら、アルミナはほかの人も好きになれるよ」
「ほかの人を好きになる可能性が少しでもあったら好きと言っちゃいけないの?それって悪魔の証明ね」
目尻の上がった魅惑的な緑の瞳が俺を見上げる。彼女こそ悪魔のように美しかった。
「俺は狼の獣人だから、本気になったら生涯ひとりだけだ」
「それがベリンダ?」
「違う。ずっと、何か違うと思ってた」
うっすらと好きではあったが、何と言ってもベリンダが俺をそのような対象に見なかった。だから家族愛であるとして、ベリンダが望む姉と弟の関係を築き上げた。互いに惹かれ合うのが運命の番だと教えられて育ったから、違うとわかっていた。
そして、目の前にいるアルミナは俺を好きだと言ってくれて、俺も同じ気持ちだった。彼女こそ心から求めていた存在だ。こんな馬鹿なことがあってたまるか、と女神に文句を言いたい。
まずアルミナを正常な状態に戻さなければ、俺は本当に彼女を好きかどうかわからない。自信を持って言えないのだ。
それとも女神は、肉体に魂を入れ間違えたのだろうか?
「じゃあ今は?私を好き?」
悩み苦しむ俺に慈悲を施すかのように、彼女は俺の頬をそうっと撫でる。手のひらから微かに香るアルミナ独自の匂いが、直接的に心を愛撫した。
流されてしまいそうになるが、これではあまりに利己的すぎる。ベリンダには返せないほどの恩があるのだ。ベリンダを優先しなければ、人でなしになってしまいそうだった。
このままアルミナと結ばれて、二度とアストエダム国に帰らないという考えを消去しなければいけない。
「ねえ、私が女神様から授けられた言葉、教えてあげる」
「え?」
「幼かった私に、女神様が言ったの。思うがままに生きなさいって。だから、私はこれが正しい道だと思うわ」
自然の流れで、俺はアルミナに口づけしそうになった。滝から水が流れ落ちるようなもので、瑞々しい唇に吸い寄せられる。それが普通のことだという気がしたが、あとひと息のところで俺は動きを止める。
俺は昨夜まで、口づけの経験などなかったじゃないか。こんなの普通じゃない。
「アルミナ。昨夜みたいことはもうしない。頼むから、神聖力で俺の理性を吹っ飛ばすのはやめてくれ」
「……ファルク」
いつの間にかアルミナによって気持ちを操られていたようだ。アルミナが目を逸らすので、説得するように彼女の両肩に手を置いた。
「これはベリンダの身体だ」
「ごめんなさい、何だか苦しそうだったから……」
「でも、良くないことだ」
「一応、ベリンダは妊娠さえしなければそういうことをしてもいいって言ってくれたわ」
「俺は、本当のアルミナなら触れたいと思う。今のままじゃ嫌だ」
ただでさえ蠱惑的な緑の瞳を潤ませ、アルミナは切ない表情を浮かべた。
「それは1年後になるし、そうなったら護衛がそんなことさせない。それに本当の私の胸なんてぺたんこだし……」
本当のアルミナは細い体型なのか、とつい目の前の豊かな胸元に視線が行ってしまう。
「あっ!やっぱりこの大きな胸がいいんでしょ?!いつもチラチラ見てるもの!」
アルミナは敏感に目の動きを察し、過剰な反応をした。
「ち、違う。獣人だから動くものに本能で目がいくだけだ!」
「本当に?この身体に興味ない男の人なんていないでしょう、あのシュナイダー卿でも見てたのに」
「その人のことは知らないけど、俺はベリンダと3年同居してて何もなかったんだ、とにかく深い意味はない」
「……まあ、私でも大きな胸の人がいたら見ちゃうわね」
「そうだろ?それはともかく」
話が逸れてしまったので、俺は咳払いをする。丁度良く、色っぽい雰囲気もどこかへ行ってくれた。
「アルミナを聖女の役目から解放できるよう、これから1年かけて考えよう」
俺が王族として復位できるのなら、かなりの権力と財力を持てるようになる。ヴァントデン国からアストエダム国に魔物討伐のための支援軍を送るという案だって、可能性はあるのだ。
問題は聖女に任せるよりも大幅に予算がかかってしまうことだ。アストエダム国が払ってくれはしないだろう。そして次の聖女はまだいない。
「それは無理よ。入れ替わりを解消したら、私はまた聖女の旅に戻るだけ。だから……」
誰よりも事情を理解しているアルミナが俺の胸に手を添えた。
「アルミナ、それはだめだ」
「……っ」
神聖力を悪用することには流石に葛藤があるらしく、ただ触れるだけで何もしてこなかった。代わりにアルミナは哀れっぽく呟いた。
「じゃあ、今夜くらい、せめて添い寝して……」
「……わかった」
普通、逆じゃないか?と思わずにはいられない会話だ。アルミナは何か焦っているかのように積極的で、俺はいなしきれない。
お互いに寝る用意をすっかり済ませていたので、ランプを消し、部屋履きを脱いでベッドにもぐり込む。その僅かな時間に、我慢することが必ずしも正しい行動なのかという疑問が生じる。
「好きよ」
決定的な一言がアルミナから送られる。
「俺をよく知らないのに?」
身体の奥底から湧き上がる歓喜を閉じ込め、この事態をなかったことにしようとしていた。よく知らないのは俺のほうだった。俺は生身の彼女に会ったことすらないのだ。俺の感情が間違っているはずだ。
「ある程度は知ってるわ」
「なら、アルミナはほかの人も好きになれるよ」
「ほかの人を好きになる可能性が少しでもあったら好きと言っちゃいけないの?それって悪魔の証明ね」
目尻の上がった魅惑的な緑の瞳が俺を見上げる。彼女こそ悪魔のように美しかった。
「俺は狼の獣人だから、本気になったら生涯ひとりだけだ」
「それがベリンダ?」
「違う。ずっと、何か違うと思ってた」
うっすらと好きではあったが、何と言ってもベリンダが俺をそのような対象に見なかった。だから家族愛であるとして、ベリンダが望む姉と弟の関係を築き上げた。互いに惹かれ合うのが運命の番だと教えられて育ったから、違うとわかっていた。
そして、目の前にいるアルミナは俺を好きだと言ってくれて、俺も同じ気持ちだった。彼女こそ心から求めていた存在だ。こんな馬鹿なことがあってたまるか、と女神に文句を言いたい。
まずアルミナを正常な状態に戻さなければ、俺は本当に彼女を好きかどうかわからない。自信を持って言えないのだ。
それとも女神は、肉体に魂を入れ間違えたのだろうか?
「じゃあ今は?私を好き?」
悩み苦しむ俺に慈悲を施すかのように、彼女は俺の頬をそうっと撫でる。手のひらから微かに香るアルミナ独自の匂いが、直接的に心を愛撫した。
流されてしまいそうになるが、これではあまりに利己的すぎる。ベリンダには返せないほどの恩があるのだ。ベリンダを優先しなければ、人でなしになってしまいそうだった。
このままアルミナと結ばれて、二度とアストエダム国に帰らないという考えを消去しなければいけない。
「ねえ、私が女神様から授けられた言葉、教えてあげる」
「え?」
「幼かった私に、女神様が言ったの。思うがままに生きなさいって。だから、私はこれが正しい道だと思うわ」
自然の流れで、俺はアルミナに口づけしそうになった。滝から水が流れ落ちるようなもので、瑞々しい唇に吸い寄せられる。それが普通のことだという気がしたが、あとひと息のところで俺は動きを止める。
俺は昨夜まで、口づけの経験などなかったじゃないか。こんなの普通じゃない。
「アルミナ。昨夜みたいことはもうしない。頼むから、神聖力で俺の理性を吹っ飛ばすのはやめてくれ」
「……ファルク」
いつの間にかアルミナによって気持ちを操られていたようだ。アルミナが目を逸らすので、説得するように彼女の両肩に手を置いた。
「これはベリンダの身体だ」
「ごめんなさい、何だか苦しそうだったから……」
「でも、良くないことだ」
「一応、ベリンダは妊娠さえしなければそういうことをしてもいいって言ってくれたわ」
「俺は、本当のアルミナなら触れたいと思う。今のままじゃ嫌だ」
ただでさえ蠱惑的な緑の瞳を潤ませ、アルミナは切ない表情を浮かべた。
「それは1年後になるし、そうなったら護衛がそんなことさせない。それに本当の私の胸なんてぺたんこだし……」
本当のアルミナは細い体型なのか、とつい目の前の豊かな胸元に視線が行ってしまう。
「あっ!やっぱりこの大きな胸がいいんでしょ?!いつもチラチラ見てるもの!」
アルミナは敏感に目の動きを察し、過剰な反応をした。
「ち、違う。獣人だから動くものに本能で目がいくだけだ!」
「本当に?この身体に興味ない男の人なんていないでしょう、あのシュナイダー卿でも見てたのに」
「その人のことは知らないけど、俺はベリンダと3年同居してて何もなかったんだ、とにかく深い意味はない」
「……まあ、私でも大きな胸の人がいたら見ちゃうわね」
「そうだろ?それはともかく」
話が逸れてしまったので、俺は咳払いをする。丁度良く、色っぽい雰囲気もどこかへ行ってくれた。
「アルミナを聖女の役目から解放できるよう、これから1年かけて考えよう」
俺が王族として復位できるのなら、かなりの権力と財力を持てるようになる。ヴァントデン国からアストエダム国に魔物討伐のための支援軍を送るという案だって、可能性はあるのだ。
問題は聖女に任せるよりも大幅に予算がかかってしまうことだ。アストエダム国が払ってくれはしないだろう。そして次の聖女はまだいない。
「それは無理よ。入れ替わりを解消したら、私はまた聖女の旅に戻るだけ。だから……」
誰よりも事情を理解しているアルミナが俺の胸に手を添えた。
「アルミナ、それはだめだ」
「……っ」
神聖力を悪用することには流石に葛藤があるらしく、ただ触れるだけで何もしてこなかった。代わりにアルミナは哀れっぽく呟いた。
「じゃあ、今夜くらい、せめて添い寝して……」
「……わかった」
普通、逆じゃないか?と思わずにはいられない会話だ。アルミナは何か焦っているかのように積極的で、俺はいなしきれない。
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