イケオジ王様の頭上の猫耳が私にだけ見えている

植野あい

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1巻

1-3

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   晩餐ばんさん


 控室の中では、マディウスのほかに二人の男性がくつろいで何事かを話していた。彼らの年齢は五十代ほどで、それなりの職位の人たちだろうとリュミアは推しはかる。テーブルに置かれたワインや、火のついた葉巻の匂いが父を思い出させた。

「リュミア王女は晩餐ばんさん用の装いも美しいな」

 マディウスは長椅子から立ち上がり、さりげなくリュミアの手を取った。大きくて温かく、すこしだけかさついた感触だった。
 国王であるマディウスに話しかけられたことで、リュミアは見知らぬ彼らにどう挨拶するべきかという問題から解放された。相変わらずの心配りにリュミアはひっそりと感嘆した。

「お褒めにあずかり光栄です。陛下。たくさんのドレスをご用意くださって、選びきれないほどでした」
「よく似合っている。実は、昼に会ったときには驚いていた。あなたがあまりに美しくて、言いそびれてしまったな」

 面映ゆい気持ちでリュミアは待望の褒め言葉を受け取った。社交辞令かもしれないが、彼に言われると頬が熱くなる。

「身に余るお言葉ですわ。陛下こそ、私にはもったいないほど素敵なお方と存じます」

 先刻は猫耳に気を取られていたが、マディウスはどの角度から見ても恰好かっこうよく、何を着ても見栄えがした。今は銀色のアカンサス模様が浮かぶ黒いジュストコールを着ていて、それが広い肩や分厚い胸板を引き立てていた。

(だけど……)

 薄目でそうっとマディウスを見上げる。青みのある銀髪からニョキリと生えた三角の耳は、変わらずそこにあった。休憩をしたのに、鮮烈に見えていた。彼の髪や色白の肌と完璧にそろった色合いであり、シャンデリアの光を受けた陰影も見事だ。

(壊滅的に絵が下手だった私が、想像でこんなに上手うまく描けるはずがないのよ)

 リュミアは美的感覚を養うため、幼い頃には絵画を習った。キャンバスのすぐ近くに果物や花を置いて必死に描いたが、対象を観察するほど全体がゆがみ、膨らみ、おかしくなる。教えてくれた画家は難しい顔をするばかりだった。

(やっぱり彼は獣人で、どうしてか私だけに見えているんじゃないかしら)

 彼のかもし出す威厳や包容力が、愛らしい猫耳の存在によって『かわいい』になってしまう。
 それでいい、とリュミアは結論づけてしまった。
 リュミアが熱心に見つめる理由を知らず、マディウスは猫耳をプルッとさせる。

「ありがとう。私たちは良い夫婦になれそうだ。ヴァンサンとユリエルもそう思うだろう?」

 名を呼ばれた彼らは既に立ち上がっていて、胸に手を当て丁寧に礼をする。

「全くその通りです、美しいリュミア王女殿下と陛下に、誰しもが憧れるでしょう」
「ええ、両国の友好は揺るぎないものとなるでしょう」

 穏やかな笑みを添えられたので、リュミアは彼らに笑みを返した。

「紹介しよう、宰相のヴァンサン・ブノワと外務大臣のユリエル・シラクだ」
「お初にお目にかかります。セヴィッツ王女リュミア・クラウゼ・ガルトリンです」
「もちろん存じ上げていますとも」
「これからよろしくお願いいたします」

 マディウスの誘導により挨拶はつつがなく済み、場は一気に和やかになった。

(マディウス陛下は紳士よね。何事も慣れている感じがするわ)

 軽く重ねただけの手のひらが徐々に熱くなり始める。彼の体温が高いのか、それともリュミア自身のせいなのかわからないが、汗が出ないように願った。

「陛下、そろそろ……」

 マディウスの右後ろから侍従の呼びかけがあり、彼の猫耳の右側だけが器用にくるっと動いた。侍従が何事かを報告している。

「ああ、わかった。移動しないとな」

 くっと手を引かれ、マディウスの金色の瞳と真正面から視線がぶつかる。目尻にしわを浮かべて微笑ほほえまれ、リュミアもつられて笑った。


 マディウスにエスコートされて入場したホールでは、丸くくり抜かれた天井から吊るされる巨大シャンデリアが輝いていた。
 壁にはセヴィッツ国一行の到着を歓迎するための国旗が立てられ、向かいの壁にはサンティリアの国旗がある。
 真っ白なクロスが敷かれた長いテーブルの最奥に国王マディウスが着席し、その右斜め横がリュミアの席だった。リュミアの横にセヴィッツの外務大臣や補佐官が続き、対面にはサンティリアの宰相や大臣がずらずらと並んだ。また、マディウスの兄のアルベール公爵とその夫人、ひとり息子のパスカルも列席している。
 マディウスが直々に紹介してくれるが、リュミアは挨拶をしながら緊張しきりだった。

(この方たちが陛下の兄とおいなのね。あまり似ていないし、猫耳もないわ)

 アルベール公爵の髪は黒く、瞳も暗い青灰色だった。

「なるほど、これがガルトリン家の最高傑作ですか」

 彼から好意的とは受け取れない値踏みするような視線を向けられ、リュミアはそっと息を吐く。

「確かに美しい。なあ、パスカル」
「本当に。特に唇が美しい。咲きたての薔薇ばらのようです」

 アルベール公爵の言葉に、うんうんと何度もうなずくのは、彼にとてもよく似た息子パスカルだ。彼は二十歳の青年であり、リュミアと年齢が近い。そのため同盟交渉中にはパスカルと結婚する可能性も示唆されていたリュミアだが、彼の失礼な発言にたじろいだ。

(唇について言及するのはこちらでも性的な意味よね……どうして)

 わざと失礼な物言いをしたのか何も考えていないのか、パスカルの意図がわからないリュミアは、僅かに首をかしげ、曖昧あいまいに笑むことしかできなかった。

「パスカルは一日も早く相手を見つけて婚約することだな。もう私に遠慮する必要がなくなったのだから」

 助けてくれたマディウスを見れば、猫耳は不機嫌そうな後ろ向きとなっていた。

「陛下が縁談を私に譲ってくださればよかったのに、残念です」

 非礼な発言を重ねるパスカルは、リュミアに無遠慮な視線を向け続けている。注意されたことを理解していないのかもしれない。

(私も出来が悪いと言われてきたし、パスカル様のことを悪く思うのはよくないけれど)

 僅かな沈黙を埋めるように、給仕によってグラスにワインが注がれた。

「こちらのグラスは大変美しいですね。とても薄くて透明なのに、エナメル装飾が見事です」

 リュミアも話題を変えようと明るい声を出した。サンティリア産のガラス製品は、商人によってセヴィッツの王宮にも持ち込まれていた。自国にはない高い技術力を見て、ユージェス二世は激しい焦燥をにじませていた。しかも今テーブルの上にあるものは、王宮の晩餐ばんさん会に出されるだけあって、以前見たものよりはるかに精緻な意匠が施されている。

「ああ、ガラス工芸は国策として振興している。特にこのグラスは技術流出を防ぐために持ち出し不可としていたが、同盟締結のあかつきにはセヴィッツにも輸出を開始する予定だ」

 マディウスが応じるように、長い説明を始めた。

「技術というものは、ひとりの天才によって革新的に進むことがある。いくつもの国を併合したからこそ、人口が多くなって千人にひとりの天才を見つけやすくなった。また、ガラスの原料の得やすさはその土地の地質によるのだが、国土が広くなれば困ることはない」
「このグラスは、陛下の偉業の象徴ですね」

 リュミアはお世辞でもなく、うっとりとグラスを眺めた。

「フフッ、セヴィッツの王女は今までどのようなグラスを使っていたものやら」
「私はすっかり見慣れていますけど、お若い方は何事も新鮮に驚くことができて、羨ましいくらいですわ」

 折角よい雰囲気になりかけたが、鼻で笑うアルベール公爵と夫人によってまた台無しになる。
 パスカルも悪意があるのかないのか、両親を見てにやにやと口元を緩ませた。

「見慣れるのは構わないが、あなた方が国に対して貢献したものが何かあったのか?」

 マディウスは柔らかな微笑ほほえみと口調を維持しながらも、猫耳が盛大に後ろ向きだ。リュミアは彼が怒っていると認識した。

(アルベール公爵家の方たちとは敵対しているようね。気をつけなくちゃ)

 ようやく全員のグラスにワインが行き渡ると、両国の友好を願って乾杯をし、晩餐ばんさんが始まった。
 酔って変なことを口走るわけにいかないリュミアは、マディウスの愛らしい耳を見ながらほんの少しだけワインを口にした。
 会が始まれば、会話は宰相や外務大臣、そして王であるマディウスが中心となり、アルベール公爵一家は黙ってしまった。国政に関わっていないのだろう。
 前菜の前の小さな前菜が終わると、次の皿が運ばれてきた。
 色鮮やかな素材をガーデンに見立て、絵画のように皿に盛ったものだ。使われているサーモンは両国を分かつロジアーヌ川で捕れるため、どちらの国でもよく食べる。ただし、漁のたびに川の東と西で争いが起こっていた。そんな問題も今後は起きなくなるのだから、何より今夜の晩餐ばんさんにふさわしい食材と言えた。
 ただ、配膳された皿を前にしてマディウスの耳がまた後ろ向きとなる。

(何ごと? 怒っているの?)

 誰も気づいた様子はない。話題は同盟締結後、首都に隣接する川に架ける橋のこととなっていて、希望のある明るい話題だ。もしかすると嫌いな食べ物なのかとリュミアは心配するが、マディウスの表情や会話に変化はなかった。

「――両国の行き来がより活発となれば、また新しい文化も生まれるだろう」
「はは、陛下のおっしゃる通りですな」

 宰相の追従ついしょうの合間に、マディウスはナイフとフォークを巧みに操って皿の中身を口に運ぶ。
 今までとは違い、全くまずにみ込んでしまった薄切りの野菜が何であるか、リュミアは見逃さなかった。

(今食べたのは玉ねぎ! そういえば陛下は玉ねぎを食べて大丈夫なのかしら?)

 リュミアは猫が食べてはいけないものを熟知している。レオポルトを飼育するときには詳しい人を招き、玉ねぎ、チョコレート、ブドウは猫にとって毒だと教えてもらった。猫の獣人が同様かは不明だが、マディウスの挙動を仔細しさい漏らさず目撃していた以上、気になってならない。

「恐れ入りますが、陛下」

 外務大臣が同盟交渉中の小話を始め、その隙をリュミアは狙った。

「どうかしたのか、リュミア王女。気になることがあるなら何でも聞いてくれ」

 なるべく小声で話しかけたというのに、リュミアとマディウスの会話には全員が注目した。
 彼は金色の瞳をかすかに細め、三角の耳を元に戻しピンと立てている。

(あれ? よく考えたらお酒も猫ちゃんはダメよね。でも平気そう……)

 彼はどうやらワインは好むようで、給仕が何度もぎ足していた。
 そもそもマディウスが獣人という事実も、本当はまだ定かではなかった。リュミアは一気に顔を赤くする。

「何でもありません、失礼いたしました」
「そうか。未来のきさきの質問は、いずれ近いうちに聞かせてもらおう」

 マディウスがさらりと流してくれるので、一同の会話はまた再開した。

(陛下ともっと話してみたいわ。お耳のこともそうだけれど、それ以外のことも)

 ふたりの間の会話こそ少ないが、すぐ近くで食事をしているうちにリュミアは心の距離も近づけたように思った。シャンデリアの明かりに照らされ、なお美しく見える銀髪から覗く、猫の耳。それに触れてみたい、とリュミアはため息を吐いた。

(触ったらフワフワですごく気持ち良さそう)

 もちろん、国王の頭にはそう気軽に触れられない。リュミアは結婚式とその後に待ち受ける初夜が待ちきれなかった。



   マディウスの秘密


 晩餐ばんさん会が無事に終わると、マディウスは執務室に戻り、書類を片付けながらニコラを待った。
 リュミアの専属騎士として見知った事柄について、一日の終わりに詳細な報告を受ける予定になっている。

(リュミア王女はずっと緊張していたな)

 公式の場に慣れているはずの王女といえども、外国から来たばかりの晩餐ばんさん会でくつろげるはずがない。姿勢を正して微笑ほほえみを浮かべ、健気けなげに周囲に合わせようとする姿に、改めて大変な役目を押し付けてしまったとマディウスは罪悪感を覚えた。
 ただ、その中でも自分に向けられる瞳には、過分なほど好意が含まれていた。
 そもそも苦境に追い込んだのはマディウスだというのに、彼女が会話に困っているところを助ければ、きらきらと瞳を輝かせる。
 それは初対面のときから明らかだった。
 挨拶のために頭を下げていたリュミアが顔を上げ、互いの目が合った瞬間。それまで彼女の声は緊張と恐怖に揺れていたというのに、まばたきの間に感情を変えた。吸い込まれそうな青い瞳は潤み、小さな唇は微笑をたたえた。演技とは到底思えない豹変ひょうへんぶりだった。
 一目惚ひとめぼれされることはよくあったが、マディウスは今までで最も複雑な心境になった。
 リュミアの眼差まなざしに、どこか懐かしさを感じてしまったからだ。たとえていうなら、かつての小さな自分に向けられたものに似ていた。

(ありえないだろう。私が子どもの頃、彼女はまだ生まれてもいない)

 マディウスはため息を吐き、ペンを置く。うれしいと思ってしまいそうな自分に嫌気が差した。

上手うまくいきすぎている。何かおかしい)

 間もなく結婚する相手なのだから、本来は好き合って問題ない。だがマディウスは、リュミアに心を許すわけにはいかなかった。
 頭に手をやり、柔らかな毛に覆われた猫の耳を押し潰す。この秘密を、リュミアに教える気はなかった。結婚した後も、生涯にわたって隠し通さなければならないのだ。


 マディウスは、自身が獣人であるという罪の意識にさいなまれていた。そのためにあらゆる縁談を避けてきた。
 そんなマディウスの元に、リュミアとの縁談が転がり込んできたのはおよそ二年前のことだった。王女を差し出すので、ぜひ同盟を結んで欲しいとセヴィッツ国王、ユージェス二世の書簡を持った使者がやって来た。彼らは聖職者の伝手つてを用い、本物であると証明した。
 丁度、武器開発の部門が大砲の飛距離を伸ばすことに成功した頃だ。セヴィッツに攻め込むつもりはなかったが、強固な防衛線を持つセヴィッツがすり寄ってきたことに、マディウスは満足した。
 宰相や大臣らもこれは、と喜色を隠さなかった。
 同盟は国益にかなう話だが、それ以上に彼らはマディウスを結婚させたがっていたのだ。後継者としては一応おいがいるものの、彼は不適格なのではと懸念されていた。
 マディウス個人の感情としては結婚を恐れていたが、王としては断る理由が見当たらなかった。


 同盟に関しては前向きに、政略結婚は検討の余地ありと返答を持たせ、マディウスは使者を返した。
 セヴィッツ側が差し出そうとするリュミア王女に問題がないかどうか、調べる名目で時間稼ぎをしたのだった。マディウスは直属の諜報ちょうほう部隊のほかに、同胞である黒猫にまで依頼し、密偵としてセヴィッツに送り込んだ。


 だが、マディウスの思惑とは裏腹にサンティリア社交界にあるうわさが立ち始めた。
 リュミア王女はガルトリン王家の最高傑作、珠玉しゅぎょくの美貌というものだ。
 不自然すぎて情報工作であることは明らかではあったが、マディウスはユージェス二世の政治的手腕に感心せざるを得なかった。周囲はますます色めきたち、マディウスに決断を迫った。
 美しい王女、というのはどうしてか人々の口の端に上り、民意を高揚させる。
 マディウス個人としては、人の顔のつくりにこだわりはない。ただひとつ、健康でさえあれば構わなかったのだが、そのうたい文句に昔の約束を思い出し、古傷がじくりとうずいた。ここで決めなければならないような予感がした。
 だが、それだけで顔も知らない、若い王女との結婚を決めていいのだろうかと罪の意識も覚えた。王女を物のように扱う政略結婚への抵抗感を言い訳に、結論は後回しとなった。


 やがて送り出した諜報ちょうほう部隊が一部帰還して、リュミア王女の詳細を知った。
 美貌についてはうわさのとおりであり、何よりも重要である健康状態に問題はない。
 幼少期は活発だったが今は落ち着き、父母の言いつけによく従っている。難があるとすれば、教養関係。決して悪くはないが、良くもない。そのためなのか、同盟交渉が始まって以降は自室に軟禁状態となり、ひたすら決定を待っている状態だという。


 まだ迷っていると、追うように同胞からの報告書が届いた。それは各地の仲間を経由して、小さく折られた文の状態で届けられた。マディウスが謎の緊張に胸を高鳴らせて紙を開くと、実にふざけた内容だった。

『俺はリュミアに毎日かわいがられて最高。幸せすぎて連絡が遅れた。もうしばらくこのまま暮らしたいから結婚はできるだけ引き延ばせ』

 マディウスは読んだ瞬間、常日頃の冷静さを忘れてグシャリと文を握りしめた。あまりにこちらの苦悩を無視した内容だったからだ。
 もっとも、必要以上の苦労を背負い込んだのはマディウスの自業自得で、彼は付き合ってくれているだけなのだ。文句は言えず、やっとのことで、マディウスは決心をした。
 ただ、可能な限り同盟交渉は引き延ばすことにした。
 結婚にあたり会議を重ねるうちに判明したが、王女にかかる負担がとても大きかったのだ。
 国民の反感を買わないよう、国境を越えた瞬間から身に着けるものは全てサンティリア製にするといった取り決めを、有識者は大真面目に主張した。王女に祖国の誇りを捨てさせてこそ、サンティリア王妃として認められるのだ、と。
 長い目で見れば一時の忍苦は仕方ないことかと、マディウスは受け入れざるを得なかった。だからこそ、王女が生国でゆっくりと過ごす期間を与えたかったし、到着した彼女に対しても、やってあげられることは全てやろうとしていた。
 ――思考にふけりながらも、マディウスの鋭敏な聴力はニコラの足音を聞きつける。人それぞれ、歩く音に独特のリズムがあるため間違うことはない。すぐにニコラ特有のノック音もした。

「入ってよい」
「はい」

 ニコラは入室後、自らの王の前でぴしりと礼をした。

「リュミア王女殿下の今日につきまして、ご報告申し上げます」

 無言でうなずき、マディウスは続きを促した。

「王妃の部屋にご案内後、侍女のお二方とは問題なくお話しされていらっしゃいました」
「そうか」
「数々の贈り物も大変お気に召していらっしゃいました。ただ、陛下の以前のご婚約者の話をバルテ夫人が持ち出してしまったため、リュミア様は少し気にされていました」
「フィリッパの話を? 困ったものだな」

 マディウスはこめかみに指を押し当てた。フィリッパとは、亡くなった前王が決めた婚約者だ。秘密を見破られることを恐れ、マディウスは彼女が病気で亡くなる直前まで避けてしまった。
 彼女に対しての罪の意識と、人々に忘れ去られる不憫ふびんさを思って追悼し続け、事あるごとに名を出してきた。その癖と弊害が今も出てしまっていた。

(つくづく私は近しい人物に対してろくなことをしていない)

 自己嫌悪に陥りそうなマディウスにニコラが声を張る。

「バルテ夫人もこれからは気をつけると思われますし、そう深刻なことではないかと……」
「そうだな。ところでニコラ、お前自身はリュミアに気に入られたと思うか? 私見で構わない」
「はい、僭越せんえつながらそう思います。狙ってのことではありませんが、侍女のダイアン様と気が合いまして、そのことで殿下の信用を得られたようです」
「賢明なやり方だ」

 マディウスのよく聴こえる耳をもってしても、ニコラの声音にうそ偽りは感じられず、ひたすら喜びにあふれていた。
 忠義にあつく、素直な性質のニコラをマディウスは気に入っていた。だから、ニコラに輪をかけて素直な傾向のリュミアを、人として好きになるのは自然な流れといえた。

(ニコラのように気楽な感情だけでは済まないのは、彼女と結婚することが決まっているからだろうか)

 押し黙ったマディウスに、ニコラは言い募る。

「付け足しますと、王女殿下は、陛下にかれていらっしゃいます。王女殿下の初めての恋、とダイアン様はおっしゃっていました」
「そのようなことは重要ではない」
「はっ、余計なことを申しました」

 報告は終わり、ニコラは深く頭を下げて退室した。

(そういえばあいつはいつ帰るのだろうか?)

 未だ帰還しない黒猫の存在を思い出す。リュミアについて調査報告するという用事は済んだのだから、セヴィッツ国から移動してもいいはずだ。近くにいるのなら、今の心境を素直に打ち明けて相談したかった。しかし弱腰な自分に気がつき、マディウスは口元をゆがめる。

(いずれにしても結論は変わらない。私は彼女を――リュミアをあざむき続ける)

 相談したところで、気楽に生きる彼は一笑に付すだけだろう。今だって何をしていることか。セヴィッツ王宮を抜け出しても、あちこちに愛嬌あいきょうを振りまいては新しい名前を得て、差し出された柔らかなベッドで寝ているかもしれない。
 マディウスは彼に期待しないことにした。
 気分転換に水でも飲もうとして、真鍮しんちゅう製の水差しに映る自分の姿を何気なく見る。銀髪から覗く猫の耳。鋭敏な聴力が一族の誇りだった。ここを完全な人の姿に変化させることも可能なのだが、聴覚から受ける恩恵が大きいため、普段は認知されないよう幻術を使っていた。
 はるか古代の獣人は鏡に映った姿で正体を見破られ、ひどい目に遭ったという。しかし近代の獣人は幻術魔法を進化させた。
 他人がマディウスを鏡などに映して見ても、猫耳が認知されることは決してない。
 人間の目には、マディウスが普通の姿に見える。
 しかし仲間の猫獣人だけは、もし耳や尻尾しっぽを出していれば真の姿を認知できるようになっていた。こうして獣人たちは、互いに助け合い、サンティリア国で生き延びてきたのだ。
 数を減らした獣人は人間の社会に紛れて暮らしているため、正体に気づかれる者も当然いた。
 どんなに深い関係を築いているつもりでも、獣人と知られたら最後だ。だまされたと嘆き、騒ぎ立てる。信頼を裏切っていたのだから仕方ないだろう。今まで心を操られていたと知って、元の関係を維持できるはずがない。大切な存在なら尚更なおさらだ。
 そうなったら強力な幻惑魔法をかけるか、記憶を消して姿を消すか、どちらかになる。
 だがマディウスの場合は、王の立場があるため姿を消すことはできない。リュミアの人格を曲げるような強い魔法を、生涯にわたってかけることになるだろう。

(罪もない王女にそんなことはできない。気をつけなければ……)

 マディウスは自分に言い聞かせた。



   朝食の決まり


 翌日のリュミアは、張り切って早くに起きた。それというのも、マディウスと朝食を共にする約束になっていたからである。就寝前に侍従から言伝ことづてを受け、とても楽しみにしていた。

(ほかの方はいない席だそうだから、もう少し色々なことを聞けるのかしら?)

 マディウスに少しでも好感を持たれたいリュミアは、入念に身支度を整えてもらった。金色の髪は艶が出るまでよくかし、一部は三つ編みにして結い上げた。部屋を出ると扉の外にはニコラが立っていて、元気よく挨拶をする。

「おはようございます、殿下」
「素敵な朝ね、ニコラきょう
「はい、そして殿下は朝からお美しいです。それではご案内しますね」

 ニコラの屈託くったくのない笑顔はリュミアを勇気づけ、足取りも軽やかになる。

「ありがとう。それにしてもサンティリア王宮は広いのね」
「私も実は全てを知りません、近衛このえ騎士として許される部分のみです。最も詳しくていらっしゃるのはやはり陛下でしょうね」
「そうなのね」

 二人は色々と話しながら移動した。サンティリアの王宮は、アーチ式の天井や、金色のモールディングの隅々までまだ新しさがある。珍しさでリュミアの視線はあちこちに忙しく動いた。

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