妖語り~胡蝶の夢~

九尾ルカ

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2章【カブトとアゲハ】

火武人

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 校門の上空をくぐると同時に凄まじい熱気が肌を焼いた。
 支援学校の敷地には結界を張ってあると翔人から聞いたことがある。
 なるほど、中の異常は外に逃げられないようになっている訳か。


「ミナモさんの気配も消えてる。内からも外からも遮断するのか」


 夏の日差しにも汗一つ掻かなかったムラサキが、額に滲むソレを拭う。
 まるでサウナの……いや、そんな優しい物ではない。
 暑さに強い彼ですらこの状態。
 他の人々は大丈夫だろうか。


「……いや、違う」


 視界に入った植物を見て、ムラサキが小さく呟く。

 目に痛いほど緑に色付いた木の葉。

 花壇に植えられた鮮やかな花々。

 地面から生える雑草。

 あげく、誰かの悪戯か地面に落ちた葉っぱまでも。
 そのいずれにも異常はない。
 日本の環境から明らかに逸脱した熱気の下、その水分を奪われる事もなく、至って普通の光景が広がっている。


「錯覚。これ、僕が妖の力に当てられてるんだ……」


 ムラサキも妖の一人。
 常人……いや、真っ当な生物には感じられない妖の力も感知できてしまう。

 およそまともではない熱を感じるのに、景色には陽炎もなく、鳥も花も至って平気な様子なのは、きっとそれが原因なのだろう。
 逆に考えるならば……


「妖だけを攻撃している」


 頬を伝い落ちる不快な雫を手の甲で払い飛ばし、熱気の強くなる方向へ向かって歩いて行く。

 足取りは重い。

 彼、オオムラサキは国蝶とも言われる虫の名を有する妖。
 翔人の見立てでは潜在的。もとい、この場合、表層的な能力は極めて高いそうだ。

 その話を裏付けするように、錯覚とは言え人間の身では意識を持って行かれるような熱気の中を歩いて行けている。
 先日、花々万斬の一閃を紙一重で回避した時もそうだ。
 反射神経、視力、体の頑丈さや運動神経……考える限り身体能力だけでも極端に高くなっている。


「…………」


 だからだろうか。
 校舎の出入り口を突き抜けて飛び出して来たソレを軽く身を引いて避けることは容易かった。
 隣を抜けて後方へ飛んでいったそれを認識したものの、ムラサキはやはり顔色一つ変えない。

 鼻腔を突く嫌な臭いは、何かが焼ける臭いだろう。
 何か……いや、ムラサキにはその正体も分かっている。

 人だ。

 厳密には、人を辞めつつあった何者か。
 件の邪妖、強盗犯の成れの果てである事は想像に難くない。
 ではそんな物が何故飛び出てきたのか。
 こちらも簡単に予想できる。


「ォォ……」


 吹き飛ばされたのだ。
 赤黒い炎のような物に全身を覆われ、呻きのような声を漏らしながら校舎から出てこようとしてしている、この一本角の妖に。


「鬼……?」


 校舎からその巨体を完全に出した一本角は、白い穴を穿たれたような目に先程の邪妖を捉えると、背中を二つに割り、翼のように広げて飛び掛かる。

 もう事切れている邪妖はまるで糸の切れた人形のように、地面を抉りながら振り上げられた角に突き上げられて天に舞う。

 その挙動に、ムラサキはすぐさま鬼だと思った自分の認識の間違いに気付いた。
 滅茶苦茶な怪力、二つ割れに現れる羽、そして角で掬い上げるような一撃。

 あれは虫だ。


「火武人(カブト)の虫……」

「ォォ……テメェ……モ……バケモン……ダナ……!」


 カブトの目がムラサキを捉えた。
 先程のように羽を広げ前傾姿勢を取る。
 体を覆う炎を揺らめかせ、抉れるほどに強く地面を蹴って突進してきた。

 一歩の歩幅は別段大きくないものの、幾度も幾度も地面にその脚を突き立て、地響きを起こしながら凄まじい速度で突っ込んでくる。


「オオオオオオォォ!」


 ムラサキへの到達と共に、ほんの短い静寂が訪れた。
 刹那、音が遅れてやってきたかのように、爆発にも似た轟音が辺りに響き渡った。

 音その物にエネルギーがあるかのように、周囲の砂や小石が跳ね、草は凪がれ、校舎の窓ガラスが震える。
 およそ尋常のソレではない勢いで、ムラサキにカブトがぶつかったのは端から見ても明らかだろう。


「ァア!?」

「暴走している力を発散させて、主導権を戻す……対処は難しくないって翔人さんは言ってたっけ」


 地面に線を引きながらも、ムラサキはカブトの角を掴んで踏みとどまっていた。

 搦め手無し。

 力には力。

 正面切っての突撃を、しかしムラサキは正面から受け止めていた。


「コノ……バケモン……ガ」

「酷い物言いだ」


 ムラサキの足元から青白い光が溢れ、光を纏った何匹もの蝶が飛び立つ。
 この蝶は眼前、カブトの全身を覆う赤黒い炎のような何かと同じ。

 超高純度な妖の力が可視化された物だ。

 ムラサキ自体、あまりオオムラサキとしての力を使いたがるタイプではなく、そこに来てハナカマキリから受けた忠告。

 そして暴走状態の相手から不意の一撃を貰わない、あらゆる理由から力を極力抑え込んでいた。
 だが、こうして目標と対峙したならば、そんな枷は必要ない。
 カブトの力を相殺できているからなのか、肌を焼くようだった暑さ、熱さが引いて行くのが分かる。


「行くよ」

「ガァ……!?」


 角を掴んだまま地面に強く叩き付ける。

 反動で宙に舞ったカブトと地面の間に脚を滑り込ませ、胸部を狙って肘を打ち込んだ。
 衝撃音が響き、周囲の空気を巻き込んで巨体は後方へと吹き飛ぶも、やや前傾姿勢を取った後に青い羽を刹那的に現出させ、ムラサキはそれを追う。

 完全に追い付く直前に地面を強く蹴り、宙へと飛び出た。
 上体を捻り、踵を力の限り叩き付ける。


「堅い」


 視認すら困難な速度による連擊。
 しかし、ムラサキは小さく手応えを漏らした。
 土煙の中からゆらりと立ち上がったカブトは、しかしあまりダメージがないようにも見える。


「オオオオオオオオオオオオ!!!」


 カブトは雄叫びを上げ、その羽を大きく広げる。
 全身の炎がいっそう激しく揺らぎ上がり、オオムラサキの力によって相殺されていたはずの熱気が再び頬を焼く。

 その感覚に反応が一瞬遅れた。
 一瞬の間に眼前に赤黒い拳が迫る。
 回避は間に合わない。

 咄嗟に両腕をクロスして防御姿勢を取るが、叩き込まれた一撃が信じられないほどに重い。
 両足の踏ん張りが効かず、後方へと弾き飛ばされた。


「逃ガサネェ……!」

「ぐっ!」


 否。

 カブトの脚より伸びた炎はいつの間にやらムラサキの背後に壁の如く立ち上っており、吹き飛ぶことすら許してもらえない。

 正面のカブトは逆の腕を振り上げており、二擊目を構えている。
 二擊、三擊、四、五、六と数えるのもバカらしい程の打撃の応酬。

 そのいずれもが強く、重い。

 骨が軋むような感覚が絶え間なく続くが、幸い折れた様子はない。
 体の頑丈さに感謝すべきだろう。


「ダァララララララララララァ!」


 連打……いや、乱打に途切れ目はない。
 ムラサキは最初これが鬼に見えた。
 勘違いではあったかもしれないが、間違いではなかっただろう。

 鬼気迫るとはよく言ったものだ。
 防御姿勢を解くことすら許されない。


「翔人さんが僕を呼ぶわけだ」

「暴走状態の妖相手は二人以上で当たるべし……だそうですので」


 カブトの背後、霞が揺らめくようにミナモの姿が浮かび上がる。
 亜麻色の髪を靡かせ、彼女は腰を深く落として掌底をカブトに叩き込む。


「グゥ!?」


 ムラサキからの攻撃に比べ、明らかに攻撃力は劣って見える。
 しかし、カブトの反応を見る限りは明らかにダメージが通っている。


「水印掌。予測による選択でしたが、どうやら相克属性であったようですね」

「助かったよ」


 隙を見逃さず、ムラサキは防御姿勢を解除。
 上着がふわりと舞うと、光の翼が背に現れ、腰を低く落としながら脚を払う。

 姿勢の崩されたカブトを挟んで二人が構えた。
 ムラサキは腰の辺りで拳を握り、ミナモはやんわりと広げた手のひらを向ける。


「テメェ……ラ……!」

「それでは失礼します」

「少し痛いけど、それだけ先に謝っておくよ」


 水の印が浮かぶ掌底と、青白い光を纏った拳を二人が交互に放つ。

 ミナモの掌底は炎の勢いを弱め、ムラサキの拳がそこに捩じ込まれる。
 いつの間にか二人の足元には青い光の筋が走り、一つの図形を描いていた。

 陰陽対極図。

 その陰中の陽、陽中の陰へとそれぞれが位置取り、連続して攻撃を続ける。


「縛!」

「!?」


 短い掛け声と共にミナモより放たれた一撃がカブトに触れれば、地面から青い鎖が伸び、その四肢を縛った。


「ンダヨ! コレハ!」

「桜斑咲様」

「うん」


 ムラサキの背後に、青紫の羽が浮かび上がる。
 今まで時折見せてきたぼんやりした光ではなく、はっきりとその形が分かる羽が。

 たなびく上着と合わせて、まるで四枚羽の蝶が舞うかの如く、彼は宙へと浮かぶ。
 フードがはがれ、その白い髪を晒したムラサキは感情の宿らぬ瞳を眼下へ向けた。

 彼の周囲には無数の蝶が舞う。


「引き剥がす」


 風を切っての急降下。
 カブトの初擊だった突進をも上回る速度で、ムラサキは飛ぶ。
 すれ違い様にカブトの頭へ手を伸ばし、鷲掴みにして連れ去らんとする。


「ヤ、ヤメロ!」

「それはできない」


 今の自分はどんな顔をしているのだろう。
 まるで機械のように無機質な顔で、とどめを刺さんと迫る自分はどんな風に映るのか。
 興味はあるが、カブトの瞳は白いばかりで顔すら写らない。


「返してもらうよ」

「ァァァアアアァァァ!?」


 赤黒い炎の中から、一人の人間を引っ張り出した。
 苦悶の声を上げ、残滓となった炎は瓦解して行く。

 ムラサキが引っ張り出したのは、このカブトの本体……力に肉体の主導権を奪われ、暴走していた人物だ。

 言ってしまえばカブトの心臓にも等しいパーツだ。
 もがこうとしても鎖がそれを許さず、ただただ呻き声をあげて小さくなってゆくばかり。


「見事な手際でした」

「ミナモさんの補助頼りだったけどね。一人じゃあまだまだ」

「先程も言いましたが、暴走状態の妖相手は二人以上で掛かるのが常です。相方となる相手の力量、合流のタイミングを計れる事も能力の高さですよ」

「そう? なら、胸張っちゃおうかな」


 掴んだ学生は意識を失っている。
 彼を近くの壁に背を預けさせるような形で下ろすと、ムラサキは咄嗟にミナモを抱き寄せ、その羽を大きく開いた。


「桜斑咲様!?」


 感情が表に出ないというのは便利なようで不便なものだ。
 咄嗟に声を掛けたとしても、きっと焦りなんかは伝わらない。「え?」などと聞き返されるのが関の山だろう。
 そして、多分そんな事をしている間に取り返しがつかなくなる。

 だから、カブトの残滓が放った熱線に気付いていても、こうして身を呈して庇う事しかできなかった。

 苦悶すら顔には出なくて、しかしそれでいても背中は耐え難い熱さを感じている。
 先に限界を迎えたのはカブトだったのだろう。
 背中の熱が引いていくのは感じられた。
 だが、そこがムラサキの限界でもあったらしい。
 無機質で優しい青い蝶は崩れるように意識を手放した。
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