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終わりの始まり
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彼女は、幸運だったと言えよう。
もし能力があれば、もし図書室にいなければ、もし彼の好みの本を読んでいなければ。彼女は殺されていただろうから。
彼女が落ちこぼれで図書室通いが日課でその日たまたま童話を読みかえそうと思っていたから、生きていた。
――最も、あの惨劇に巻き込まれることを幸運というのなら、だが。あるいはその時点で死んでいた方が、よっぽど幸運かも知れなかった。
けれども事実として彼女は彼に殺されなかった。落ちこぼれ少女はアカデミーの、いや、国をも揺るがす惨劇に巻き込まれることになる。
***
「ヨォ。お前、学生?」
突然の声にヨルは肩を揺らし、一歩後退り、警戒もあらわに話しかけてきた男を見た。
彼女がいたのは人の来ない第二図書館の、更に人の来ない童話の棚の前だからだ。入り口近くならともかく、児童書の類いは図書館の奥にあるためにここまで来る人がいるなんて、と驚いていた。
「学生かって質問してンだけど」
「あ、は、はい。学生です」
「どこの科?」
「魔術科です……」
なんだこの人、とヨルから睨まれながらも男は「そうかァ」と笑う。
……なんだ、この人。二回目の同じ疑問。彼の浮かべた笑みはまるで肉食獣のようだ。もしくは蛇。整った顔立ちのくせに唇を左右非対称に歪めて、目をぎらぎらと細める。怖くなってヨルはもう一歩引いた。
「――んぁ? 読んでンの、『死のない国』か?」
「そうですが」
「オレその本持ってるんだ! お前はなんでそれ読んでるんだ? 面白くもなんともないだろ」
先程の獣じみた笑顔が消え失せ、威圧感が薄れる。ただ仲間を見つけた喜びに笑う男を横目にヨルは表紙を撫でた。
“死”が怖くてしょうがない青年が、死のない国を目指して旅をする話だ。やがて彼はその国にたどり着く。そこでは死こそないもののひどく退屈だった。それでも彼は喜んだ。しかし次は“老い”が恐ろしくなった。再び老いのない国を探して旅に出る。しかし途中で事故死してしまう、という終わり方。童話という分類にくくられているくせに、暗くて重たくて救いがない。結局死は平等なものであり恐れても仕方がないのだ、という教訓のための本だ。
けれど彼女は、逆の目的を持ってこの本を読んだ。
「死ぬのは怖くて恐ろしいものだと思いたくて」
「死にてェの、お前」
死にたい、わけではない。ヨルは自分が救いようない落ちこぼれでも、おしゃべりする友人がいなくとも死ぬつもりはない。ただぼんやりと、もし私が死んだらあの幼馴染みはどう思うのか、と考えるだけだ。
「名前は?」
「――え?」
反応が遅れた。気がつくと彼女が空けた二歩ぶんの隙間は埋められて、男はやたら近くに立っていた。
「お前の名前」
「え、あ、ヨルです」
――失敗した。
言ってから後悔した。こんな怪しい男に本名を告げなくてもよかったのに。彼がニンマリと笑った時点で彼女は踵を返そうとする。
「すみません失礼しま」
「ヨル、ヨルね。よし、ヨル」
口中で自分の名前を転がす男の子にゾワリと背が震え、足を進ませた――が、遅く、強く腕を掴まれる。
「ヨル、お前は殺さないでおいてやるよ。良かったなァ」
男の、金に似た色合いの瞳が彼女を覗き込んだ。逃げようと足を進ませたはずのヨルの体から力が抜ける。
「は」
なんだ、この人!
立っていられなくなり棚を背にズルズルと座り込む――足が、動かない。
「何を」
「麻痺かけたの。四肢は動かせないぜ。口は動かせるから解毒できるヤツが来たらやってもらえよー」
「待っ」
ヨルの制止もむなしく男は瞬きのうちに掻き消えた。
「なに、あのひと……」
泣きそうな声で出た四度目の疑問は、誰にも届かない。
***
クロウィズはふっと顔を上げた。魔術騎士の実技の途中、しかし余所見しながらも彼は相対する教員の剣を避ける。それがしばらく続いて、やがて
「クロウィズ君。何かあったか?」
と上の空の彼に教員が声をかけた。
「……結界が、揺れた気がしたので」
クロウィズは常人には何もないように見える、アカデミーを覆う結界を睨んだ。だが変わった様子はない。
「気のせいだったのかも知れません」
「そうか? 君は有数の魔術師でもあるからなあ。気になったのならすぐ言えよ?」
「はい」
剣を構え直したクロウィズに教員は笑う。
「まあ、このアカデミーに侵入する馬鹿はいないと思うが……」
国内一の学徒が集まる場所、アカデミー。更に教員達も英雄と呼ばれるひとかどの人間たちだ。不安などないさ、と教員は明るく笑いとばした。
もし能力があれば、もし図書室にいなければ、もし彼の好みの本を読んでいなければ。彼女は殺されていただろうから。
彼女が落ちこぼれで図書室通いが日課でその日たまたま童話を読みかえそうと思っていたから、生きていた。
――最も、あの惨劇に巻き込まれることを幸運というのなら、だが。あるいはその時点で死んでいた方が、よっぽど幸運かも知れなかった。
けれども事実として彼女は彼に殺されなかった。落ちこぼれ少女はアカデミーの、いや、国をも揺るがす惨劇に巻き込まれることになる。
***
「ヨォ。お前、学生?」
突然の声にヨルは肩を揺らし、一歩後退り、警戒もあらわに話しかけてきた男を見た。
彼女がいたのは人の来ない第二図書館の、更に人の来ない童話の棚の前だからだ。入り口近くならともかく、児童書の類いは図書館の奥にあるためにここまで来る人がいるなんて、と驚いていた。
「学生かって質問してンだけど」
「あ、は、はい。学生です」
「どこの科?」
「魔術科です……」
なんだこの人、とヨルから睨まれながらも男は「そうかァ」と笑う。
……なんだ、この人。二回目の同じ疑問。彼の浮かべた笑みはまるで肉食獣のようだ。もしくは蛇。整った顔立ちのくせに唇を左右非対称に歪めて、目をぎらぎらと細める。怖くなってヨルはもう一歩引いた。
「――んぁ? 読んでンの、『死のない国』か?」
「そうですが」
「オレその本持ってるんだ! お前はなんでそれ読んでるんだ? 面白くもなんともないだろ」
先程の獣じみた笑顔が消え失せ、威圧感が薄れる。ただ仲間を見つけた喜びに笑う男を横目にヨルは表紙を撫でた。
“死”が怖くてしょうがない青年が、死のない国を目指して旅をする話だ。やがて彼はその国にたどり着く。そこでは死こそないもののひどく退屈だった。それでも彼は喜んだ。しかし次は“老い”が恐ろしくなった。再び老いのない国を探して旅に出る。しかし途中で事故死してしまう、という終わり方。童話という分類にくくられているくせに、暗くて重たくて救いがない。結局死は平等なものであり恐れても仕方がないのだ、という教訓のための本だ。
けれど彼女は、逆の目的を持ってこの本を読んだ。
「死ぬのは怖くて恐ろしいものだと思いたくて」
「死にてェの、お前」
死にたい、わけではない。ヨルは自分が救いようない落ちこぼれでも、おしゃべりする友人がいなくとも死ぬつもりはない。ただぼんやりと、もし私が死んだらあの幼馴染みはどう思うのか、と考えるだけだ。
「名前は?」
「――え?」
反応が遅れた。気がつくと彼女が空けた二歩ぶんの隙間は埋められて、男はやたら近くに立っていた。
「お前の名前」
「え、あ、ヨルです」
――失敗した。
言ってから後悔した。こんな怪しい男に本名を告げなくてもよかったのに。彼がニンマリと笑った時点で彼女は踵を返そうとする。
「すみません失礼しま」
「ヨル、ヨルね。よし、ヨル」
口中で自分の名前を転がす男の子にゾワリと背が震え、足を進ませた――が、遅く、強く腕を掴まれる。
「ヨル、お前は殺さないでおいてやるよ。良かったなァ」
男の、金に似た色合いの瞳が彼女を覗き込んだ。逃げようと足を進ませたはずのヨルの体から力が抜ける。
「は」
なんだ、この人!
立っていられなくなり棚を背にズルズルと座り込む――足が、動かない。
「何を」
「麻痺かけたの。四肢は動かせないぜ。口は動かせるから解毒できるヤツが来たらやってもらえよー」
「待っ」
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「なに、あのひと……」
泣きそうな声で出た四度目の疑問は、誰にも届かない。
***
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「クロウィズ君。何かあったか?」
と上の空の彼に教員が声をかけた。
「……結界が、揺れた気がしたので」
クロウィズは常人には何もないように見える、アカデミーを覆う結界を睨んだ。だが変わった様子はない。
「気のせいだったのかも知れません」
「そうか? 君は有数の魔術師でもあるからなあ。気になったのならすぐ言えよ?」
「はい」
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「まあ、このアカデミーに侵入する馬鹿はいないと思うが……」
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