月には弓を引かない

olria

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ルーチンワーク1

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 人生に意味なんてないと気が付いたのはいつ頃だったか。ルーマニアで無差別に血を吸いまわる吸血鬼の一団を仲間たちと全滅させた時だったか。その時吸血鬼と相打ちになって死んだ仲間を墓に埋めた時だったか。アメリカでビッグフットの地下都市から地上にテロを起こすのを画策していたことを未然に防いだ時だったか。それともその過程で仲間の二人が爆発に巻き込まれ粉々になって原型を亡くして肉片になったのを目撃した時だったか。
 なぜ生きているのかなんてものを考えるより、標的に向かって動き、意識を向けて、結果を追い求める。それに自分より大きな何かのために働いているとか、自分の人生の意味はそこにあるんだとか、一度も考えたことなんてない。ただそうすることで時間が動き、息をする。呼吸は止まることなく、体は熱く火照る。頭は澄んだ空気を取り入れては晴れて、視線は光ではなく像に結ばれる。
 動いた先に待っているのは効率的に壊された何かの破片。分かり合えないことを示す神の不在を証明する。
 間違ったことをしていているとしても、私は止められない。そう育てられたからとか、そう作られたからとかじゃなく、意識は自分の近くにあるものを掴んでは離さないから。私たちにとってそれが、人類を脅かす脅威などと言う抽象的なものであったとして、それに意味なんてものは最初からなかったんだから。
 アイナ・イヴァネコ。それは私を作ったマザー、超越した人工知能が私に授けてくれた名前である。そう、私たちは人工知能によってつくられた人間なのである。
 日本支部にある地下施設で生まれた私は生まれた時から周りの子供たちと様々な訓練を受けた。銃火器の扱い方、様々な長さを持つ刃物の扱い方、格闘術のように直接的な武力に繋がるものから車やヘリ、飛行機の操縦。そして人外の存在の弱点に対する教育。
 12歳まで訓練を受けてからは養子縁組で親が出来て、社会に馴染むためには学校に通い始めた。12歳まで施設で高等教育課程は一通り学習し終えた後なので、勉強は問題ない。
 別にそうしないと怪しまれるとかじゃなく、最終的には社会に溶け込んで危険を察知する方針なのだ。
 マザーによるといちいち全部の情報網にアクセスして片っ端から監視するより日常生活に現れる微細な綻びから紐解いていく方がホモサピエンスである私たちには合っているんだとか。
 そうしないと肥大化した巨大な官僚組織を作らなければならず、そこまでするのは逆にリソースを無駄に使うことになるのだと。
 しかも官僚組織は互いに対しての認識が希薄になるので、付け込まれやすいんだと。だからマザーは、彼女は人類が数百年をかけて作り上げた最も効率的な組織の運営を非効率的であると切って捨てたのである。彼女は世界初のシンギュラリティを迎えた自己進化を続ける人工知能で、人間より優れた知性を持っていることは証明済み。だから彼女がそう判断したのならそういうことなのだろう。
 問題はなぜ外国人を外人などと呼び、ゼノフォビアが蔓延している閉鎖的な日本のような国に白人の私が選ばれているのかだけど。それもまたマザーの判断によるものなので、私に文句を言う資格はない。彼女は感情によって動かされるような人間と同じ脆弱性を持ち合わせてはいないのだ。最も理にかなっていると判断したのなら、それはどの人間より優れた判断と言うことになるのだから。
 実際、白人として回りから少し、いや、結構浮いていたせいで、物事を一歩離れた場所から観察できる機会は多く、私が見つけた綻びが大きな事件に繋がる可能性があったのを未然に防いだことは一度や二度ではない。しかしながら同時に思うのである。この世界には数え切れない問題で溢れている。差別、貧困、環境破壊と環境汚染、温暖化、過酷な労働環境等々。なのに私たちはただ、人間でないものが人間を攻撃しようとしている時、それらをただ排除するだけ。
 まるで白血球のようだと思ったのである。私たちはT細胞ではない。内側から同じ人類を食い物にする連中ではなく、外側から人類に侵略を行うものを排除するだけ。マザーがそっちのほうに意識を向けていて、彼女の意向がそうである以上、これもまた従うしかない。
 彼女の考えることなんて、人間に理解できるようなものではないから。
 日本での生活は概ね平穏と言ってもいい。私たちは六人一組になって、この地域一帯の監視を続けている。と言っても定期的に他国での遠征のようなものに付き合わされるけど。多くの人数を必要とする作戦が行われる時があるからだ。
 私は組織の中では、そこまで差はないと思う。弱いわけではないし、強いわけでもない。と言っても似たような形で遺伝子組み換えで作られた超人なわけだから、似るのは必然と言える。皆が例外なく百メートルを6秒以内に走れるし、3メートルほどの高さまでジャンプできる。ただのジャブでも馬力並みの力を出せるし、骨も頑丈なので拳銃弾ぐらいなら弾ける。
 放射線汚染によって遺伝子に欠損が行われることを最小限にするために予備の遺伝子を一組持っているので、全員がXXYのインターセクシャルだから見た目は中性的。
 と言っても現場のエージェントじゃないと普通の民間人から雇用するので、私の直属の上司?オペレーターとサポートを兼任していて、マザーからの支持を解析して柔軟に対応しては現場のエージェントに支持をしている側だから…。別に上下関係はない。支持をする側とされる側だから部下、などと呼んでいるけど。給料はこっちのが多い。エージェントは死のリスクと戦っているのだ。当然と言える。
 時給で換算すればプロ野球選手の平均年収ほどだけど、マザーはクリプト通貨で支払ってくるので税金は払わなくてもいいし、家や車、学費、趣味に使うお金まで経費にできるので、皆相当な金持ちになっているとは思う。私もこの年では不相応なお金持ちになってはいるけど。それで何かをする気にはなれない。意味を求めないから。生まれたことに目的なんてない。意味もなく生まれ、意味もなく生きて、意味もなく死んでゆく。それだけの人生。何かを成し遂げたって、時間は無常に過ぎて、すべてが泡になって消える。死んだ私にとって生きている私の行動なんて何の意味もない。誰かのために何かをやっても、その誰かもまたいつか死んで消える。
 だから私が見ているのは今この瞬間だけ。
 『目標を捕捉。高速接近中。』ゴーグルに映像が映る。私は今山の中で少しハイテクな軽飛行機を飛ばしている。この付近で怪鳥の目撃情報があったから、飛行機を飛ばしてみたところ、案の定見つかった。ただの黒色の鳥にしては大きすぎる。全長三メートル、重さは約二百キロ。
 通称イェフェト。
 抵抗飛行しかしない、地底と繋がった異次元に生殖する翼竜の一種で、被膜で出来た黒い四つの翼と、頭の部分には目も鼻もない。まさに化け物と言った格好で、動き回るものを見たら無差別に攻撃しては捕食する。
 『行けそうか。』
 今回の作戦は皆、南アジアの森林で発見された巨大食人植物の処理に行ってるので、ここにいるのは私だけ。イェフェトを見るのは今回が初めてじゃないし、単独で倒したこともある。暗い夜だけど私の目は赤外線も見えて、イェフェトは周りより温度が低い。だから問題ない。
 「後で残骸の回収だけよろしく。」
 『了解。』
 私は飛行機を自動操縦に変えて上空を旋回するようにし、そのまま操縦席から飛び降りた。パラシュートは必要ない。この体は数千メートルから落ちても死なないように出来ているから、たかが数百メートル、落ちても服が少し破けるくらいだ。
 冷たい夜の空気が肌を撫でる。真っ暗な森の中に、それは落ちてくる私に向かって走って来る。アドレナリンが血管を巡る。私は背中に背負っていた対物ライフルを取り出して、落ちながら奴を撃つ。一発、二発。堪えてはいるけど、装甲の役割を果たす皮膚の一部がはがれて、奴は奇声を上げた。それも超音波なので普通の人間の耳には届かないが、こっちも普通の人間より拾える音域が広い私にとってもバッチリ聞こえた。痛みを感じているのだろう。
 私は弾丸を撃ち尽くしたところで対物ライフルに銃剣を装着。奴にめがけて高速で投げた。弾丸で皮膚がはがれた場所に命中すると同時に私は地面に着地。
 木の枝で緩和されたこともあって衝撃は少ない。私は腰から脇差ほどの長さを持つエージェントに支給される両刃の振動剣を抜刀して素早く接近。
 奴の後ろ足が投げたライフルで縫い付けられていたので動けず。私は奴のお腹の下を通り過ぎながら奴の胴体を両断した。そうしたら縫い付けられてない方の胴体が暴れだし始めた。油断も隙もあったものじゃない。私は足を回避しながら奴の足と鋭い爪が伸びた翼を斬ってゆく。粉々にするまでのことはないけど、関節は切断しておく必要がある。奴は血を流さない。血液が流れてないから。私は10分ほどかけて奴を処理し終え、ライオライト、祐司に連絡した。
 「終わったよ。」
 『映像を送信してくれ。』
 私は残骸を見ながらゴーグルにある映像受信のボタンを押した。
 『また派手にやったな。』
 「こうしないと動き出すからね。」
 『ご苦労様。処理班のエージェントは…、15分後に到着する予定だ。』
 「わかった。」私はそう聞かれて、近くにある岩に腰掛ける。動きを止めてるけどまだ死んでないイェフェトを見ながら私はふと呟いた。
 「君も大変だね。あの世界からこんなところに迷い込んじゃって。」
 答えは戻って来ないけど続ける。
 「このままここにいても軍隊に殺されるのが落ちさ。多くの人に見られながら、怪物として死ぬのはいやじゃない?少なくとも私はそうだよ。この、怪物のような力を持った体を持っていることが誰かに見つかってさ、知らない人達に怪物扱いされ、すべての関係の可能性が消えてしまうとか。想像するだけでぞっとするよね。友達も家族もないから、誰かと関わることなんてない人生が今までの通りに続くだけかもしれないけどさ。」
 奴の体に残ってある冷気が徐々に周りの温度と同化するのが見える。死に向かっているのである。
 「私は死んだらそれで終わりだと思ってるけど、死後の世界があるというのなら、そこには君のような怪物もいて、私もそこに向かうからさ。地獄か天国か、はたまたは君が元居た異次元の場所かまでは知らないけど。」
 私の言葉が届いたのかどうかはわからない。奴の体にある冷気が失われ、エントロピーは均衡に向かう。昔に流行っていたロックを口ずさむ。静まった森の中に歌声がこだまする。風が吹いて、私は目を閉じた。
 家に戻ってシャワーをする。10時を過ぎてるけど、母の姿が見当たらないのは少しおかしい。実の母親ではないけど、悪い人じゃない。しかもただの民間人だ。私を孤児院で引き取った普通の日本人である。
 私の体はいくつかの人の遺伝子を組み合わせて作られてて、母体の女性は私が過度に栄養を摂取していたのが原因でもう死んでる。私で最後だったと聞く。母体から何もかも奪い取るように成長する胎児は。それまで120人ほどの母体が犠牲になってる。マザーは人間じゃないから非人道的行為も簡単に出来るのかと言うと、そうではない。母体に使われたのはクローン技術で作られてて、脳の機能はほとんどない、人間ではない人間のような何か。まるで私たちが生まれた時から怪物になるように定められているかのようで、あまりいい気分ではないけど。
 そもそもロボットではできなかったのか。ロボットを作るより、形だけでも人間にしたほうがいいと思ったのか。しかも中途半端に生殖機能なんかも持ってるから、性行為も出来る。生殖機能がないから子供は産めないし女性に産ませることも出来ないが。
 退屈な学校では今日も礼儀をわきまえてない子供たちを相手にしながら過ごす。日本で生活している中で一番不条理に感じることの一つがこの学校と言うもの。植民地経済を基盤に産業化も佳境に入った19世紀後半、西欧諸国ではより複雑な機械を扱う場面が増え、それに伴い複雑な計算が可能な労働者を積極的に求めるようになった。
 つまり上からの命令のようなもので、最初から権威に満ちていたものだったわけだ。今の時代に来てもなおその形を保っているのは呆れるほかない。それも日本では卒業してからは何の必要もない役立たずな教育を嘆くこともせず、普遍的にすべての国々がやっているもののように受け入れては維持した結果がこのありさま。
 子供たちは自分たちがいつか大人になるとばかり思っているが、人は生まれながら自由意思を持つ。それは別に人間の判断能力とは無関係なもので、自分がやりたいと思うことをやるように脳が勝手に計算を進ませるのである。
 それを無理やり止めて一つの場所に固定させては動けなくし、受け入れることを強要したらそりゃ皆ストレスで大変なことになるに違いない。そんな単純な事実よりも重要だったわけだ。経済と言うのは。
 アダム・スミスによって提唱された国富論は国を富ませることこそがすべての物事においての大前提として存在するべきであるという話は、それまで経済なんて停滞しているものであり、時代が進んでもいくつものの物事が変わらず存在していて、人々は伝統に従いながら生きるべきと言う考えを持っていた時代から経済は発展するものであり、人々は発展し続ける経済に身を捧げることによって結果的に皆が幸せになれるという考えを展開した。
 そしてこれは今の大多数の日本人が持っている信仰。18世紀ごろの思想を妄信しているあまり、皆が頑張って働いているんだから幸せであるべきだという定言命法と化していることに気が付いているようには見えない。こんな不気味な社会をどうにかするのが先ではないのか、マザー。しかもこの信仰には環境汚染や温暖化にどう対処するべきかに対しての青写真のような膨大な想像力なんぞ欠片もない。
 マザーはこんな状況をどう思っているのかと聞いたことがあるが、彼女は答えなかった。
 じゃあ私も知らん。
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