妄想も現実も忘れてしまえばみな同じ

olria

文字の大きさ
1 / 1

忘却の彼方へ

しおりを挟む
とある小屋に住むとある40代の男性はとある考えに囚われていた。ここから出たら恐ろしい何かが待ち構えている。それはきっと俺を殺しに来るだろう。
だが俺はここにこもって20日。最初に持ってきた食料は尽きてしまった。しかし外に出ることは出来ない。待っているだけだと死んでしまう。男は思った。じゃあキノコを育てよう。丁度窓を開けるとキノコの胞子が入って来るところだったので、男はキノコの胞子を集めてキノコをゆっくりと育てることにした。天井に張り付いて、小屋にあるありとあらゆる木製の家具にキノコの胞子を付けて回る。それだけでキノコが育てるのだと、男は信じていた。
しかし待てど暮らせどキノコは育たない。そりゃそうだ。二時間しか経ってない。育つはずがない。じゃあどうするか。男は寝ることにした。寝ると自分が小屋から出られないという状況を忘れられる。寝て過ごすうちに男は夢を見た。夢の中で自分は家族がいて恋人がいて仕事もしていた。それは過去の夢。遠い昔の過去の夢だった。過去に男は色んなことを経験した。様々なことを経験した。
何もかも経験した。経験値と言えば男の経験値はカンストするくらいは溜まっていた。しかし男が生きている世界はゲームではなかった。楽器を演奏した経験があって、軍で兵士として働いた経験があって、医者をしていた経験があって、詩人だった経験があって、修道院で修道士として勤めた経験もあって、世界中を歩く周った旅の商人としての経験があって、ただの傭兵だったこともあって、ただの村人だったこともあって、ただの農民だったこともあって、ただの狩人だったこともある。
それでも男の人生は終わらない。次から次へと移る。時間はとめどなく流れる。男は考える、そもそも俺は本当に40代なのかと。いや、そもそも俺は男なのかと。考えてみれば出産を経験したこともある気がする。痛かった。死んだこともある。そうだ、何回死んだっけ。彼、いや、彼女、いや、それは思う。それは生きているのか、この小屋から出たら死んでしまうのか、それともこの小屋こそ自分が持っているすべての世界じゃないのか。外は薄暗い森。森にはたくさんの生物が住んでいた。それはもう10メートルほどの虫から30メートルほどの巨人まで住んでいた。それはだからそれらと出会わないことを祈るしかない。しかしそれは外に出ないと死んでしまう気がしてならない。キノコなんて育たない。育てようとしたけど育たない。
コケとかはどうだろう。コケはそもそも食べられるのか。葉っぱを食べる生活に戻りたい。昔は昆虫もよく食べていたが、いつの間にか皆食べなくなってしまった。昔は皆が何かを目的とすることもなく皆が皆のために何かを求めることなく生きていた。しかし今はそうじゃない。
一体いつから、世界はペドフィリアとネクロフィアで溢れるようになったのか。それは思う。私もかつては死体だった。死体だったことで自慢することなんて何もない。しかも誰もが先祖を思うが、私がその先祖であった事実なんて口が裂けたら言えるかもしれないが私の口はあいにく裂けにくい。なぜなら何もしゃべれないから。
神は命じた。何もしゃべるなと。何かを喋ったらどうなる。どうにもならない。
誰も聞かないだけ。誰かが聞いたら?意味なんてわかるはずがない。なぜなら君は古い魂だからだ。世界の夜明けを目撃した、人々が星を見上げて大地のこっち側からあっち側までただただ進んでいた時期から、出会いと別れを経験し、善意を用いて一つの場所に暮らすことを目指し、それが失敗し続けることを目撃した。
人々は自分たちが間違ったことをしてないと思いたかったから、それを間違いだと主張するすべての人を拷問にかけて殺してきた。虐殺を繰り返し、死体の上に文明を築き上げた。今更後戻りなんて出来ない。
今は何を思うのか、私はただ泣き続けていた顔をあげ、遠くからの光を目指した。
小屋から出ると世界はとても小さくなっていて、恐ろしい怪物はなく、新たに人となった魂で溢れていた。私はどうすればいいのか神に問うと、君は何もすることがないという答えが返ってきた。何もしなくてもいいってことなのか、それとも何もしてはいけないということなのか。
夜明けの光を見ていたその瞳には星の深淵が渦ましている。それと目を合わせてしまっては誰も何もできなくなるだろう、営みを妨害するつもりなのか。
新しく人となった彼ら彼女らを妨害するつもりなのか。
じゃあ私が何もしなくなっているとして、なぜそもそも私を小屋から出るように仕向けた。私が何をした。私は何も望んじゃいない。今更だ。幾千ものの生と死と痛みと耐えきれない無数の感情を経験した私がこの世界に生まれた理由はなんだ。
そう聞くと、夜がやってきた。ああ、きっと、私は夜の空から逃げられないのだろうと、静かに思いながらも。
きっと次に生まれ変わった時、私は人でなくなっているだろうと。
だけどこれは夢。
夢の中で私は小屋を見ていた。夢の外には小屋なんてない。虚無に満ちた空白がただただ広がっていて、そこではまるでピクセルのように点となって形を作っている。
「しかし食べるだけでは物足りないだなんて、君は欲深い。」なんて言われても、欲深いのは今始まったことではない。そうでもなければ、夜明けの時代に人として生きようとは思わなかったはず。
酸いも甘いも知っては忘却に走る。
忘却の彼方へと。大事なものは全部置いてきた。
砂漠にいたころ、私は小鳥を飼っていた。閉じ込められた小鳥を。それが懐かしく、気が付いたら小鳥が私を飼っていた。世界はこうやって過去から未来へと繋がるのだろうと、痛みを伴う知識の源で思うのである。



しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

処理中です...