1 / 68
現在のふたり
しおりを挟む
「瀧。……瀧、起きて」
誰かの――聞き慣れた声で呼ばれ、体を軽く揺すられる。揺する手は優しい。
「……ん……」
もぞもぞと薄い綿毛布に潜り込もうとしたのは、まだ眠いからだ。けれど瀧を起こそうとする誰かは諦めずに「起きて」と瀧の起床を促す。声は甘さを含んで優しい。
「…………んん……」
カーテンを開けられたらしい。目蓋の裏が明るい。
(まだ寝てたいけど……)
やむを得ず体を起こす。目はほとんど閉じたままだ。
「おはよう、瀧」
「……おぁよ…………」
ふぁ、と欠伸が漏れるのは仕方がない。昨夜は遅くまで起きていたし、今は八時だ。
(オレたぶんロングスリーパーだから、あと二時間くらい寝たいけど……)
普段はそれが許されているが、今日はそれが許されていない。仕事が入っているからだ。
起こしてくれた相手が、目許や頬を撫でてくる。大切なものに触れるような触れ方は、好きな触れ方だが、くすぐったい。
「シャワー、浴びてきて。朝食は用意する」
「ん……」
頷くと、ようやく薄い綿毛布から抜け出し、ぺたぺたと裸足で裸のまま浴室へ行く。熱いシャワーを頭から浴びれば、多少は頭がすっきりした。
浴室から出て髪を乾かし、一通りの身支度を整えてから、キッチンを回り込むようにダイニングへ行く。すっかり朝食の用意ができて瀧を待っていた。
コンソメスープ、目玉焼き、厚切りのハム、ベビーリーフのサラダ、ほうれん草とベーコンのバター炒め、じゃがいもとほうれん草と玉葱のキッシュ、こんがり焼けた三枚切りのトースト、オレンジジュース。ホテルのモーニングとして出しても遜色ないに違いない。けれどこれは瀧の「いつもの朝食」だ。
椅子に座ると、このモーニングプレートを作った目の前の男をまじまじと見つめる。料理は外食しない限り、毎食彼が作ってくれている。本来ならそんなことを一生しなくて済む身分なのに、物好きにも瀧の面倒は進んで見てくれる。
透き通り内側から輝くような滑らかな肌、切れ長の双眸、アイスブルーの瞳。通った鼻筋、薄いくちびる、膝ほどもある長い黒髪は、体の左前へ垂らされ、ゆるい三つ編みにされている。長い前髪は額の左右へ分かれていた。長い指、思ったより広い肩、厚めの体、力強い腕。服の上からでは優美にしか見えないのに、存外そうではないと知ってしまうと照れも混ざる。
どこをとっても一流の芸術のようなのに、それらが組み合わさっても少しも美しさを損なわない。むしろ、美しさを掛け合わせているようにも感じられた。崇高すら感じさせる。
それもこれも、彼がヒトではないからだろうか。
(朝から綺麗なものを見るのっていいな……幸せだ)
その幸せを朝食とともに噛み締めていく。
キッシュは最近の瀧の好物で、外のデリで見かけることがあれば買っていることを覚えてくれていたのだろう。しっかりとした味付けは好みで、どれだけでも食べられそうだ。
「今日は依頼人が来るんだろう?」
食後のコーヒーまで飲むと、隣に座った梓玥が問いかけてくる。
「うん。大学の時の先輩で……覚えてる? 西山って」
「覚えてる」
賑やかだった、と一言のコメントに、瀧はソファを転げるほど笑う。
「そうそう! その西山先輩。何か問題があるっぽくて……オレのこと思い出して、相談したいって。十一時に来るって言ってたから、もうちょっとしたら下に行こうか」
瀧と梓玥が住んでいるのは、下町の雰囲気が残る街の、四階建てのビル。四階が書庫、三階が住居区画、二階が事務所で一階が喫茶店。梓玥の持ち物だ。
(階段下りるだけで出勤完了するから、楽といえば楽なんだよな)
気が向けば一階の喫茶店で茶をしたり、食事をすることもある。この店のビーフシチューは絶品だから瀧は時々ここで食べていた。思い出すと食べたくなる。今日の昼は西山と食べることになるだろうが、夜ならビーフシチューを食べられるだろうか。
(西山先輩、今度は何に巻き込まれたんだろ)
別に彼だけがトラブルメーカーだったわけではないが、彼がきっかけでトラブル——怪異との遭遇——に発展したことは何度かある。そういえば、今の梓玥との出会いも彼がきっかけだったと言えなくもない。
「懐かしいな……そういえば、オレが二年の年のゴールデンウィークだっけ、梓玥に遭ったの」
『会う』より『遭遇』だ。思えば初対面から梓玥に迷惑のかけ通しでここまで来ている。
「迷惑とは一度も思ったことがない」
「いつもそう言ってくれるけど。ありがとう」
「初対面で迷惑をかけたのは、私が先」
「ん? ……ああ……いや、あれは迷惑じゃない。サプライズみたいなもんだよ」
本当の初対面は、大学二年ではない。
もっと、ずっと昔だ。
「あー……なんか、懐かしいな」
色々思い出したよ。
梓玥に笑みかけると、コーヒーを飲み干した。
*******
誰かの――聞き慣れた声で呼ばれ、体を軽く揺すられる。揺する手は優しい。
「……ん……」
もぞもぞと薄い綿毛布に潜り込もうとしたのは、まだ眠いからだ。けれど瀧を起こそうとする誰かは諦めずに「起きて」と瀧の起床を促す。声は甘さを含んで優しい。
「…………んん……」
カーテンを開けられたらしい。目蓋の裏が明るい。
(まだ寝てたいけど……)
やむを得ず体を起こす。目はほとんど閉じたままだ。
「おはよう、瀧」
「……おぁよ…………」
ふぁ、と欠伸が漏れるのは仕方がない。昨夜は遅くまで起きていたし、今は八時だ。
(オレたぶんロングスリーパーだから、あと二時間くらい寝たいけど……)
普段はそれが許されているが、今日はそれが許されていない。仕事が入っているからだ。
起こしてくれた相手が、目許や頬を撫でてくる。大切なものに触れるような触れ方は、好きな触れ方だが、くすぐったい。
「シャワー、浴びてきて。朝食は用意する」
「ん……」
頷くと、ようやく薄い綿毛布から抜け出し、ぺたぺたと裸足で裸のまま浴室へ行く。熱いシャワーを頭から浴びれば、多少は頭がすっきりした。
浴室から出て髪を乾かし、一通りの身支度を整えてから、キッチンを回り込むようにダイニングへ行く。すっかり朝食の用意ができて瀧を待っていた。
コンソメスープ、目玉焼き、厚切りのハム、ベビーリーフのサラダ、ほうれん草とベーコンのバター炒め、じゃがいもとほうれん草と玉葱のキッシュ、こんがり焼けた三枚切りのトースト、オレンジジュース。ホテルのモーニングとして出しても遜色ないに違いない。けれどこれは瀧の「いつもの朝食」だ。
椅子に座ると、このモーニングプレートを作った目の前の男をまじまじと見つめる。料理は外食しない限り、毎食彼が作ってくれている。本来ならそんなことを一生しなくて済む身分なのに、物好きにも瀧の面倒は進んで見てくれる。
透き通り内側から輝くような滑らかな肌、切れ長の双眸、アイスブルーの瞳。通った鼻筋、薄いくちびる、膝ほどもある長い黒髪は、体の左前へ垂らされ、ゆるい三つ編みにされている。長い前髪は額の左右へ分かれていた。長い指、思ったより広い肩、厚めの体、力強い腕。服の上からでは優美にしか見えないのに、存外そうではないと知ってしまうと照れも混ざる。
どこをとっても一流の芸術のようなのに、それらが組み合わさっても少しも美しさを損なわない。むしろ、美しさを掛け合わせているようにも感じられた。崇高すら感じさせる。
それもこれも、彼がヒトではないからだろうか。
(朝から綺麗なものを見るのっていいな……幸せだ)
その幸せを朝食とともに噛み締めていく。
キッシュは最近の瀧の好物で、外のデリで見かけることがあれば買っていることを覚えてくれていたのだろう。しっかりとした味付けは好みで、どれだけでも食べられそうだ。
「今日は依頼人が来るんだろう?」
食後のコーヒーまで飲むと、隣に座った梓玥が問いかけてくる。
「うん。大学の時の先輩で……覚えてる? 西山って」
「覚えてる」
賑やかだった、と一言のコメントに、瀧はソファを転げるほど笑う。
「そうそう! その西山先輩。何か問題があるっぽくて……オレのこと思い出して、相談したいって。十一時に来るって言ってたから、もうちょっとしたら下に行こうか」
瀧と梓玥が住んでいるのは、下町の雰囲気が残る街の、四階建てのビル。四階が書庫、三階が住居区画、二階が事務所で一階が喫茶店。梓玥の持ち物だ。
(階段下りるだけで出勤完了するから、楽といえば楽なんだよな)
気が向けば一階の喫茶店で茶をしたり、食事をすることもある。この店のビーフシチューは絶品だから瀧は時々ここで食べていた。思い出すと食べたくなる。今日の昼は西山と食べることになるだろうが、夜ならビーフシチューを食べられるだろうか。
(西山先輩、今度は何に巻き込まれたんだろ)
別に彼だけがトラブルメーカーだったわけではないが、彼がきっかけでトラブル——怪異との遭遇——に発展したことは何度かある。そういえば、今の梓玥との出会いも彼がきっかけだったと言えなくもない。
「懐かしいな……そういえば、オレが二年の年のゴールデンウィークだっけ、梓玥に遭ったの」
『会う』より『遭遇』だ。思えば初対面から梓玥に迷惑のかけ通しでここまで来ている。
「迷惑とは一度も思ったことがない」
「いつもそう言ってくれるけど。ありがとう」
「初対面で迷惑をかけたのは、私が先」
「ん? ……ああ……いや、あれは迷惑じゃない。サプライズみたいなもんだよ」
本当の初対面は、大学二年ではない。
もっと、ずっと昔だ。
「あー……なんか、懐かしいな」
色々思い出したよ。
梓玥に笑みかけると、コーヒーを飲み干した。
*******
0
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました!
最終17位でした!応援ありがとうございます!
あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる