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3巻
3-1
しおりを挟む序章
太陽が真上を過ぎる刻。
四頭の竜に引かれたグラントゥルモス帝国の大型竜籠がオルドリア大陸の空を行く。
前方にはフレグンス王国の衛星国家であるサムズ国の紋章が描かれた二頭立ての簡易竜籠が二台、左右並行して飛んでいる。簡易竜籠に乗り込んでいるのは、数人の傭兵達。
彼らサムズの傭兵部隊に制圧された大型竜籠の中では、食堂、貨物室への通路、そして貨物室に二人ずつの見張りが立つ。
四大列強の和平会談に出席した各国の代表達はそれぞれ寝室に軟禁され、食堂と貨物室にはその付き人や部下達が拘束されていた。捕虜には術士か否かにかかわらず、術封じの枷が填められている。
食堂より繋がる寝室ブロックの一室にて、母アルサレナと共に軟禁されているフレグンスの王女レティレスティアは朔耶との交感を終えると、複雑な表情でアルサレナと向き合う。
「母様……」
「どうしました? レスティア」
「実は……サクヤと交感を繋いでいました」
彼女らの手に填まる術封じの枷は、結界をつくって魔力の循環を抑制し、被拘束者の交感の感知範囲を制限するものだが、朔耶の意識の糸はその結界を通り抜けて来たらしい。
アルサレナは、枷に刻まれた呪文が発動を示す光を放っていた事から、既にそれらのことに気が付いていた。
「やはりそうでしたか、あの子はこちらの世界に?」
「ハイ、精霊の視点を通して私達の危機を知り、その精霊の力で世界を渡ったのだと……」
「そうですか……それで、サクヤは何と?」
先程国境の街カンタクルに来ていたらしい朔耶は、『すぐそっちに行くから』と言って交感を解いた。レティレスティアがその事を話すと、アルサレナは少し考え込む。
帝国に攫われた折、精霊術士として目覚めた朔耶が様々な精霊術を行使してその力の応用範囲を広げていた事は、レティレスティアとの日々の交感を通じて明らかになっている。さらに朔耶が自らの意思で精霊に呼びかけて世界を渡ったと聞いたアルサレナは、朔耶の身に他にも何か大きな変化があったのではと感じていた。
「サクヤも、カースティアに向かっているという事でしょうか……?」
現在、竜籠は和平会談が行われていたカースティアに引き返している。
通常、カンタクルからカースティアまでは、どんなに急いでも半日はかかる。しかし、もし朔耶が精霊術の中でもとりわけ高位な『転移術』を使えるまでになっているとすれば、長大な距離も一瞬で飛び越える事が出来るはずだ。
「でも、カースティアには大勢の武装集団が……」
「ええ。ですが、それはサクヤも把握しているはず。何か考えがあるのでしょう」
とにかく、朔耶から次の連絡があるまで待ちつつ、自分達は現状打開の機会を窺う。不測の事態にも即応する心構えをしておくように、と言いアルサレナは話を締め括った。
第一章 道化師の暗躍
オルドリアの地に君臨する四つの大国。
精霊の国フレグンス、武の国グラントゥルモス、知の都ティルファ、商人国家キト。
この四大国の代表らが集まって行われていた和平会談は、グラントゥルモス帝国のバルティア皇帝が提案したものである。
帝国を裏から操っていた先代皇帝エイディアスが朔耶に討たれた事により、帝国の全権を掌握したバルティアは、フレグンスをはじめ各国との関係改善を図るため、また先代皇帝が画策していたサムズ国によるフレグンス侵攻の阻止も兼ねて、早期に和平会談を実現させたのだ。
しかし、サムズ国は彼の予想よりも早く侵攻を開始。サムズと同じくフレグンスの衛星国の一つであるクリューゲル国の首都、カースティアの大図書館で行われていた会談は、サムズ独立派を名乗る武装集団に突然の襲撃を受けた。
各国の代表は帝国の大型竜籠にて脱出を図ったのだが、サムズ国の竜籠隊に追撃を受け、乗り込んで来た傭兵達に制圧されてしまったのだった。
「あの……ヨールテス様にお薬を届けたいのですが……」
貨物室を見張る傭兵に、キトの代表団――綺麗どころ親衛隊の女性剣士の一人が声をかける。持病のあるヨールテスは、処方された薬を毎日決まった時間に飲まなくてはならないのだと言う。
傭兵達にとっても代表団は大事な人質。体調を崩されても困るという事で、軟禁してある部屋への立ち入りを許可した。綺麗どころ親衛隊の女性剣士は、実は格好だけ立派な剣士風に整えたほぼ素人集団なので、傭兵達もあまり警戒していなかった。
女性剣士が通路の見張りに連れられて食堂に入ると、壁際に並べられた椅子に枷で括りつけられて座っているフレグンスとティルファ、それに帝国の代表補佐官達の姿があった。彼らを横目に寝室ブロックに入り、ヨールテスの軟禁されている部屋の前で足を止め、扉越しに声をかける。
「ヨールテス様、お薬の時間です」
「おお、キルトか。入りたまえ」
失礼しますと言って部屋に入る。
ヨールテスはベッドに腰掛けて寛いでいた。女性剣士――キルトは扉を閉めて気配を探り、外で見張りが聞き耳など立てていない事を確認すると、おもむろにヨールテスの膝に跨る。
ふっと表情を緩めたヨールテスは、既に自力で外していた枷を脇にやりつつ、彼女の腰に手を回した。
「どんな様子だ?」
「今のところは、皆さん大人しくしていますね」
ガラリと口調の変わったヨールテスが他の人質達について訊ねると、キルトは貨物室からこの部屋へやって来るまでに見た各国代表の補佐官や付き人達の様子を語る。
「そうか、やれやれ……愚者を演じるのも疲れるな」
「そうですか? ヨールテス様、ノリノリだったじゃありませんか」
ヨールテスの首に腕を回し、耳元に唇を寄せたキルトは可笑しそうにクスクスと笑う。実は彼女は、綺麗どころ親衛隊の中に潜ませた、本物の腕を持つ密偵剣士であった。
「まあ、他の代表団の護衛が軒並み正義感の強い紳士であってくれたおかげで楽だったがな」
「うっふふ……皆さん、勇敢な騎士様達でしたね」
「長生きは出来なさそうだがな」
そう言ってヨールテスは、率先してカースティアに残り代表団と女性達を脱出させた各国の護衛達を鼻で笑い、キルトの首筋に舌を這わせる。彼女の喉からくぐもった嬌声が零れた。
「ふむ、また随分と溜め込んだモノだな」
「はい……魔術士の相手が、多かったモノで……んぁあ……っ」
キルトの首筋から赤い血が一筋、鎖骨の窪みを辿り胸の谷間へと流れ落ちる。鋭い牙で彼女の首筋を穿つヨールテスは、その魔力を自らの体内に吸収していった。
魔術が存在するこの世界では、人間は呼吸をするのと同じように、意識せずとも身体に魔力を循環させている。そのための臓器が備わっている訳ではないが、目に見えぬ魔力の通り道があるのだ。
さらにキルトは魔術的な処置によって体内を循環する魔力をせき止め、溜めておく器官を有していた。魔力は通常、意識の集中の他に、命を生み出すためのまぐわいによっても一時的にその循環量を増やす事が出来る。キルトは後者の方法で、相手の体内を循環する魔力を効率よく自身の中に取り込んでいた。
「サムズの指導者は小物だが、背後に付いている帝国の元側近か? 奴からは同類の気配を感じる」
「はい……エイディアス帝から……んぅ……精霊体化実験を……受けた形跡が……はぁ……」
溜め込んだ魔力を貪るように吸い出され、キルトは快感に身を捩る。彼女を抱きかかえながら、ヨールテスは今回のサムズによるクリューゲル侵攻の黒幕とも言える人物の事を考えていた。
帝国を裏で支配していた闇の皇帝エイディアス・スルート・グランが、傀儡皇帝バルティアに付いたフレグンスの発明家魔術士、サクヤによって討たれたその日。エイディアス帝の側近の中に、帝都城を脱出してサムズに亡命した者がいた。
『魔族』と称される自分達と同じ、異端の気配を持つその元側近にどこまで接近すべきか。
一般的にこの世界の『魔族』とは、邪業とされる異形化や不死の研究を率先して行い、その身を特異な状態に変化――すなわち『魔族化』させた者達の総称である。そして、それらの研究過程で実験に使われた動物が野生化したモノが『魔物』の祖であるとも謂われる。
ヨールテスはティルファで不老不死の研究をしていた学者術士の息子で、体内に呪文を刻むという手法で身体の老化を抑え、寿命を延ばそうとした一派の生き残りであった。加えて彼の場合は、定期的に外部から魔力の補給をする事で体内の呪文を維持している。
一方、エイディアス帝の不老不死研究では、体内に発掘品を埋め込む手法が取られていた。つまり件の元側近は、体内の発掘品で魔力の集束を早めるという実験を経て『魔族化』した者であった。
ヨールテスの側近でもあるキルトは、かつてキトを支配していた闇ギルドに所属する暗殺者だった。当時、キトの裏社会で頭角を現し始めたヨールテスに差し向けられたのだが、色々あって今は彼の魔力補給のための触媒となっている。キルトの魔力を溜め置く器官はヨールテスが施した体内呪文によるもので、彼女はヨールテスの手によって『魔族化』したのだ。
ヨールテスは恍惚とした表情を浮かべてしな垂れかかるキルトをベッドに横たえると、体内呪文の状態を検査して自らの力を確かめた。その間に、キルトの首筋についた傷がみるみる塞がっていく。
ちなみに、この『吸血鬼スタイル』による魔力吸収はヨールテスの趣味であり、別に噛む必要は無い。
(うむ、異常は無いな。さて……カースティアの陥落は必至というところだが――さっきの精霊術らしき意識の糸が気になるな)
サムズの反乱を利用し、まずはクリューゲル国全域を紛争地帯にする。ここまではおおむね計算通りに進んでいる。だが、今回の計略は未だかつて無いほど大規模な、国家戦略級のものだ。どんなイレギュラーが発生するやもしれない。
警戒だけは怠らないヨールテスであった。
食堂で拘束されているレイス達は、見張りの傭兵の力量を見定めつつ、来るべき一戦への気概を内に秘めていた。この大型竜籠に囚われている者達は帝国とキトの代表団以外、全員が術者である。
誰か一人でも術封じの枷を外す事が出来れば、傭兵達にかなりの脅威を与えられるだろう。
「大丈夫か? フレイ」
「はい、私は平気です」
気遣う言葉に微笑み返すフレイは、レイスの眼の奥に『やれるな?』という確認の意図を読み取って頷いた。
先程、キトの代表団の女性が食堂を通る際、見張りの視線が逸れた隙を突いて、帝国の皇帝補佐官アネットが合図を送ってきたのだ。彼女は既に外してある自分の枷を見せ、さらに指の間に先の曲がった針のようなモノをちらつかせていた。
食堂にいる見張りの二人は、交代で寝室ブロックと食堂を往復。左右の通路を巡回する二人は食堂で交代を行い、すれ違って反対側の通路へと進む。彼らは短い間隔で交代する事で不測の事態に備えている。仕掛けるなら、通路の見張りが食堂を出た直後を狙うしかない。アネットの開錠の腕と、その後の制圧力が鍵となる。
食堂の見張りの一人が寝室ブロックの方へ行き、通路の見張りがそれぞれ左右の通路へ別れて食堂を出て行く。足を投げ出し、だらしなく姿勢を崩して座っていたアネットはそれらをぼ~っと眺めていたが、ふいに寝室ブロックに向かう見張りの後ろ姿にギョッと顔を引き攣らせ、そのまま凝視した。
その様子に気付いた見張りの傭兵は、慎重に彼女の視線の先を確認する。そこには寝室ブロックに向かって歩く仲間の後ろ姿。特に不審な点は見られない。訝しんで視線を戻そうとした瞬間、彼の意識は暗転した。
ほんの一瞬の隙に音も無く近付いたアネットが、彼の首筋に指を押し込んで意識を奪ったのだ。
寝室ブロックに向かった見張りは、そのまま突き当たりで左右に伸びる通路を確認し、食堂の見張りと交代すべく振り返ろうとした瞬間、昏倒した。二人目を片付け物音一つ立てず素早く食堂に戻って来たアネットは、まずレイスの枷を外しにかかる。
通路から足音が迫り、見張りが食堂に入って来るのと枷が外れたのはほとんど同時だった。
見張りの傭兵は仲間が倒れている横で捕虜の一人が魔術士の枷を外しにかかっているという光景に眼を瞠り、声を上げて他の仲間に知らせようとしたが、その瞬間、喉を突かれて咽る。すかさずトドメの一撃で昏倒させるアネット。
間をおかず反対側の通路からも見張りが入って来たが、既に詠唱を行っていたレイスの氷結魔術によって一瞬の内に顔を氷漬けにされた。次いで手足も氷で固められ、もがく内に気を失ったらしく静かになった。アネットはそれを見て「えげつなー」などと呟きながら、すぐさまフレイや他の者達の枷も外しにかかる。フレイは、アネットに対する猜疑をまだ拭えないでいたものの、さすがは密偵部隊の精鋭と認めざるを得なかった。
「陛下!」
「アネットか、早かったな」
寝室で軟禁されていたバルティアは、こうなる事が当然とばかりにアネットを迎えた。アネットは、信頼されているのか豪胆なだけなのか判断に困るなぁと苦笑しながらバルティアの枷を外した。
「アルサレナ様、レティレスティア様、お二人ともご無事ですか」
別室に入ったレイスとフレイもそれぞれ二人の枷を外す。枷の鍵は三番目に倒した見張りの傭兵から奪ったものだ。ティルファの代表補佐官たちも自分達の主を解放し、皆で寝室ブロックの廊下に出て顔を合わせる。
昏倒させた見張りの傭兵達は外した枷で拘束した。後は貨物室の二人を何とかすれば、この竜籠は取り戻せる。問題は、先導するサムズの竜籠にこちらの竜の動きを牽制されている事だった。
ティルファの代表ブラハミルトが廊下の面々を見回し、ふと顔が足りない事に気付く。
「キトの髭オヤジはどうした?」
「いや~あの人面倒だから事が済むまで放置しちゃおうかな~なんて」
アネットが愛想笑いを浮かべてそんな風に答えていると、件の代表がいる部屋の扉が開いた。そして先程食堂を通過していった綺麗どころ親衛隊の女性剣士が現れる。
「あら? 皆さん何故ここに……?」
「ん? どうしたキルト、何かあったのかね?」
バレてしまっては仕方が無いとばかりに、アネットはレイス達から鍵を受け取ってヨールテスの枷を外すため、部屋へと足を踏み入れた。
「いや~さすがは皆さん、列強国の側近だけありますなぁ。これなら無事に帰国できそうですな!」
拘束された傭兵達を前に、踏ん反り返ってはしゃぐヨールテス。彼の事は捨て置き、アネット達は、貨物室にいる二人の傭兵とキトの綺麗どころ親衛隊のご婦人方をどうするか話し合っていた。
彼女らを人質にされたら元の木阿弥だ。またサムズの傭兵は、貨物室の二人の他に簡易竜籠の一台に乗る八人と、現在拘束している者達が乗ってきたもう一台に残る二人。それ等を加えると、戦力では依然としてこちらを上回っている。
「まずはこちらの竜籠を完全に制圧し、敵竜籠は魔術で追い払うしかないでしょうね」
「問題は貨物室の二人だな。侵入口になった上部扉付近にいる。二人同時に押さえねば、すぐに連中の仲間が乗り込んで来るぞ」
「人質さえ取られないようにして片方を仕留めれば、後はどうにかなると思うんだけど」
レイスとブラハミルトが、行動方針とそれを進める上での障害を挙げていくと、アネットがそれらの打開策を提案する。
こうした特殊な事態に的確な対応ができる者は、密偵叩き上げのアネット、騎士団での任務経験を持つレイス、戦略面に通じるブラハミルトの三人だけだ。
だがブラハミルトは、魔術を発現するために道具や材料を必要とする触媒型の魔術士なので、触媒が無ければ戦えない。その他、アルサレナは戦場での戦闘経験があるものの、どちらかと言えば防御系に特化した術者であり、バルティアは基礎的な戦闘訓練しか受けていない。またレティレスティアも実戦経験が無いので戦力にはならない。
つまり、現状で戦えるのはアネット、レイス、フレイ、ティルファ代表の補佐官二人。アルサレナには制圧後の護りを請け負ってもらう。
「おお! それなら儂に良い案がありますぞ!」
話の輪に入ってくるヨールテスに、アネットが胡散臭げな視線を向ける。だがそれに気付かぬ様子のヨールテスは、隅っこに立っていたキルトを呼んで『良い案』の説明を始めた。
「この娘を使って連中の気を逸らせばいいんだ! 食堂からの差し入れだとか言って茶菓子でも持って近付き、奴等がそっちに気を取られている隙に魔術でドカンと! あ、なんだったら茶に眠り薬を入れるというのはどうだ?」
これは妙案だと自画自賛しているヨールテスはひとまず放っておき、キルトを囮に使うという想定のもと意見を交わすアネットとブラハミルト。
「うーん……連中の錬度からしてまず手を付けないと思うし、もしかしたらあの子が近付いた時点で警戒するかもね」
「しかし、気を引く事は出来るな……幸い通路は二つある」
それにそろそろ通路の見張りがいない事を貨物室の二人に気付かれるかもしれない。
迷っている時間はないと考えたアネット達は、その作戦で行く事にした。
左側の通路からキルトとアネットが貨物室に進み、途中アネットは通路の死角で待機。
まずお茶を持ったキルトが見張りに近付いて声をかける。レイスと、ティルファの代表補佐官二人は右側の通路から同じく貨物室に進み、タイミングを見計らって魔術を撃ち込む。
制圧後は上部扉からフレイの魔術でサムズの竜籠を追い散らす。上部扉は一人分の幅しか無いため、最も火力の高いフレイがその役に充てられた。その際、アルサレナが使役する精霊を使って結界を張り、攻撃手のフレイとこちらの竜籠を、傭兵達の弓などによる反撃から護る。
「――精霊よ風の加護をこの者に――」
「わおっ、いいわねコレ」
レティレスティアから『風の加護』を受けると、アネットの身体が軽くなった。
「よし、では行こう。キルトといったね、よろしく頼むよ」
「はい」
お茶を載せたトレイを持って左の通路に進むキルト。気配を消したアネットがその背後に続く。二人を見送った後で右の通路に歩み出るレイスとティルファの代表補佐官二人。少し間を開けて、フレイとアルサレナも続いていく。
居残り組はレティレスティアとバルティア、ブラハミルト、そしてヨールテスの四人。だがヨールテスは少し休むと言って寝室ブロックの方へ引っ込んでしまい、残りの三人は食堂にて首尾を待つ事となった。
「式典以来ですな、レティレスティア様。貴女も何かとトラブルに見舞われるようで」
「ブラハミルト様も、此度は災難でしたわね」
レティレスティアとブラハミルトは以前、ティルファの式典でも顔を合わせている。その帰り、レティレスティアは帝国の特殊部隊に追われ、森で朔耶と出会ったのだった。
「こんな時に不謹慎かと思いますが、サクヤ殿について詳しい話をお聞かせいただきたい」
「サクヤの事、ですか……」
レティレスティアは少し迷ったが、サクヤが異世界から来た人間である事は既に母アルサレナから明らかにされているため、性格や嗜好程度の差し障りのない範囲で話に応じる事にした。サクヤが精霊と重なっていた事や、こちらの世界に戻って来ている事は伏せておく。
「サクヤは、不思議な方です」
その声に、壁際で腕組みをして立っているバルティアもしっかり聞き耳を立てていた。
貨物室の一角に身を寄せ合っているキトの綺麗どころ親衛隊の女性達は、見張りの傭兵に近付いていくキルトの姿を、ハラハラしながら見守っていた。
彼女達の中でキルトは、ヨールテス伯爵のお気に入りだが何かとそそっかしく、よく色んな男に誑かされては朝帰りをしている危なっかしい娘、で通っている。
「あの……お茶の差し入れに」
「ん? 何だお前は」
「通路の見張りはどうしたんだ、こんな予定は聞いていないぞ」
訝しむ傭兵達を前にオドオドして見せるキルト。その時、何かに気付いたようにピクリと顔を上げた彼女は、お茶のトレイを投げ捨てると、胸元から取り出した物体を足元に叩き付けた。
そこから煙が噴出して一気に貨物室の視界を奪う。通路の死角から様子を窺っていたアネットは、彼女の突然の行動に狼狽する。
(な、何やってんのあの子! こんなの聞いてないわよ!?)
飛び出すべきか否か測りかねていたアネットだったが、突然背中に悪寒が走り、咄嗟に後ろへ飛ぶ。数瞬前まで立っていた場所を冷たい気配が一閃した。その瞬間、アネットは裂かれた煙の隙間にナイフを持ったキルトの姿を認める。
まるで別人のような顔つきのキルトは、そのまま突っ込んで来て続けざまにナイフを繰り出す。アネットはそれを捌きながら、風の加護によって軽くなった身体で壁に向かって跳び、さらにその壁を蹴って反対側の壁、そして上方へと跳び上がって体勢を変えると、背後に回り込むように見せかけて天井を蹴った。
背後からの急襲と読んだキルトは身体を反転させながらナイフを振るう。だがその刃は空を切り、真上から降ってきたアネットに一撃を入れられた。
「ちっ」
ナイフを弾かれたキルトはすぐさま打たれた手を引っ込めると、相手の着地の瞬間を狙って斜め方向に蹴り上げる。アネットは着地した体勢からさらに身を伏せて蹴りを躱した。わずかに掠った服の背中が裂ける。キルトの靴の爪先からは、仕込まれていた暗器が突き出ていた。
ギリギリまで伏せていたアネットが全身のバネを使って前に飛び出すと、空振りしたキルトの蹴りが元の軌道に沿って振り下ろされた。構わず突進してその腿裏を肘で突き返しながらキルトの腕を取り、手首を掴んで背中に捻り上げようと密着すれば、キルトは身体を強引に押し込んでアネットを壁に打ち付けた。
さらにそのアネットの足をキルトの爪先の刃が狙うが、アネットは足を絡めてこれを阻止する。アネットに半分腕を極められて動けないキルトと、暗器攻撃を防ごうとキルトに足を絡めているため動きの取れなくなったアネットの接近戦は完全に膠着した。
「なかなか上手く化けるじゃない」
「さすがは帝国の精鋭密偵部隊ね」
互いに一瞬の気の緩みも見せないまま軽口を叩き合う。そんな中、アネットは内心舌打ちしていた。キルトが敵方だったという事は、ヨールテスもサムズ側の人間なのかもしれない。あのある意味分かりやすい愚者ぶりは演技ではなかろうか。
「うっふふ……ヨールテス様の事を疑っているのね? ア・タ・リ」
「……」
肯定を返されてアネットは心の中で項垂れる。『一杯食わされた』と。
そして何となく、朔耶の事を思い出していた。
「よもや貴方がサムズに与していたとは」
「意外だったかね? まあ、儂的にはサムズなぞどうでも良いのだがね」
貨物室の煙が上部扉から吸い出されて視界が戻る。そんな中、ヨールテスによって解放された傭兵達は、レティレスティアとブラハミルト、それにバルティアを人質にして、レイス達を捕らえようとしていた。外では、サムズの傭兵達が大型竜籠から噴き出した煙を訝しみ、竜籠を寄せてこちらの上部扉に弓を向けて威嚇している。
「キルト、こちらは片付いたぞ」
ヨールテスが声をかけると、左側の通路からアネットにナイフを突き付けたキルトが現れた。二人とも衣服の彼方此方が擦り切れ、肌が露出している。アネットは降参ポーズで肩を竦めながらバルティアの隣に立った。ヨールテスは二人の様子を見て面白そうにキルトに問う。
「随分と手こずったようだな?」
「ええ、思いのほか手強かったです」
「キトの代表である貴方がこのような行いに出るという事は、キトはサムズと共謀してフレグンス、ティルファ、グラントゥルモスと刃を交えるつもりなのですか?」
アルサレナの問いにヨールテスはやや不遜な面持ちで笑うと、『さて、どこまで話しておこうか』と考え込む。そして謎かけをするように言った。
「此度の戦、サムズが勝てば、グラントゥルモス帝国もフレグンス王国も、知の都ティルファでさえも滅び去る。商人はただ武器と糧と媚を売り、大陸全土を買うだろう」
「すると、サムズが負ければキトも滅亡か?」
サムズを全面支援する事でキトはオルドリア大陸全土の覇権を狙っている、と解釈したブラハミルトの言葉に、ヨールテスは首を振って笑う。
「キトは群体の国だからな、表の支配者がしばらく裏に回るだけさ。誰も責任は取らんよ」
その返答にブラハミルトは眉をひそめる。『表の支配者がしばらく裏に回る』とは、現在のキトの支配者が建前上失脚して見せ、キトの存続を狙うという意味なのか、それとも単に身を隠して責任を逃れるという意味か。
確かに、キトは政府の所在がはっきりしない特殊な体制の国だ。今回の戦でサムズが滅んだとしても、サムズに与した事について直接的な責任の追及や報復を受けにくい。
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