ZERO〜訳ありオメガ、軍人アルファに囲われて幸せになります〜

犬っころ

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一章

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湿った夜の空気が、ホテルの部屋の中にも染み込むように漂っていた。

部屋の明かりは薄暗く、街灯の光がレースのカーテンを通してぼんやりと差し込んでいる。
ベロニカがシャワーを浴びる音が止まり、バスルームの扉が静かに開いた。
濡れた金の髪が肩に張り付き、タオル一枚を巻いただけの姿。彼女は一言も発さず、ただまっすぐ奏を見ていた。

「所であなた、第二性は何かしら。アルファの匂いもベータの匂いも、オメガの匂いも無い。まるで未分化の子供みたいね」

「そりゃどうも、お喋りがしたいなら別を当ってくれ」

視線が絡む。何も問わず、何も語らない。
ただ熱だけが、身体の奥から湧き上がっていく。

ベロニカがベッドの端に腰を下ろす。その動作すら挑発的で、息を呑むほど滑らかだった。
ベロニカはベッドに腰かけたまま、煙草に火をつける。
煙が細く立ち上る間、誰も言葉を発しない。

――沈黙が、すべてを語っていた。

煙草を灰皿に押しつけた瞬間、ベロニカの指がタオルの端をほどいた。
布が滑り落ちる音がやけに大きく聞こえた。
奏は立ち上がると、無言のまま彼女をベッドへと押し倒した。

口づけは乱暴だった。互いの呼吸を奪い合うような、獣じみたキス。
ベロニカは少しも怯まず、むしろ挑むように舌を絡めてくる。


「ん、ぁあ…気持ち、いいわ」

ベロニカの手が奏の背に爪を立てる。痛みすら甘く、肌の奥に焼きついた。
息が混ざり、熱が擦れ合い、混ざり合う。

時間の感覚だけが失われていく。
ただ本能だけが、ふたりの身体を突き動かしていた。

奏は一度もベロニカの名を呼ぶことはなかった。
ただひたすら、無言で、貪るように彼女を抱いた。

それはまるで、自分の空虚を埋めるような行為だった。
心が痛むのではなく、麻痺しているような感覚。
誰を愛しているわけでもない。ただ、抱き合い、性欲を発散させる。オメガとしての性欲が出てこないうちにケツを締め男である自分を信じていた。

夜が深まるにつれて、ふたりの身体は次第に溶け合い、汗と熱にまみれていった。

そして最後に、奏は静かに、息を整えるとベロニカの髪を指先で梳いた。
その目には、ほんのわずかに陰が差していた。
まるで、何かを誤魔化すように。

けれどベロニカは何も言わず、ただ目を閉じて、微笑んだ。

「あなた、歳の割にはセックスが上手なのね」

奏はまたしても無言で腰を動かした。
ベロニカの肌に触れるたび、奏の中で理性がじわじわと削られていく感覚があった。汗ばんだ肌の温度、滑るような曲線、指先に伝わる微かな震え――すべてが心地よい錯覚をもたらし、現実と夢の狭間に堕ちていくようだった。
ベロニカの吐息は鼓膜をくすぐるように甘く、時折押し殺したような呻きが空気を震わせる。奏の身体は火照りを帯び、触れるほどにさらに深く溺れていくような感覚に襲われていた。
汗と香水、肌と肌の摩擦音、誰にも聞かれないこの空間がふたりの世界を作っていた。
何度も何度も、名前を呼びかけるようなベロニカの声に、奏は無意識に応える。絡み合う手と手、肌と肌、互いの存在を確かめ合うように、息を詰めては深く吐き出す。快楽の波に呑まれながらも、どこかで心のどこかが満たされていくような錯覚に、奏は戸惑いながらも身を任せていた。
時折、ベロニカが囁く言葉に、奏の胸がきゅうと締めつけられる。その声には痛みがあり、温もりがあり、孤独を抱えた誰かの呼び声のようでもあった。奏の指先がベロニカの肌をなぞるたびに、夜の熱がさらに深まっていく。
ベロニカは目を閉じ、ただその感触に身を委ねていた。互いに言葉は少なく、ただ触れ合う音と吐息だけが、暗い室内に重なっていった。一瞬一瞬の交わりが、どこか獣のような本能のままに流れていく。奏は何かを埋めるように、何かを掴みたがるように、必死だった。ベロニカもまた、その激しさを拒まずに、むしろ求めるように絡みつく。抱きしめる腕の力──それら全てが夜の渦の中で溶けていく。奏の指先がベロニカの肌をなぞるたびに、夜の熱がさらに深まっていく。

「出る」

低く、押し殺すような声に、ベロニカは微かに目を細めた。
その顔には、快楽に濡れた陶酔と、それ以上の覚悟が滲んでいる。

「……中に出してちょうだい」

吐息まじりの声は、命令でも懇願でもない。
ただ、そこにあるのは完全な受容――何もかも、あなたに委ねる、という意志の表れだった。ベロニカは息を呑み、目を閉じた。
指先が震える。
背中が反る。

身体の奥に広がっていく熱に、意識の境目が曖昧になっていく。
心と体の輪郭が溶けていくたび、彼女の唇は、名前を――ただひとつの名を、何度も繰り返した。

「奏……っ、奏……」

やがて、身体の奥底にぶつけられるように、熱が注ぎ込まれた瞬間、
ふたりの時間が、ひとつに重なった。

「黙って出されとけ。」

奏は果てるとすぐに腰を引き、そのままベッドに腰をかけた。
しんとした空気が、重く肌にまとわりつく。
部屋に残るのは、火照りの余韻と、微かな呼吸の音だけ。

ベロニカはベッドに沈むようにして眠る片腕を額の上に投げ出し、浅い寝息を立てている。
その顔は、さっきまで自分を受け入れていた女とは思えないほど、幼く、穏やかだった。

「久しぶりに気持ちいいセックスだったわ。」

だが、奏は一言も発さなかった。
視線を向けることさえ、何かを裏切るようで、ただ黙ってベッドを降りた。

「もう行くの?」

相変わらず返事さえ返さず足音を忍ばせながら、奏は脱ぎ捨てた服を拾い、バスルームへと入る。
蛇口を捻ると、冷たい水音がタイルに跳ね、少しだけ現実に引き戻されたような気がした。
鏡の中の自分を見つめることはしない。ただ、黙々と汗と匂いを洗い流す。
情欲も、触れられた痕も、熱を孕んだ記憶さえも。

まるで罪を洗い落とすように、何度も指を滑らせた。
それでも、頭の奥に微かに残る快楽の残響が、皮膚のどこかに居座っている気がして、
奏は一瞬、息を詰める。

シャワーの音に紛れて、ぬるりとした感触が肌を這った。

一瞬、何かが流れ落ちたのかと錯覚した。

だが、指先で確かめた時、自分の身体から分泌されたと気づいて、奏は小さく舌打ちをした。

「……クソ」

誰に向けたわけでもない、ただの独り言だった。

石鹸を手に取り、何度も、何度もその敏感な穴付近をこする。
肌が赤くなるほど、丁寧すぎるほどに洗っているのに、それでも気が済まなかった。

まるでそこに触れられたかのような感覚が染み付いているようで、何かが身体の奥に残っているような、妙な不快感が取れなかった。

女を抱いた後さえ自分がオメガであるという現実を、突きつけられたような気がしてならない。

洗っても洗っても、どこかに残っているような気がする。
それはただの感触ではなく、もっと――根深い、なにか。

奏はしばらく立ち尽くしたまま、顔を上げずに冷水を浴び続けた。

濡れた髪を乱暴に手ぐしでかき上げながら、バスタオルを巻いたまま鞄を漁る。
その内ポケット――暗い布の裏に隠すように入れていた、あの小さな瓶。

震える手でキャップを開け、錠剤を3つ掌に落とす。
夜に飲むには少し重い。だが今の自分には、それくらいでちょうどいい。

バスルームに備えつけられた紙コップに水を汲み、口に放り込んで一気に流し込む。
喉に苦味が残った。

「酒がねぇとンなの飲めやしない。ひでぇ味だな」

薬の味に、やっと現実を取り戻した気がした。

ベロニカには、何も言わなかった。
いつの間にか眠っていた彼女を起こす気にもならない。
きっともう二度と、会うことはない。その安心感が妙に心地よい

タオルで水気を拭き取り、服を身に纏いながら、奏は最後に部屋を振り返った。

静かだった。
あまりにも、何もなかったかのように。

ドアノブをそっと回す。
廊下の灯りが、ぼんやりと夜明け前の青白さを部屋に落とした。

シャワーの熱も、ベロニカの体温も、すでに遠く感じる。

――恋心はおろかベロニカを一人にしてまった罪悪感さえ何も抱かずに、自分がいた痕跡も残さずに帰路に着く。

そうして奏は、ホテルの扉を静かに閉じた。

足早に夜の街へと歩き出す背中に、もう揺らぎはなかった。
ただ静かに、心の奥の空洞を抱えて。

「…ぁあ、眠てぇ」

白身がかかってきた空と地平線のわずか上に出てきた太陽に語りかけるように言う。

少しでも眠れれば――それでよかった。
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