ZERO〜訳ありオメガ、軍人アルファに囲われて幸せになります〜

犬っころ

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六章

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ガコン、と無機質な音を響かせ、エレベーターが停止した。
 鈍く開かれた扉の先には、闇に沈んだ廊下があった。

 だがそれは一瞬――次の瞬間には、視界が光に焼かれる。

 「伏せて!」

 かりんが叫び、咄嗟に奏の頭を押さえ込む。炸裂する閃光弾の閃き、立ち昇る白煙。煙の向こうから、足音。重く、規則的で、訓練された者たちのそれ。

 ――待ち伏せ。

 視界が戻る前に、銃口の影が煙の中から立ち上がった。

 「武器を捨てて、両手を上げろ。抵抗すれば射殺する」

 低く冷たい声。感情が削ぎ落とされたような口調。奏の鼓動が、ズン、と内側から跳ねた。

 “今の俺ら、戦える状態じゃねぇだろ…”

 銃弾を抜いたばかりの足は、焼けるような痛みで動かない。息を整えるだけで胸が痺れる。対して相手は……四人。フルフェイスのヘルメットに、黒い防弾装備。警備員じゃない。これは“消しに来た側”の人間たちだ。

 「特殊傭兵……? 違う、あの装備、民間軍事会社かも」

 かりんの声が震えていた。それでも、ナイフを握り直し、半歩だけ前へ出る。

 「無理に動かないで。まだ録画は続いてる。だから――何としてでも、生きて届けなきゃ」

 白煙が少しずつ晴れてゆく。
 目の前に並んだ銃口の列。それは命の重さを問う暇すら与えず、ただ黙々と“排除”のためにそこにある。

 「3秒以内に降伏しなければ、排除する」

 機械のように告げられる声。1秒。2秒。

 かりんが叫んだ。

 「ゼロの製造証拠を! 性犯罪の記録を! 私は全部持ってるのよ!」

 その叫びが空気を切り裂いた瞬間――

 パンッ、と乾いた発砲音。真横の壁に、閃光のような火花が散った。威嚇射撃ではない。狙いは、かりんの頭だった。

 「……っ、殺す気じゃん……!」

 奏は咄嗟にスマホをかばうように体を丸めた。

 「ここで死ぬわけにはいかない。マジで……っ」

 その時、エレベーターの背後、降りてきたシャフトの奥から低く唸るような機械音が響いた。

 ――ドガン!

 爆発音。背後の非常口が吹き飛び、瓦礫の隙間から、別方向の煙が立ち昇る。

 「今だ、あっちの通路、隙が開いた!」

 かりんが叫び、奏を肩で支えながら跳ねるように横道へ飛び込む。銃弾が背後から雨のように飛ぶ。壁に、天井に、床に、乾いた破裂音と火花が弾ける。

 「はぁっ、はぁっ、っだめだ足が――!」

 「喋るな、死にたくなきゃ前だけ見て!」

 奏の肩を押し、かりんは右手でスマホを、左手でナイフを握りしめていた。録画は止めない。止める理由がない。もしここで二人が殺されても――この映像さえ残れば、誰かが知る。

 だがその時。

 真正面の曲がり角。さらに――黒ずくめの別の部隊が、今度は盾を構えて立ちはだかった。

 ――挟み撃ち。

 息を呑む。出口は無い。

 (終わりだ)

 奏は思った。かりんもきっと、同じことを思った。

 ――だが。

 ――カラン、カラン、と硬質な音を立てて、何かが床を跳ねながら転がってきた。小さな金属の球体が数回弾み、奏たちの足元で止まる。

 「グレネード!? いや、これは――」

 次の瞬間、世界は白一色に塗り潰された。

 視界を焼き尽くす閃光。

 そして耳を貫く、脳に突き刺さるような「ツーーー」という高周波ノイズ。鼓膜を叩くのではなく、思考そのものを攪乱するような異常音に、奏はその場に崩れ落ちた。

 「っぐ……ぅ……ッ」

 立っていられない。意識が引き裂かれるような感覚。全身が軋み、耳鳴りと眩暈が波状に押し寄せる。

 その中で、ひときわ低く、冷ややかな――だが、何よりも恋しくてたまらなかった声が響いた。

 「……制圧、開始」

 ――ノア。

 低く、静かで、だが有無を言わせぬ支配力を帯びたその声に、奏の腰がぶるりと震えた。理性が溶けそうになる。

 軍人としてのノアの“本性”がそこにあった。

 立ち込める白煙のなかを割って、黒一色の装備に身を包んだ影たちが次々に現れる。夜間用の戦術ゴーグル、肩に刻まれた特殊部隊章。サプレッサーつきのライフルが無駄のない動作で標的を制圧していく。

 「制圧、完了区域α」

 「制圧、区域β、クリア」

 ノアの部隊が発する無機質な声が、次々にその空間の主導権を奪っていった。

 かりんが奏の腕を掴む。「あれ……味方?」「あぁ……」奏は頷いた。目の前の光景が信じられなかった。銃声も、怒号も、悲鳴もない。ただ、静かに、確実に、制圧だけが進んでいく。

 ――まるで、神の手が地獄に差し伸べられたようだった。

 「制圧、区域γ――完了」

 最後の報告が無線越しに静かに告げられた時、かりんは息を呑んで肩を上下させながら奏の隣にしゃがみ込んだ。奏は銃弾に撃たれたふくらはぎからの出血と、閃光と音響の余波でまだ朦朧としている。かりんが叫ぶように名前を呼ぶのが遠くで反響しているように聞こえた。

 だがそのとき――

 コツ、コツ、と重みのある軍靴の足音が近づいてくる。

 その音だけが、喧騒の余韻を静かに切り裂くように響いていた。まるで“それ以外の全て”がノアのために沈黙したかのようだった。

 白煙を割って現れたのは、フル装備のノアだった。

 黒い戦術服に身を包み、迷彩柄のプレートキャリアが鋼鉄のような存在感を放っていた。ヘルメット越しにのぞくゴーグルの奥の瞳は鋭く、誰にも感情を読ませない。

 だが、その歩みに迷いはなかった。

 奏に一直線に向かってくる。その様は、命令でも義務でもない。ただ、“会いに来た”という圧倒的な意志だけが歩調に刻まれていた。

 かりんが一歩後ろに下がった。ノアが奏の前で膝をつく。

 「……奏」

 その名前を、まるで壊れ物に触れるような低さで口にした瞬間、奏の全身がびくりと震えた。

 ノアは手袋を外すと、ゆっくりと奏の頬に触れた。

 「……来るのが遅れて、すまない」

 その言葉は、軍人の声ではなかった。兵士としての指揮官の顔でもなかった。

 ただ、必死に君を追いかけてきた、“ひとりの番”の声だった。

 奏の乾ききった唇がわずかに開く。

 「……なんで……来たの……」

 涙か汗か分からない水滴が頬を伝う。ノアはそのしずくを親指でぬぐった。

 「迎えに来たに決まってるだろ。俺が、誰よりも先に、お前を連れ戻す」

 その目には、迷いも後悔もなかった。

 ただ一人を見つけ出すために、地獄の底を歩いてきた男の確信だけが宿っていた。

 奏はその目を見て、ようやく意識が輪郭を取り戻す感覚を覚えた。胸の奥に染みついた孤独や痛みが、少しだけほどけた気がした。

 「……遅ぇよ、バカ」

 それでも言葉は憎まれ口だった。だが、声が震えていた。涙も、唇の端の笑みも、すべてが“助けて”と叫んでいた。

 ノアは、頷いた。

 「もう、大丈夫だ。……俺たちがいる」

 そのひと言が、今夜のすべてを溶かすようだった。

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