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番外編
俺が意識を飛ばすまでのVlog④
昼飯を片付け、夜の仕込みに取りかかる頃。
台所には、包丁のリズムと水音が響く。
刻んだ葱の青い香りと、煮干しの出汁の匂いが混じり合い、屋敷の隅々に「夕餉の支度」の空気を漂わせていく。
ちょうどその時間、雅也は学校から帰ってくる。
朝は、どうしても時間が合わない。
俺や組員たちの朝飯は八時ちょい過ぎだが、雅也は八時には屋敷を出る。
だからいつも、森内が軽い朝飯を用意してやっている。
握り飯と卵焼きに、温かい味噌汁。
あの無骨な男が、弟のためにせっせと台所に立っていると思うと、少し笑えてくる。
「ただいま!!!」
黒塗りの高級車が駐車場に滑り込み、玄関の扉が勢いよく開いたかと思うと、ランドセルを背負った雅也が弾丸みたいに飛び出してくる。
玄関で靴を脱ぐ姿までが全力投球で、廊下にまで声が響いた。
……その声を聞くだけで、胸の奥がじんとする。
病室で青白い顔のまま笑う雅也を見てきた俺からすると今、走っているのすら奇跡だ。病院にいた頃は穏やかで物静かなイメージがあったが学校に行き始めると弾けるような笑顔を取り戻した。
あの頃、何度も「もう無理だろう」と言われた。医者にも、親戚にも、他人にも。
奇跡なんてあり得ない、と。
けれど――暁臣が出した莫大な金と、最先端の医療が、弟の命をつなぎとめた。
手術も治療もきっと地獄のように苦しかった。それでも、雅也は耐えた。
今、こうして「ただいま」と叫んで帰ってくる。
それは、どんな奇跡の言葉よりも、俺の心を救う。
もちろん、完全な安心なんてどこにもない。再発の可能性はゼロではない。
月に一度の検査は、今も欠かせない。
それでも――ランドセルを揺らして走る姿を見れば、そんな不安も一瞬だけ忘れられる。
「おかえり、雅也」
俺は台所から顔を出し、声をかけた。
雅也は、ランドセルを揺らしながら廊下を駆け抜け、そのまま俺に飛びついてきた。
「蓮兄、今日のご飯なに?!」
息を切らしながら、目を輝かせて問いかけてくる。
この笑顔を、何度夢に見ただろう。
“また見られる日が来る”なんて、思ってもいなかった。
「今日はカツ丼だ。晩飯までまだ時間あるから、先に宿題でもやっとけ」
「はーい!」
返事は相変わらず元気一杯で、返事の後に続く足音までが騒がしい。
部屋住みの若い衆を捕まえては「ランドセル持って!」だの「宿題教えて!」だのギャーギャーやって、
笑い声を屋敷いっぱいに響かせる。
その光景に、どれだけこの屋敷が救われていることか――本人は気づきもしないだろう。
ひとしきり騒いだ後、雅也はまたバタバタと自室へ走って行った。
小さな背中が見えなくなるまでを目で追ってから、俺はふと思い出す。
……そういえば前に、一度だけ雅也に聞いたことがある。
『車で送ってもらってるの、友達にはなんか言われてねぇか?』
誘拐の危険性を考え、雅也の送り迎えは必ず車。
しかもよりにもよって、誰がどう見てもヤクザが運転していそうな黒塗りの高級車だ。
普通の小学生がそんな車で登校していたら、どうしたって浮く。
俺としては心配で仕方がなかった。
だが――雅也の答えは、俺の想像を軽々と飛び越えていった。
『僕が不快な思いをしたからケジメつけて指落とす?って言ったらもう意地悪して来なくなったよ』
その言葉を聞いた時は、口から何も出なかった。
いや、笑っていいのか怒っていいのかも分からなかった。
……どこの小学生がそんな台詞を言うんだ。
ヤクザの屋敷で過ごした結果がこれかと思うと、兄としては胃の辺りがむず痒くなる。
それでも――その目がまっすぐで、悪びれていなかったから…まぁ、もういいや
「……誰に似たんだか」
呟いて、俺はまた包丁を握り直した。
出汁の香りに、笑い声が混ざる。
それは、抗争も血も遠ざけた、ささやかな日常の匂いだった。
台所には、包丁のリズムと水音が響く。
刻んだ葱の青い香りと、煮干しの出汁の匂いが混じり合い、屋敷の隅々に「夕餉の支度」の空気を漂わせていく。
ちょうどその時間、雅也は学校から帰ってくる。
朝は、どうしても時間が合わない。
俺や組員たちの朝飯は八時ちょい過ぎだが、雅也は八時には屋敷を出る。
だからいつも、森内が軽い朝飯を用意してやっている。
握り飯と卵焼きに、温かい味噌汁。
あの無骨な男が、弟のためにせっせと台所に立っていると思うと、少し笑えてくる。
「ただいま!!!」
黒塗りの高級車が駐車場に滑り込み、玄関の扉が勢いよく開いたかと思うと、ランドセルを背負った雅也が弾丸みたいに飛び出してくる。
玄関で靴を脱ぐ姿までが全力投球で、廊下にまで声が響いた。
……その声を聞くだけで、胸の奥がじんとする。
病室で青白い顔のまま笑う雅也を見てきた俺からすると今、走っているのすら奇跡だ。病院にいた頃は穏やかで物静かなイメージがあったが学校に行き始めると弾けるような笑顔を取り戻した。
あの頃、何度も「もう無理だろう」と言われた。医者にも、親戚にも、他人にも。
奇跡なんてあり得ない、と。
けれど――暁臣が出した莫大な金と、最先端の医療が、弟の命をつなぎとめた。
手術も治療もきっと地獄のように苦しかった。それでも、雅也は耐えた。
今、こうして「ただいま」と叫んで帰ってくる。
それは、どんな奇跡の言葉よりも、俺の心を救う。
もちろん、完全な安心なんてどこにもない。再発の可能性はゼロではない。
月に一度の検査は、今も欠かせない。
それでも――ランドセルを揺らして走る姿を見れば、そんな不安も一瞬だけ忘れられる。
「おかえり、雅也」
俺は台所から顔を出し、声をかけた。
雅也は、ランドセルを揺らしながら廊下を駆け抜け、そのまま俺に飛びついてきた。
「蓮兄、今日のご飯なに?!」
息を切らしながら、目を輝かせて問いかけてくる。
この笑顔を、何度夢に見ただろう。
“また見られる日が来る”なんて、思ってもいなかった。
「今日はカツ丼だ。晩飯までまだ時間あるから、先に宿題でもやっとけ」
「はーい!」
返事は相変わらず元気一杯で、返事の後に続く足音までが騒がしい。
部屋住みの若い衆を捕まえては「ランドセル持って!」だの「宿題教えて!」だのギャーギャーやって、
笑い声を屋敷いっぱいに響かせる。
その光景に、どれだけこの屋敷が救われていることか――本人は気づきもしないだろう。
ひとしきり騒いだ後、雅也はまたバタバタと自室へ走って行った。
小さな背中が見えなくなるまでを目で追ってから、俺はふと思い出す。
……そういえば前に、一度だけ雅也に聞いたことがある。
『車で送ってもらってるの、友達にはなんか言われてねぇか?』
誘拐の危険性を考え、雅也の送り迎えは必ず車。
しかもよりにもよって、誰がどう見てもヤクザが運転していそうな黒塗りの高級車だ。
普通の小学生がそんな車で登校していたら、どうしたって浮く。
俺としては心配で仕方がなかった。
だが――雅也の答えは、俺の想像を軽々と飛び越えていった。
『僕が不快な思いをしたからケジメつけて指落とす?って言ったらもう意地悪して来なくなったよ』
その言葉を聞いた時は、口から何も出なかった。
いや、笑っていいのか怒っていいのかも分からなかった。
……どこの小学生がそんな台詞を言うんだ。
ヤクザの屋敷で過ごした結果がこれかと思うと、兄としては胃の辺りがむず痒くなる。
それでも――その目がまっすぐで、悪びれていなかったから…まぁ、もういいや
「……誰に似たんだか」
呟いて、俺はまた包丁を握り直した。
出汁の香りに、笑い声が混ざる。
それは、抗争も血も遠ざけた、ささやかな日常の匂いだった。
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