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番外編
俺が意識を飛ばすまでのVlog⑤
晩飯の時刻になると、廊下にぽつりぽつりと靴音が響く。
未だに抗争後の処理に追われる幹部たちが、それぞれの疲れを背負った顔で屋敷へ戻ってくる時間だ。癒しを求めうどんのタプタプボディを掴む者もいればラーメンと庭に遊びに行くやてらもいる。
暁臣が帰るかどうかは分からない。
会合やパーティ、時には政治家との席――そういうものに顔を出してそのまま夜を明かすこともしばしばある。
組長という立場は、家に帰る時間すら約束されていない。
妊婦様であらせられる柴も、例外ではなかった。
顔を見せる時間はその日その日でバラバラだ。
けれど、必ず隣には仁がいる。
当たり前のように寄り添って歩くその姿は、組員ですら邪魔する気を失わせるほど自然なものになっていた。
「仁さん! 柴さん!」
真っ先に声を上げたのは雅也だった。
森内の次に懐いている相手――それがこの二人だ。
仁とはもう長い付き合いで、雅也にとっては遠慮のいらない“甘え先”だった。
柴は仁よりもドライだが、不器用な兄貴肌で、雅也が入院していた頃には足繁く病室へ顔を出してくれていた。
その分、雅也からの信頼も厚い。
柴は広間に足を踏み入れるなり、鼻を押さえて顔をしかめた。
食卓を覆うカツ丼の匂いが、つわりで敏感になった身体にはどうしようもなくきついらしい。
露骨に眉をひそめ、吐き気を堪えるようにこくこくと首を振っている。
「僕、柴さんと仁さんの間で食べたい!」
雅也は嬉しそうに叫び、両腕を伸ばした。
「おう、いいぞ」
仁が豪快に抱き上げると、雅也は声を上げて笑った。
だが柴はもう限界だ。
吐き気に顔を青ざめさせ、じっと香りから逃れるように口元を押さえ続けている。
「雅也、向こうに柴と仁さん用にお粥とカツ丼置いてある。自分の分も持って、別の部屋で食べてこい」
俺がそう促すと、雅也は素直に「うん!」と返事をし、仁に抱かれたまま器用に膳を受け取った。
そのまま三人は仁の部屋へと移動していった。
残された食卓に、少し静けさが戻る。
部屋住みたちは、にやにやと笑みを浮かべながら黙って飯をかき込んでいる。
――ああ、日常ってこういうことだ。
カツ丼の湯気の向こうに、ほんの少しだけ安堵の色が漂っていた。
その時だった。
仁さんたちが広間を出て行った直後、入れ替わるようにして暁臣と森内が姿を現した。
空気が一瞬にして変わる。
ざわめきは止み、場の温度が一段下がったようだった。
誰もが自然と背筋を伸ばし、声をひそめる。
――今日の暁臣は、機嫌が悪い。
眉間の皺は深く、目元はいつも以上に鋭い。
組員たちは「触らぬ神に祟りなし」とばかりに挨拶だけをして、あとは口をつぐんだ。
不用意に声をかけて矛先を自分に向けられたい者など、一人としていない。
暁臣は黙って歩き、いつもの席――俺の隣に腰を下ろす。
足を崩し、流れるような手つきでポケットからタバコを取り出した。
その所作は、組長という威圧感と男としての色気をまざまざと感じさせる。
箱から一本を抜き、唇に咥える。
すかさず、背後に控えていた森内がライターを取り出し、火を灯そうとした。
その瞬間――
「おい、吸う前に飯食え、アホ」
俺は遠慮なんて一切なく、暁臣の口に咥えられたタバコをひょいとつまみ取った。
そのまま、ゴミ箱へ投げ捨てる。
シン……と静まり返る広間。
部屋住みも幹部も、一様に目を見開いていた。
誰もが指摘しようにも怖くて出来ない事を、俺は当然のようにやったからだ。
森内でさえ、一瞬だけ手を止めて俺を見た。
暁臣の機嫌が悪い時に、そんな真似をすればどうなるか――普通は考えもしない。
だが俺は、考えない。
「……」
暁臣がわずかに目を細め、俺を見下ろす。
広間の空気が張り詰めた。
誰もが次の言葉を待つ。
けれど――暁臣は口を開かない。
ほんの数秒、俺を見つめたあと、ふっと鼻で笑い、タバコの箱をポケットへ戻した。
その仕草に、組員たちが一斉に安堵の息を漏らす。
暁臣の“神”に触れても許されるのは、この屋敷で俺だけだ。
それを、誰もが改めて思い知らされていた。
未だに抗争後の処理に追われる幹部たちが、それぞれの疲れを背負った顔で屋敷へ戻ってくる時間だ。癒しを求めうどんのタプタプボディを掴む者もいればラーメンと庭に遊びに行くやてらもいる。
暁臣が帰るかどうかは分からない。
会合やパーティ、時には政治家との席――そういうものに顔を出してそのまま夜を明かすこともしばしばある。
組長という立場は、家に帰る時間すら約束されていない。
妊婦様であらせられる柴も、例外ではなかった。
顔を見せる時間はその日その日でバラバラだ。
けれど、必ず隣には仁がいる。
当たり前のように寄り添って歩くその姿は、組員ですら邪魔する気を失わせるほど自然なものになっていた。
「仁さん! 柴さん!」
真っ先に声を上げたのは雅也だった。
森内の次に懐いている相手――それがこの二人だ。
仁とはもう長い付き合いで、雅也にとっては遠慮のいらない“甘え先”だった。
柴は仁よりもドライだが、不器用な兄貴肌で、雅也が入院していた頃には足繁く病室へ顔を出してくれていた。
その分、雅也からの信頼も厚い。
柴は広間に足を踏み入れるなり、鼻を押さえて顔をしかめた。
食卓を覆うカツ丼の匂いが、つわりで敏感になった身体にはどうしようもなくきついらしい。
露骨に眉をひそめ、吐き気を堪えるようにこくこくと首を振っている。
「僕、柴さんと仁さんの間で食べたい!」
雅也は嬉しそうに叫び、両腕を伸ばした。
「おう、いいぞ」
仁が豪快に抱き上げると、雅也は声を上げて笑った。
だが柴はもう限界だ。
吐き気に顔を青ざめさせ、じっと香りから逃れるように口元を押さえ続けている。
「雅也、向こうに柴と仁さん用にお粥とカツ丼置いてある。自分の分も持って、別の部屋で食べてこい」
俺がそう促すと、雅也は素直に「うん!」と返事をし、仁に抱かれたまま器用に膳を受け取った。
そのまま三人は仁の部屋へと移動していった。
残された食卓に、少し静けさが戻る。
部屋住みたちは、にやにやと笑みを浮かべながら黙って飯をかき込んでいる。
――ああ、日常ってこういうことだ。
カツ丼の湯気の向こうに、ほんの少しだけ安堵の色が漂っていた。
その時だった。
仁さんたちが広間を出て行った直後、入れ替わるようにして暁臣と森内が姿を現した。
空気が一瞬にして変わる。
ざわめきは止み、場の温度が一段下がったようだった。
誰もが自然と背筋を伸ばし、声をひそめる。
――今日の暁臣は、機嫌が悪い。
眉間の皺は深く、目元はいつも以上に鋭い。
組員たちは「触らぬ神に祟りなし」とばかりに挨拶だけをして、あとは口をつぐんだ。
不用意に声をかけて矛先を自分に向けられたい者など、一人としていない。
暁臣は黙って歩き、いつもの席――俺の隣に腰を下ろす。
足を崩し、流れるような手つきでポケットからタバコを取り出した。
その所作は、組長という威圧感と男としての色気をまざまざと感じさせる。
箱から一本を抜き、唇に咥える。
すかさず、背後に控えていた森内がライターを取り出し、火を灯そうとした。
その瞬間――
「おい、吸う前に飯食え、アホ」
俺は遠慮なんて一切なく、暁臣の口に咥えられたタバコをひょいとつまみ取った。
そのまま、ゴミ箱へ投げ捨てる。
シン……と静まり返る広間。
部屋住みも幹部も、一様に目を見開いていた。
誰もが指摘しようにも怖くて出来ない事を、俺は当然のようにやったからだ。
森内でさえ、一瞬だけ手を止めて俺を見た。
暁臣の機嫌が悪い時に、そんな真似をすればどうなるか――普通は考えもしない。
だが俺は、考えない。
「……」
暁臣がわずかに目を細め、俺を見下ろす。
広間の空気が張り詰めた。
誰もが次の言葉を待つ。
けれど――暁臣は口を開かない。
ほんの数秒、俺を見つめたあと、ふっと鼻で笑い、タバコの箱をポケットへ戻した。
その仕草に、組員たちが一斉に安堵の息を漏らす。
暁臣の“神”に触れても許されるのは、この屋敷で俺だけだ。
それを、誰もが改めて思い知らされていた。
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