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第二章 

第61話「こんな忠犬は嫌だ……」

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「クルルッ……(何者だったんだ、あいつは……)」

 天井にひそんで侯爵たちの会話を盗み聞きしていた。
 そこで聞こえて来た会話はかなりヤバいものだった。

 特にキマリスという男には、得体の知れないものがあった。
 天井にあった小さな穴からキマリスの姿が見えたが、あれは人の形をした何か別のものと言われた方が納得するものだった。
 猫の姿をした自分もあまり人のことを言えたものでは無いけれど。

 そして、完全に気配を消していたつもりがキマリスに気づかれた。

 まずいことに、放ってきた攻撃魔法が右足にかすってしまった。
 もし当たっていたら、その部分が消失しかねない威力だった。

 頭の整理は一旦距離をおいて落ち着いてからにしよう。
 あの場で戦闘になったら、あのキマリスという男に確実に勝てる自信がなかった。
 負けないかもしれないけど、今はそんな賭けをするべきではないとその場を離れた。

 そして、今は目下逃走中だ。
 キマリスの魔法が擦った右足の痛みに耐えながら、全力で駆けている。

 三つの頭を持つ、犬と獅子の混ざったような魔物から逃げているところだ。
 可愛らしさのかけらもない、ムキムキのマッスル犬が、その巨体に似合わない速度で追いかけてくる。
 マッスル犬の大きさは、大きな獅子くらいだろうか。
 はたから見たら、俺は必死に逃げる獲物ってところだ。

「クルニャ……(ライミーたちを連れてこなくて良かった……)」

 このマッスル犬は、かなりヤバい。
 大きさはドラゴンよりは小さいけど、その強さはドラゴンに迫るものがあると俺の直感が告げている。

 吠えもせず黙々と追ってくることで、さらに嫌な予感が増す。

 強い犬は無駄吠えしないってことか……。

 伯爵邸の敷地の塀を飛び越えても、まだ追ってくる。
 しかも、全く引き離せる感じがしない。
 足に怪我をしてしまったのも良くない。

 夜の闇を駆ける二体の魔物。
 特に片方は、凶悪さの塊のような奴だ。
 見かけた市民がいたら、大騒ぎになるかもしれない。
 かなりの速度だから、あっという間に見えなくなって、見間違いと思うかもしれないけれど。
 
 しょうがない……、このまま街の外まで引き連れていって、そこで戦うか……。
 路地裏を駆けながら、マッスル犬と戦う決意をした時だった。

「クルニャ!?(えっ!?)」

 目の前に見慣れた一行がいた。
 皆そろって、こっちを見て驚愕きょうがくの表情だ。

 そう、ライミーやミケたちだった。

 この逃走劇に巻き込まないように、あいつらが居た場所とは正反対に逃げていたはずだ。
 ……もしかしたら、自分たちにできることはないかと周囲を探索していたのかもしれない。

 ライミーたちの目の前で急ブレーキをかける。
 すぐに振り向いて、マッスル犬に備える。
 横をすり抜けたらライミーたちのことは無視してくれたかもしれないけど、かもしれない・・・・・・に大事な仲間の無事は賭けられない。

 追いかけてくる勢いで襲ってくると思ったけど、予想に反してマッスル犬は立ち止まった。

「バウゥゥ……?(やっと逃げ回ることを諦めたか……?)」

 そしてしゃべりかけてきた……。
 三つの頭のうち中心の頭が語りかけてくる。

 ナニコレ?
 こいつも猫科なのか?
 そりゃあちょっとは獅子っぽい部分もあるけどさ……。
 それとも何か高等な魔物だからとか?

 俺の背後で、ライミーたちも驚いているのが、雰囲気で伝わってくる。
 いきなり俺とマッスル犬が現れたのだから当然だろう。
 俺が追われていたことは状況から分かってくれたとは思う。

「クルニャ……?(見逃してくれる気は……?)」

「バウッ(主の命令は絶対だ)」

 嫌な忠犬もいたものだ……。

「クルニャー!(みんな、離れてろ!)」

 ライミーたちに離れているように伝える。

「…………多分、ケルベロス。
 …………強敵だから気をつけて」

 ライミーが離れ際に水魔法による回復をかけてくれた。
 完全には癒えないものの、右足の痛みが緩和した。

 ケルベロス……、地獄の番犬か……。
 えらいものに追われたものだ。

 ミケたちも心配そうにしながらも、距離を取ってくれる。

 さて、全力でいこう。

「ルニャーー!!(――炎熱嵐ファイアストーム!!)」

 火と風の合成魔法、範囲を狭めるかわりに密度を上げるように魔法を放つ。

 ごうという燃え盛る音とともに、ケルベロスは炎に包まれる。

「ニャン(やったっすか)」

 後方でミケの嬉しそうなつぶやきが聞こえる。

 けど、俺にはすぐに分かった。
 ケルベロスには大して効いていないと。

「バウバウッ(これは驚いた……。これほどの炎を扱えるものがいたとは。魔法の合成など久しぶりに見たぞ)」

 言葉とは裏腹に大して驚いた風もなく、ケルベロスが体をブルブルっと震わせると、炎はその場で霧散した。

 キマリスという男もやばそうだったけど、こいつも相当だな……。
 魔物のランクでいうAランクに収まらないような強さだ。

 駄目元で問いかけてみる。

「クルナー?(逃げないから、街の外で戦わないか?)」

 ここだと周囲を破壊しまくりそうで、少し気が散る。
 無理ならしょうがない、周りを気にせず戦うけど……。

「…………」

 ケルベロスがわずかに黙り込む。
 考えてくれているのだろうか。
 なんとなく三つの頭が脳内会議をしているのかもという考えが浮かんだ。

 ケルベロスは、すぐに答えを告げてきた。

「バウウゥ(よかろう。この街を壊してしまうのは主の意思にも反するだろうからな。その代わり、そいつらも一緒に来るのが条件だ)」

 ついて来いとばかりに、ケルベロスは街の外に向かって走り出した。

 俺たちは、少し離れてその後ろをついて行く。
 ライミーたちは狙われたら逃げられないだろうから、俺にはついて行くという選択肢しかない。

「…………勝てる?」

 ライミーが問いかけてくる。
 一見無表情だけど、とても心配してくれているように見える。

 さっきの一連の手合わせで、ケルベロスが尋常な強さではないことに気づいているのだろう。
 むしろケルベロスという魔物の名前を知っていたことから、俺以上にその強さを知っているのかもしれない。
 
「クルニャン!(勝つさ。こんなところで負けるわけにはいかないからな!)」

 俺はみんなを安心させるつもりで、できるだけ明るく言った。

 それでも、ライミーの様子はどこか悲壮さを感じさせるものだった。
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