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第三章 花香
第二話
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「この三人は俺の高校時代のダチなんだ。右から山崎、吉田、奥野」
「如月風太です。よろしくお願いします」
「こいつらとは一緒に東大を目指してたんだ。それに奥野とは剣道で全国大会への代表の座を争ったんだ。お前、まだ剣道やってんのか?」
紘彬が奥野に訊ねた。
「いや、もうやってないよ」
「お前、ホントに警官になったんだな」
山崎が紘彬が着用している「警視庁」と書かれたジャケットを見て言った。
「そうなんだよ。こんなださださのジャケット着せられてさ。参るよな」
紘彬はそう言って両手を広げた。
「お前……!」
吉田が怒ったように何か言おうとしたとき、
「桜井! 如月! 何してる!」
団藤の怒鳴り声が聞こえた。
「すまん、また今度な」
紘彬は右手を拝むように上げた。
「失礼します」
紘彬と如月は団藤達に追いつくべく、急ぎ足でその場を離れた。
「皆さん東大ですか?」
「いや、受かったのは山崎と奥野だけ。吉田も東大受けたんだけど……」
訊かれてないか、ちらっと肩越しに背後を振り返ってから言った。
「吉田は落ちちゃったんだ。浪人したんだけど、次の年も受からなくてさ。さすがに二浪は出来なくて名前も聞いたことないような大学の薬学部へ行ったんだ」
「吉田さん、なんか怒ってたみたいですけど」
「吉田は本気で医者になりたかったんだよ。でも東大以外の医学部へも入れなくてさ。だから俺が、医大も医師国家試験も合格したのに警官になったって知ってものすごく怒ってさ」
高校の同窓会では危うく殴り合いの喧嘩になるところだったという。
確かに、自分がなりたかったものを手に入れておきながら簡単に捨てたのだから嫌なヤツに見られるのも無理ないだろう。
しかし、吉田が医学部に受からなかったのは紘彬のせいではないし、紘彬が受かったのは努力したからだ。
勿論、吉田も努力はしただろうが。
しかし、紘彬が医者にならなかったのは吉田に嫌がらせをするためではない。
警官になりたかったからだ。
紘彬に当たるのは筋違いだ。
紘彬は自分に素直なのだ。
如月はそれが分かってるから紘彬が何をしても腹は立たない。
「今は山崎が建築会社で、吉田が大学の研究室に残って、奥野は製薬会社に入ったんだ。吉田も奥野もなんかの薬の研究してるって言ってた」
「おい、早く乗れ」
団藤がパトカーのドアに手をかけて紘彬達を呼んだ。
如月が紘彬の――正確には紘一の――家に行くようになって、しばらくたった頃だった。
その日も定時で終わり、紘彬は如月に声をかけた。
「如月、帰ろうぜ」
「はい」
如月は大きいと言うよりは巨大なバッグを机の下から取り出した。
よくこれだけの大きさのバッグを机の下に入れられたものだ。
人間の死体でも入ってそうなバッグを見て、
「なんだ、それ」
と訊いた。
「腐葉土持ってきたんです」
「腐葉土?」
「祖母に言って送ってもらったんです。土が良くなればあの桜、咲くんじゃないかって思って。今年は無理かも知れませんけど……」
「悪いな」
「いつもお邪魔してるお礼です」
「ありがとな。寮から持ってきたのか? 通勤大変だったんじゃないか?」
「電車に乗れなくて二本見送りました」
如月は苦笑した。
「……ここに送ってもらえば良かったんですよね」
「そういえばそうだな。持とうか?」
「いえ、大丈夫です」
紘彬と如月は紘一の家に着くと、桜の木の根元に腐葉土をかぶせた。
それが終わると手を洗ってから、いつものように紘一の部屋に入った。
署を出るときに電話を入れておいたので、もう二リットル入りのジュースのボトルが、三つのコップと一緒に置かれていた。
「練習の成果を見せてやるぜ」
とは言ったものの、今日は如月と紘一が先にやる番だ。
紘一はスタートボタンを押した。
「紘兄、電話よ!」
花耶が一階から呼びかけてきた。
「祖父ちゃんか」
紘彬は渋々立ち上がった。
「お祖父さまって桜井さんと同居してるんだよね。何で電話してくるの?」
ひょっとして家族の誰かの身体の具合が悪いのだろうか。
だとしたら早々に帰った方がいいだろう。
「兄ちゃん、祖父ちゃんと話すの嫌がっててさ。いつも夜遅くまで帰らないから用があるときは電話してくるんだよ。目下の兄ちゃんに自分から会いに来るのはプライドが許さないみたいなんだ」
「なるほど」
紘彬達の家族の具合が悪いわけではなさそうなので安心した。
そう言われてみれば、如月は九時に紘一の家を出るが、紘彬はいつも残っている。
「いつも遅くまでお邪魔してゲームしてるけど、宿題とか大丈夫なの?」
「如月さんが帰った後に兄ちゃんに教わってる」
「そっか。桜井さん、医大卒だもんね」
「あれでも一応高校在学中は東大確実って言われてたからね」
「え! 桜井さんって東大だったの!」
「いや、確実って言われてただけ。実際模試とかでは余裕で合格圏内に入ってたらしいよ」
その頃、紘一はまだ小学生だったので話に聞いただけだが。
「それが何で……」
「兄ちゃんはERを見て医者を目指したんだ。それが高校三年になってスタートレックにハマっちゃってさ」
紘一は、どのシリーズだったかな、と首をかしげた。
「とにかく、航空宇宙工学をやるって言い出して……」
「でも、医大に行ったんだよね?」
「東大確実って言われてたからね。伯母さん達や先生に泣きつかれて、東大と、滑り止めの私立の医大を受験することを条件に、航空宇宙工学科を受けさせてもらうことになったんだ」
医大が滑り止め……。
如月には想像もつかなかった。
もし如月に、東大へ行けるだけの頭と経済力があったら迷わず東大を選んだだろう。
「航空宇宙工学科は……」
「どこの大学だっけな。とにかく試験範囲とか違ったらしくてさ、それでも模試ではいい成績だったらしいんだけど、秋になってCSI:にハマっちゃって……」
「今度は何学部?」
「CSI:は科学捜査だから法医学……つまり医学部に戻ったってこと」
「そうするとどうなるの?」
「また医学部の勉強やり直し。結局、東大は落ちて私立の医大に入ったんだ」
「滑り止めが医大って、すごいね」
ドラマにハマる度に進路が変わるのもある意味すごいが。
そんな話をしていると紘彬が戻ってきた。
「何の話だ?」
「兄ちゃんの進路」
「警察に入ったのはどうしてなんですか?」
「すっごい美人の刑事がいてさ、刑事に向いてるんじゃないかって言われたんだ」
「それは何のドラマですか?」
「これはリアルの話」
「それで、その美人の刑事さんは……」
「やめちゃった」
紘彬は肩を落とした。
「兄ちゃんがドラマに関係なく選んだ唯一の進路だったのにな。キャリアからは外れるし……」
「え?」
「ほら、俺がキャリア外れたって話、知ってるだろ」
「はい」
それは東京中の警官が知ってるはずである。
刑事として着任する前、同期の者がわざわざメールで知らせてきたくらいだ。
「彼女、裏で犯罪組織と通じててさ、それがバレて捕まりそうになって高飛びしちゃったんだ。今はどこにいるやら……」
悲しそうな顔で言った。
「俺が正式に警察に入る前だったんだけど、彼女と知り合いだったからさ」
「じゃあ、その巻き添えで……」
「そ」
「でも、まだ警官じゃなかったんなら関係はなかったんじゃ……」
「特例で彼女の手伝いしたことあったんだよ。それで関係ないとも言えなくて」
「でも、知らなかったんなら、やっぱり関係ないと思うんですけど……」
「ま、上は上で考えがあるんだろ」
紘彬は大して気にしてない様子で言った。
「如月風太です。よろしくお願いします」
「こいつらとは一緒に東大を目指してたんだ。それに奥野とは剣道で全国大会への代表の座を争ったんだ。お前、まだ剣道やってんのか?」
紘彬が奥野に訊ねた。
「いや、もうやってないよ」
「お前、ホントに警官になったんだな」
山崎が紘彬が着用している「警視庁」と書かれたジャケットを見て言った。
「そうなんだよ。こんなださださのジャケット着せられてさ。参るよな」
紘彬はそう言って両手を広げた。
「お前……!」
吉田が怒ったように何か言おうとしたとき、
「桜井! 如月! 何してる!」
団藤の怒鳴り声が聞こえた。
「すまん、また今度な」
紘彬は右手を拝むように上げた。
「失礼します」
紘彬と如月は団藤達に追いつくべく、急ぎ足でその場を離れた。
「皆さん東大ですか?」
「いや、受かったのは山崎と奥野だけ。吉田も東大受けたんだけど……」
訊かれてないか、ちらっと肩越しに背後を振り返ってから言った。
「吉田は落ちちゃったんだ。浪人したんだけど、次の年も受からなくてさ。さすがに二浪は出来なくて名前も聞いたことないような大学の薬学部へ行ったんだ」
「吉田さん、なんか怒ってたみたいですけど」
「吉田は本気で医者になりたかったんだよ。でも東大以外の医学部へも入れなくてさ。だから俺が、医大も医師国家試験も合格したのに警官になったって知ってものすごく怒ってさ」
高校の同窓会では危うく殴り合いの喧嘩になるところだったという。
確かに、自分がなりたかったものを手に入れておきながら簡単に捨てたのだから嫌なヤツに見られるのも無理ないだろう。
しかし、吉田が医学部に受からなかったのは紘彬のせいではないし、紘彬が受かったのは努力したからだ。
勿論、吉田も努力はしただろうが。
しかし、紘彬が医者にならなかったのは吉田に嫌がらせをするためではない。
警官になりたかったからだ。
紘彬に当たるのは筋違いだ。
紘彬は自分に素直なのだ。
如月はそれが分かってるから紘彬が何をしても腹は立たない。
「今は山崎が建築会社で、吉田が大学の研究室に残って、奥野は製薬会社に入ったんだ。吉田も奥野もなんかの薬の研究してるって言ってた」
「おい、早く乗れ」
団藤がパトカーのドアに手をかけて紘彬達を呼んだ。
如月が紘彬の――正確には紘一の――家に行くようになって、しばらくたった頃だった。
その日も定時で終わり、紘彬は如月に声をかけた。
「如月、帰ろうぜ」
「はい」
如月は大きいと言うよりは巨大なバッグを机の下から取り出した。
よくこれだけの大きさのバッグを机の下に入れられたものだ。
人間の死体でも入ってそうなバッグを見て、
「なんだ、それ」
と訊いた。
「腐葉土持ってきたんです」
「腐葉土?」
「祖母に言って送ってもらったんです。土が良くなればあの桜、咲くんじゃないかって思って。今年は無理かも知れませんけど……」
「悪いな」
「いつもお邪魔してるお礼です」
「ありがとな。寮から持ってきたのか? 通勤大変だったんじゃないか?」
「電車に乗れなくて二本見送りました」
如月は苦笑した。
「……ここに送ってもらえば良かったんですよね」
「そういえばそうだな。持とうか?」
「いえ、大丈夫です」
紘彬と如月は紘一の家に着くと、桜の木の根元に腐葉土をかぶせた。
それが終わると手を洗ってから、いつものように紘一の部屋に入った。
署を出るときに電話を入れておいたので、もう二リットル入りのジュースのボトルが、三つのコップと一緒に置かれていた。
「練習の成果を見せてやるぜ」
とは言ったものの、今日は如月と紘一が先にやる番だ。
紘一はスタートボタンを押した。
「紘兄、電話よ!」
花耶が一階から呼びかけてきた。
「祖父ちゃんか」
紘彬は渋々立ち上がった。
「お祖父さまって桜井さんと同居してるんだよね。何で電話してくるの?」
ひょっとして家族の誰かの身体の具合が悪いのだろうか。
だとしたら早々に帰った方がいいだろう。
「兄ちゃん、祖父ちゃんと話すの嫌がっててさ。いつも夜遅くまで帰らないから用があるときは電話してくるんだよ。目下の兄ちゃんに自分から会いに来るのはプライドが許さないみたいなんだ」
「なるほど」
紘彬達の家族の具合が悪いわけではなさそうなので安心した。
そう言われてみれば、如月は九時に紘一の家を出るが、紘彬はいつも残っている。
「いつも遅くまでお邪魔してゲームしてるけど、宿題とか大丈夫なの?」
「如月さんが帰った後に兄ちゃんに教わってる」
「そっか。桜井さん、医大卒だもんね」
「あれでも一応高校在学中は東大確実って言われてたからね」
「え! 桜井さんって東大だったの!」
「いや、確実って言われてただけ。実際模試とかでは余裕で合格圏内に入ってたらしいよ」
その頃、紘一はまだ小学生だったので話に聞いただけだが。
「それが何で……」
「兄ちゃんはERを見て医者を目指したんだ。それが高校三年になってスタートレックにハマっちゃってさ」
紘一は、どのシリーズだったかな、と首をかしげた。
「とにかく、航空宇宙工学をやるって言い出して……」
「でも、医大に行ったんだよね?」
「東大確実って言われてたからね。伯母さん達や先生に泣きつかれて、東大と、滑り止めの私立の医大を受験することを条件に、航空宇宙工学科を受けさせてもらうことになったんだ」
医大が滑り止め……。
如月には想像もつかなかった。
もし如月に、東大へ行けるだけの頭と経済力があったら迷わず東大を選んだだろう。
「航空宇宙工学科は……」
「どこの大学だっけな。とにかく試験範囲とか違ったらしくてさ、それでも模試ではいい成績だったらしいんだけど、秋になってCSI:にハマっちゃって……」
「今度は何学部?」
「CSI:は科学捜査だから法医学……つまり医学部に戻ったってこと」
「そうするとどうなるの?」
「また医学部の勉強やり直し。結局、東大は落ちて私立の医大に入ったんだ」
「滑り止めが医大って、すごいね」
ドラマにハマる度に進路が変わるのもある意味すごいが。
そんな話をしていると紘彬が戻ってきた。
「何の話だ?」
「兄ちゃんの進路」
「警察に入ったのはどうしてなんですか?」
「すっごい美人の刑事がいてさ、刑事に向いてるんじゃないかって言われたんだ」
「それは何のドラマですか?」
「これはリアルの話」
「それで、その美人の刑事さんは……」
「やめちゃった」
紘彬は肩を落とした。
「兄ちゃんがドラマに関係なく選んだ唯一の進路だったのにな。キャリアからは外れるし……」
「え?」
「ほら、俺がキャリア外れたって話、知ってるだろ」
「はい」
それは東京中の警官が知ってるはずである。
刑事として着任する前、同期の者がわざわざメールで知らせてきたくらいだ。
「彼女、裏で犯罪組織と通じててさ、それがバレて捕まりそうになって高飛びしちゃったんだ。今はどこにいるやら……」
悲しそうな顔で言った。
「俺が正式に警察に入る前だったんだけど、彼女と知り合いだったからさ」
「じゃあ、その巻き添えで……」
「そ」
「でも、まだ警官じゃなかったんなら関係はなかったんじゃ……」
「特例で彼女の手伝いしたことあったんだよ。それで関係ないとも言えなくて」
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