タイトルは最後に

月夜野 すみれ

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第9話

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 食事が終わると五人はリビングへ移った。

「あんたには借りが出来たな」
 柊矢が言った。
「貸しじゃないけど……借りを返したいって言うなら柊矢君のヴァイオリンが聴いてみたいな」
「あんた、音楽に興味ないって言ってなかった?」
 楸矢が訊ねた。
「興味は無いんだけど、前に楸矢君が柊矢君はすごい才能があったって言ってたから。楸矢君に言われるほどなら聴いてみたいと思って」
「なんで俺が言うと聴いてみたくなるの?」
「君の演奏、すごく良かったから。音楽に興味ない僕が感動したほどだし」
「楸矢さんってそんなに上手いんですか?」
 清美が驚いて言った。

「付き合ってるのに聴いた事ないの?」
「あたしも音楽はそれほど……」
「清美ちゃん、柊兄が小夜ちゃんにセレナーデいたって聞いてドン引きしてたから……」
「普通はセレナーデとか引くよね」
 楸矢の言葉を引き取った椿矢を柊矢がにらんだ。
「まぁ、小夜に弾いてやろうと思ってたから構わないが」
 柊矢は立ち上がると四人を促して隣の部屋に移動した。

「グランドピアノ!」
 清美と椿矢が同時に声を上げた。
「普通科はみんな驚くんだな」
みんなって?」
「小夜も驚いてた」
「驚いて当然でしょ。ここ新宿だよ。しかも一戸建てだし」
 椿矢が言った。
 敷地の広さや建物の大きさは椿矢の実家の方が上だが雨宮家は郊外だ。

「音楽科の生徒だって大抵はアップライトピアノか電子ピアノだから驚くよ」
「そうなの?」
 椿矢が訊ねた。
「グランドピアノは大きいから広い部屋じゃないと置けないし、ピアノ自体の値段が全然違うから。音楽って習うだけでもかなりお金掛かるからプロでもないのにグランドピアノが家にあるのは元々持ってた人くらいだよ」
 楸矢が答えた。
 都心でグランドピアノが置けるだけの広さの部屋がある家は少ない。
 部屋を借りるにしても賃料が高い。
 特に防音の部屋は普通の部屋より割高だ。

「リクエストはあるか?」
 柊矢がヴァイオリンケースを開けながら訊ねた。
「ごめん、音楽には興味ないからどんな曲があるのかも知らない」
 椿矢がそう答えると柊矢は清美の方を向いた。
「あたしもクラシック音楽は全然……」
「『アヴェ・マリア』とかは?」
 楸矢の言葉に、
「クラシックに興味ないならクリスマス・ソングの方がいいだろ」
 柊矢がそう言ってヴァイオリンを手に取った。
「あ、俺が伴奏するよ」
 楸矢がピアノの前に座った。

「柊矢君、合奏出来ないって言ってなかった?」
「俺があわせればいいだけだから」
「楸矢さん、ピアノも弾けるんですか?」
「どの楽器専攻でもピアノは副科として必修なんだよ」
 楸矢はそう答えると『We Wish You A Merry Christmas』の前奏を弾き始めた。
 柊矢がヴァイオリンを弾く。
「え!?」
「ヴァイオリンでこんな速い曲も弾けるんだ……」
 清美と椿矢が目を丸くした。
「これ、そんなに速くないよ」
 楸矢がピアノを弾きながら答えた。

「ヴァイオリンはゆっくりな曲しか引けないと思ってた」
「ゆっくりな曲でもいいけど。あんた、『Have Yourself a Merry Little Christmas』歌詞知ってる?」
「知ってるけど……」
 楸矢の問いに椿矢が答えるとピアノで前奏を始めた。
 柊矢がヴァイオリンを弾き始める。
 椿矢が歌い始めた。
 ピアノとヴァイオリンの音色に甘いテノールの歌声が重なった。

「…………」
 清美は言葉もなく歌っている椿矢を見ていた。
 音楽に興味がないと言っていたのに歌手だと言っても通りそうなほど上手い。
 そう言えばこの人もムーシコスって言ってたっけ……。
 椿矢が歌い終えると、清美は、
「小夜、なんか歌える?」
 と小夜に訊ねた。
「『アヴェ・マリア』知ってる?」
 楸矢が聞いた。
「曲は知ってますけど歌った事は……」
「歌詞見れば分かるなら楽譜に書いてあるよ」
 楸矢はそう言って『アヴェ・マリア』の楽譜を差し出した。
「歌えそう?」
 清美が楽譜を覗き込んだ。
 すご、本格的……。

「……歌詞が読めません」
 困ったような表情で小夜が言うと楸矢が楽譜とボールペンを椿矢に渡した。
「読み、カタカナで書いてあげて」
「楽譜に直接書いていの?」
「指揮者の指示とか色々書き込んだりするよ。どっちにしろこれはうちで使うものだから」
 楸矢の言葉に椿矢はカナで読みを書いて小夜に渡した。
 小夜が楽譜を受け取ると楸矢と柊矢がピアノとヴァイオリンを弾き始めた。
 小夜が歌い始める。

 嘘……。
 こんなに上手かったんだ……。

 ムーシコスは音楽家って意味だって言ってたっけ。
 小夜が歌い終えると柊矢と楸矢が有名なクリスマスソングを演奏してくれた。
 最近のアーティストが歌っていたりしてポップスだと思っていた曲の多くが古いものだった。
 楸矢がピアノを弾きながら曲の由来などを説明してくれた。
 歌詞が付いている曲は清美達も一緒に歌った。
 最初、小夜と椿矢の玄人跣くろうとはだしの歌声に怖じ気づいていた清美も恐る恐る歌っているうちに気恥ずかしさも消えて最後には盛り上がった。

 パーティがお開きにり、部屋に戻った小夜はベッドに座って封筒を見ていた。
 片付けを終えて部屋に戻ろうとした時、柊矢から両親の写真だと言って渡されたのだ。
 椿矢はわざわざ写真を持っている人を探し出して譲ってもらい、今日届けに来てくれたのだという。
 どれくらいそうしていたか分からない。

 ずっと知りたかった。
 せめて写真だけでもと思って家の中を探した事もあったが一枚も無かった。
 柊矢にネットにも無かったと言われてようやく諦めが付いた。
 無い物ねだりをしても仕方が無い。
 親の顔を知らないのは自分だけではない、と。

 それを椿矢は見付け出してきてくれた。

 見て……いいんだよね、お祖父ちゃん。
 椿矢さんがクリスマスに届けてくれたのは見ていいって事だよね。

 小夜は深呼吸をすると震える手で封筒を開け写真を取り出した。
 写真に若い女性が写っていた。
 女性の顔がぼやけた。
 写真の上に落ちた水滴を急いで拭き取ると脇に置いた。
 涙があふれてきて止まらなかった。
 小夜は顔を覆った。

 クリスマスの朝、楸矢の予想通り小夜の目は赤かった。
 楸矢も柊矢も気付かない振りでいつも通り振る舞った。
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