ひとすじの想い

月夜野 すみれ

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第三章

第三章 第四話

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 朝、素振りをしていると水緒が手拭いを持ってやってきた。

「そろそろお稽古の時間だよ」
 流は水緒から手拭いを受け取ると汗を拭いた。
 そこへ小森がやってきた。
「桐崎殿、水緒さん。おはようございます」
「おはようございます」
 水緒が礼儀正しく挨拶を返した。
「お二人は許嫁いいなずけだったのですか」
 小森の言葉の意味が分からなかったらしく水緒は訊ねるように流を見上げた。
 おそらく桐崎は縁談を持ち掛けてきた家に流と水緒は許嫁同士だから、と言って断ったのだろう。

「そうだ」
 流は即答した。
「これは知らぬこととはいえ失礼しました」
 どうやら小森の親が水緒に縁談を持ち込んだようだ。
 水緒は相変わらず小森の言ってることが分からないらしい。
「水緒、そろそろ時間だ」
「あ、そうだった。失礼します」
 水緒は流に手を振ると歩き出した。

 流が道場に入ろうとした時、中で怒声がした。

「そこもとが物でつってお和を籠絡ろうらくしたのであろう!」
 石川が今にも掴み掛かりそうな勢いで怒鳴った。
「お和は貧乏御家人より金持ちの旗本を選んだだけだ」
 奥田が嘲笑った。
 流は眉をひそめた。
「お和殿も贈り物には弱かったようですね」
 小森が流の隣で言った。
「どういうことだ?」
「お和殿は元々石川殿の幼馴染みだったのです。内々にではあったが言い交わしていた様子。そこに奥田殿が割り込んだのです。何でも高価な櫛や簪などで贈り物責めにしたとか」
 小森がそう教えてくれた。
 流は殴り合いの喧嘩になりそうな二人の間に割って入った。

「喧嘩なら外でやれ。もう稽古が始まる」
「こちらは喧嘩などする気はない。石川殿が勝手に怒鳴り散らしているだけのこと」
「勝手なのはどちらだ!」
「うるさい、出ていけ」
 流は静かに二人に向かって言った。
「桐崎殿もせいぜい水緒殿を取られぬようにな!」
 石川が捨て台詞をいて出ていった。
 そこへ桐崎が入ってきた。

「何事だ」
「なんでもない……なんでも御座いません」
 流がそう言うと周りを取り囲んでいた門弟達が散っていった。
「流殿も奥田殿にはお気を付けて」
 小森はそう囁くと離れていった。

 捨て台詞を吐いていった石川じゃなくて、奥田?

 と思ったが、すぐに小森の言葉の意味を理解した。

 そうか奥田が石川の女に手を出したと言うことは水緒にも手を出すかもしれないと言うことか。
 けど、おっさんが言っていたことと矛盾しないか?

 桐崎は高い物を贈ればいいというものではないと言っていた。
 流には訳が分からなかった。

 その日、水茶屋からの帰り道で、
「水緒」
 流の少し後ろを歩く水緒を振り返った。
「水緒は贈り物されると嬉しいか?」
「どういうこと?」

 流は石川と奥田の話をした。

「う~ん、他の人のことはよく分からないけど……」
 水緒はそう言って懐からたたんだ手拭いを取り出した。
 開くと流が贈った花の押し花が挟まっていた。
「私がこの花を貰って嬉しかったのはね、流ちゃんが私のために摘んでくれたから。その気持ちが嬉しかったの。簪とか櫛とか、貰って嬉しいのは、物が欲しいからじゃないの。私のことを思って贈ってくれた、その気持ちが嬉しいの」
 水緒はそう言ってから「私はね」と付け加えた。
 ただあげればいいというわけではないらしい。

 おっさんが言ってたのはこういうことか。

 しかし石川の幼馴染みは奥田の贈り物になびいたという。

 ま、他の人間はどうでもいい。

 桐崎の言うとおり、今は金を貯めて、いつか水緒に飛び切りの贈り物をしよう。

 その夜、夕餉の席で、
「おじさ、おじ様。あの、流ちゃんと許嫁ってどういうことですか?」
 水緒は桐崎に訊ねた。
「水緒は不満か?」
「許嫁って、流ちゃんのお嫁さんになれるって言うことですか?」
「そうだ」
「わぁ、本当に? 流ちゃん、お嫁さんにしてくれる?」
「なってくれるか?」
 流が訊ねた。
「うん!」
「よし、決まりだな」
「おっさん、本当にいいのか?」
 生まれる子供の半分は鬼の血を引くからと言っていたではないか。
「いいも悪いも、お前、水緒が他の男の嫁になったらどうする」
 そんなことになったらどうなるか分からない。
 考えるだけで頭がおかしくなりそうだし耐えられそうにない。

 夕餉が終わり水緒が食器を下げて台所に行ってしまうと、
「流、あまり水緒に入れ込みすぎるな」
 桐崎が言った。
「どういう意味だ」
「お前は今のところ水緒と同じ早さで成長しているようだが……」

 鬼と比べたら人間は短い。
 おそらく水緒が寿命をまっとうしたとしても流よりずっと先に死ぬだろう。
 水緒がいなくなった後の時間の方が遥かに長い。

 桐崎はそう言った。
 その言葉に流は衝撃を受けた。
 そんなことは考えたこともなかった。
 もしも水緒が先に死んでしまったらどうしたらいいのだろう。
 水緒がいない世界なんて考えられない。

「水緒を失った後のことを考えて鬼でも妖でも、人間より長生きをする者とも交流を持った方がいいだろうな」
 人間の寿命はただでさえ短いのにまっとう出来る者は少ないのだから水緒以外にも親しい相手がいた方がいいと言われた。

 いつものように稽古の後、水緒を迎えに行った。
 しかし店はまだまだ人がいて終わりそうにない。

 少し早すぎたか……。

 流はその辺をぶらついて時間を潰すことにした。
 草むらに目を向け水緒にあげるのに良さそうな花はないか探した。
 この前と同じ花はあるが同じ花を渡しても仕方ない。

 気持ちが嬉しいのだと言っていたから水緒は喜んでくれるだろうが……。
 別の花はないだろうか。
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