ひとすじの想い

月夜野 すみれ

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第四章

第四章 第五話

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「水緒! 言え!」
 その言葉に水緒が視線を向けてきた。
「流ちゃん、逃げて……」
 水緒がかすれた声で言った。

 これ以上耐えきれずに祟名を言ってしまう前に……。

 水緒の目がそう言っていた。

 最後まで耐える気だ……。

 水緒はきっと口が裂けても言わない。
 万が一に備えて逃げろと言っているだけで、例え殺されても言う気はないのだ。
 鬼が手を振り上げる。

 これ以上は水緒の体がたない。
 こいつらを全員始末する以外、水緒を助ける道はない。

 流は鯉口を切って抜刀した。
 鬼が水緒に爪を突き付けたが無視した。
 どの道これ以上殴れたら死んでしまう。
 流が近くにいた鬼を斬り倒すと、他の鬼達が一斉に襲い掛かってきた。

「早く言え!」
 と言う声と共に鈍い音が聞こえた。
「っ!?」
 水緒が短い悲鳴を上げる。
「水緒!」
 流は焦ったが鬼達が多すぎて中々水緒に近付けない。

 こんなことならもっと早くこうすべきだった。

 流は悔やんだ。
 水緒の着物はもう血塗れだ。
 顔は腫れ、痣だらけで見る影もない。
 それでも水緒は必死で耐えている。

「どけ!」
 最後の一体を倒して水音を掴んでいる鬼に駆け寄る。

 鬼は舌打ちすると水緒を放り投げて流に襲い掛かってきた。
 流が持っていた刀を投げ付ける。
 鬼がそれを上に弾く。
 その隙に懐に飛び込むと脇差を抜刀して斬り上げた。
「ーーーーー!」
 鬼が叫び声を上げる。
 そのまま脇差しを横に払って鬼の首をねる。

 流は水緒に駆け寄ると抱き起こした。
 かろうじて生きているがもう虫の息だ。

「水緒!」
 このままでは水緒が死んでしまう。
 どうしたらいいのか分からない。
 流にはケガを治せるような能力ちからはない。
 救いを求めて辺りを見回した時、以前水緒が助けた妖が近付いてきた。

「水緒を喰いに来たなら渡さない!」
 例えこのまま死んでしまうとしても妖に喰わせる気はない。
 水緒が死体になっても守り続ける。
 流は水緒を強く抱き締めた。

「その娘を助けてやってもいい」
「ホントか!?」
 予想もしなかった言葉に流が妖を見る。

「その娘をくれるなら助けてやる」
「水緒を助けてくれるんじゃないのか!?」
「無論、助ける」
「なら渡せと言うのはどういう事だ」
「その娘と一緒になりたい。お前と同じようにその娘と暮らしたい」
「それは……」

 流は躊躇ためらった。
 渡したらどのみち水緒を失う。
 だが他に方法はない。
 このままでは水緒は死んでしまう。
 どうせ失うなら水緒が生きている方がいい。

「本当に水緒を助けてくれるのか? 水緒を喰ったりしないと誓えるか?」
「無論だ」
 妖がそう答えると流は唇を噛み締めた。
 それから水緒を体から離し掛けてから顔を上げた。
「俺も一緒に行ったら駄目か?」
 とわずかな望みを掛けて訊ねた。

 流は別に妖が一緒でも構わない。
 水緒の側に居られればそれで良いのだ。
 流がそう言うと妖は黙り込んだ。

 やがて妖は溜息をいた。

「ケガを治してもその娘の心は儂のものにはならない。儂には鬼から助ける力もない」
 だから影から見ていたのだろう。
「喰う気はないが他の鬼に襲われても助けられない」
「だったら……」
 流が一緒なら水緒を守れる。

「その娘は儂にも優しくしてくれるだろうがお前を想うようには思ってくれないだろう……」
「…………」
「……代わりにお前がその娘と過ごした間の記憶を寄こせ。せめて記憶だけでも良いからその娘にしたわれたい」
「それで水緒を助けてくれるのか!?」
「ああ」
「やる!」
 流の即答に妖が戸惑った表情を浮かべた。

「分かっておるのか? 記憶を渡したらお前はその娘を忘れてしまうんだぞ」
「構わない。水緒が助かるならそれでいい」
「……そうか。やはり儂はお前にはかなわない」
 妖がそう言って流の目を見た。
 その瞬間、流は意識を失った。

「流ちゃん! しっかりして、流ちゃん!」
 流が目を覚ますと知らない女が顔を覗き込んでいた。
 どうやらこの女の膝に頭を乗せているようだ。

「流ちゃん……良かった」
 女が安心したように言った。
 流がわずかに頭を傾けて辺りを見回す。
 山奥に居たはずだが、ここは山の中とは思えない。

「ここは……」
「覚えてないの?」
 女が戸惑ったように訊ねた。
「お前は?」
「え……!?」
 女が流の問いに目を見開いた時、
「流様!」
 大人の男の声がした。

 こいつ鬼だ……!

「流様、御無事ですか!?」
 鬼が流の側に片膝を突いた。
「お前は誰だ!」
 流が身構えると鬼が戸惑った様子を見せた。
「流ちゃん、保科さんのことも覚えてないの? 大丈夫?」
 女が心配そうにそう言って流の額に手を当てる。
 温かくて柔らかい手だった。

「流様、とりあえずこちらへ。宿を取ってありますので」
「誰が鬼なんかにいてくか!」
「流様……」
 鬼が困惑したような表情を浮かべる。

うちに帰ろう。おじ様なら思い出す方法、分かるかもしれないよ」
 女が言った。
うち? お前の?」
「私のって言うか、流ちゃんと私が一緒にお世話になってる家だけど……」
「駄目です! その家は鬼の討伐を生業なりわいにしている家です!」
「でも流ちゃんはずっと一緒に暮らしてましたけど無事ですよ」
 流は保科という鬼を無視して女の方を向いた。
「行こう」
 流はそう言って上半身を起こした。

「流様! 危険です! いつ寝首をかれるか……」
「鬼の方がよっぽど危険だろ。鬼の討伐を生業にしてるって事は人間なんだろ。だったらお前よりずっと安全だ」
 この女は人間だから少なくとも危害を加えられる心配はない。
「あ、あの、流ちゃん、保科さんや流ちゃんは鬼じゃなくて最可族って言うんだって……」
「関係ない。鬼は鬼だ」
 そう言った後、さっきから引っ掛かっていたのが何か気付いた。
 体の感覚が違う。
 立ち上がると地面が覚えているより遠い。
 背が高くなっているのだ。
 てのひらを見ると大きくなっている。

「どういうことだ? 今は大人の姿なのか?」
「流ちゃん、大人になったことも覚えてないの? 大丈夫? おじ様に頼んでお医者様を呼んでもらおう」
 女が心配そうな表情で言った。
 それから、
「忘れちゃったなら私の名前も覚えてないよね。私は水緒」
 と名乗った。

 そう言われてから水緒が自分の名前を知っていたことに思い当たった。
 自分が名乗ったのでなければ水緒が名前を知っているはずがない。
 ということは覚えていないだけで水緒は間違いなく知り合いと言う事である。
 目が覚める前の記憶は山の中で鬼と戦っていたことだ。
 川辺で水を飲んだ後のことは覚えていない。

 それより前は少しずつ成長していっていたのだから気を失った後に突然大人の姿に変化へんげしたとは思えない。
 だとすればあれから時がったのだろう。
 大人になるくらい長い時が。
 周りを見ると鬼の死体が転がっている。

「この鬼達は……」
 鬼の体に流と同じように字が書いてあったが死んでいるなら害はない。
「流ちゃんが戦ってたんだよ」
 水緒が言うとおりなら鬼達を倒した後に何らかの理由で流は意識を失ったのだろう。

 まだ何か言っている保科という鬼を無視して水緒と一緒に、自分達が暮らしていたという家に向かった。
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