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第四章 唯
第六話
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どちらの男もよれよれの小袖を着流しにし、太刀を落とし差しにしていた。
夕輝は筵の中から繊月丸を取り出した。
男達は何も言わずに抜刀した。
背の高い男が右手に、お里のストーカーが左手に。
夕輝も刀を抜いた。
右手の男が青眼に構え、左手の男が八相に構えた。
夕輝は右手だけで青眼に構えた。
左手には鞘を持っていた。
男達がじりじりと近付いてくる。
夕輝はゆったりと構え、斬撃の起こりを待っていた。
右手の男が先に動いた。
真っ向へ振り下ろされた刀を弾くと同時に左手の男が袈裟に。
右手の男の二の太刀を避ける為に後ろに跳びながら左手の男の刀を鞘で跳ね上げて、そのまま鳩尾に叩き込んだ。
鳩尾を突かれた男が蹲る。
右手の男が再度青眼に構えた。
夕輝も鞘から手を放すと青眼に構えた。
二人はほぼ同時に仕掛けた。
夕輝は小手を、男は袈裟に振り下ろした。
二人の達が弾き合う。
一歩踏み込んで二の太刀を胴へ。
入った!
男が太刀を落として蹲る。
「太一、平助さんにこいつらのこと知らせてくれ」
「へい」
太一は今来た道を走って引き返していった。
「俺達も早くここを離れましょう」
夕輝はそう言うと橋本屋達を連れて歩き出した。
胡乱な牢人が狙っているのはお里だと言うことで、今度はお里の護衛をすることになった。
別の人を雇った方がいいと言ったのだが、どうしても、と頼み込まれ、他にもっと腕の立つ人が見つかるまで、と言う条件で引き受けてしまった。
橋本屋は再び紙にくるまれた金をよこしてきた。
夕輝はそれもお峰に渡した。
剣術の稽古は休みたくなかったので、護衛は午後だけ、出掛けるときに店の者が呼びに来ると言うことになった。
「夕輝、ちょっといいかい」
峰湯を手伝っていた夕輝に平助が声をかけた。
八つの鐘が鳴っているところだった。
「何ですか?」
汗を手ぬぐいで拭きながら訊ねた。
「草太を今川町で見かけたってぇヤツがいたんでよ、塒を探りに行くんだよ。一緒に来るかい?」
「はい」
夕輝はお峰に断ってくると、平助について歩き出した。
太一は薪の調達に行っていていなかった。
両国橋を渡り、南下して一之橋を渡り、更に南下して万年橋と上之橋を渡って今川町に入った。
今でも、街角を曲がる度に、現代の町並みが現れるのではないかと期待してしまう。
その希望を打ち砕くのは、木造の家屋でも、着物を着て髷を結っている人達でもなく、青い空だった。
現代では絶対見られない青い色をしている透明な空。
現代の空は汚れていたのだと気付かされる、秋でもないのに抜けるように高い空。
その高さはいくら手を伸ばしても届かない程遥か遠くにあって、同じように現代はどんなに頑張っても行かれない場所にあると言われているようだった。
晴天が続くと黄色っぽい砂埃で煙ることもあるが、青空はどこまでも澄んで青く、夜は信じられないくらい明るく輝く満天の星空。
空を見る度に、ここは江都なのだと思い知らされた。
「お前ぇ、酒は飲めるかい?」
平助が歩きながら訊いた。
「いえ、飲めません。水は駄目ですか?」
「この辺じゃ水は買ってるからな。出してもらえねぇと思うぜ」
「どうして水を買うんですか?」
八百屋と米屋の間にあった路地木戸から裏店の井戸が見えた。
つまり水が出ないわけではない。
「この辺は海に近ぇからよ。井戸水はしょっぱくて飲めねぇのよ」
大川より西は神田上水など、水道が引かれているので飲めるのだが、大川を挟んだ東側までは水道が引かれていないのだそうだ。
夕輝は写真で見たローマの水道橋を思い出したが、この辺は平地だからああいうのを造るのは無理なのかもしれない。
どちらにしろ日本は木造建築の国だしな。
「じゃあ、水を売りに来る人がいるんですか?」
「そう言うこった」
何でも舟に大きな水槽を載せ、それに江戸城のお堀から落ちる水を汲んできて、後は水を入れた桶を天秤棒で担いで売って回るのだそうだ。
江戸時代には水売りなんて商売もあったのか。
そんな話をしながら平助は縄暖簾の店を見つけるとそこへ入っていった。
「いらっしゃい」
中は大して広くなかった。まだ時間が早いせいか他に客はいなかった。
二人は空いている席に着くと女将らしい女性がやってきた。
平助は女将に魚の煮付けと酒と、夕輝の為にお茶を頼んでくれた。
女将はすぐに酒肴の膳を運んできた。
「女将さんかい?」
「そうだよ」
「酌をしてくれるかい? 男二人で飲んでもつまんねぇからよ」
平助は素早く一朱銀を女将の手に握らせた。
「少しならいいよ」
女将は愛想良く言って平助の隣に腰を下ろした。
袖の下が効いたのと、他に客がいないからいいと思ったようだ。
「俺は平吉、こいつは有三ってんだ。女将さんはなんてんだい?」
「おふくよ」
女将の酌で二、三杯飲んだ後、平助は、
「おふく姐さん、草太って男知ってるかい? この前この辺で見かけたんだが」
と訊ねた。
「草太? どんな男だい?」
「猫背で細目が吊り上がってて狐みたいな顔した男だよ。右目の下にでけぇ黒子があるんだ」
「あたしは見たことないけど、この先にある小料理屋の女将の情夫がそんな男だって訊いたことはあるよ」
「その店の名は?」
「蓑屋だよ。でも、なんでそんなこと訊くんだい?」
おふくが訝しげに訊ねた。
「いや、折角きれいな姐さんに酌をしてもらうんだ。あがっちまって話が出来なくなっちまったら勿体ねぇだろ。だから話のネタを予め作っとくのよ。そうすりゃ話が出来るだろ」
「ま、きれいだなんて」
おたふくに似た女将は嬉しそうにしなを作った。
きれい……。
まぁ、でも、この時代ではこういう顔が美人なのかもしれないし。
夕輝は敢えて何も言わなかった。
少なくとも平安美人の条件は満たしている。
古文の先生が、平安時代の美人は下ぶくれの顔におちょぼ口、細い目だと言っていた。
この時代は平安時代よりは現代に近いはずだが、平安時代から美人の条件は変わってないのかもしれないし、もしかしたら平助好みの顔なのかもしれない。
夕輝は筵の中から繊月丸を取り出した。
男達は何も言わずに抜刀した。
背の高い男が右手に、お里のストーカーが左手に。
夕輝も刀を抜いた。
右手の男が青眼に構え、左手の男が八相に構えた。
夕輝は右手だけで青眼に構えた。
左手には鞘を持っていた。
男達がじりじりと近付いてくる。
夕輝はゆったりと構え、斬撃の起こりを待っていた。
右手の男が先に動いた。
真っ向へ振り下ろされた刀を弾くと同時に左手の男が袈裟に。
右手の男の二の太刀を避ける為に後ろに跳びながら左手の男の刀を鞘で跳ね上げて、そのまま鳩尾に叩き込んだ。
鳩尾を突かれた男が蹲る。
右手の男が再度青眼に構えた。
夕輝も鞘から手を放すと青眼に構えた。
二人はほぼ同時に仕掛けた。
夕輝は小手を、男は袈裟に振り下ろした。
二人の達が弾き合う。
一歩踏み込んで二の太刀を胴へ。
入った!
男が太刀を落として蹲る。
「太一、平助さんにこいつらのこと知らせてくれ」
「へい」
太一は今来た道を走って引き返していった。
「俺達も早くここを離れましょう」
夕輝はそう言うと橋本屋達を連れて歩き出した。
胡乱な牢人が狙っているのはお里だと言うことで、今度はお里の護衛をすることになった。
別の人を雇った方がいいと言ったのだが、どうしても、と頼み込まれ、他にもっと腕の立つ人が見つかるまで、と言う条件で引き受けてしまった。
橋本屋は再び紙にくるまれた金をよこしてきた。
夕輝はそれもお峰に渡した。
剣術の稽古は休みたくなかったので、護衛は午後だけ、出掛けるときに店の者が呼びに来ると言うことになった。
「夕輝、ちょっといいかい」
峰湯を手伝っていた夕輝に平助が声をかけた。
八つの鐘が鳴っているところだった。
「何ですか?」
汗を手ぬぐいで拭きながら訊ねた。
「草太を今川町で見かけたってぇヤツがいたんでよ、塒を探りに行くんだよ。一緒に来るかい?」
「はい」
夕輝はお峰に断ってくると、平助について歩き出した。
太一は薪の調達に行っていていなかった。
両国橋を渡り、南下して一之橋を渡り、更に南下して万年橋と上之橋を渡って今川町に入った。
今でも、街角を曲がる度に、現代の町並みが現れるのではないかと期待してしまう。
その希望を打ち砕くのは、木造の家屋でも、着物を着て髷を結っている人達でもなく、青い空だった。
現代では絶対見られない青い色をしている透明な空。
現代の空は汚れていたのだと気付かされる、秋でもないのに抜けるように高い空。
その高さはいくら手を伸ばしても届かない程遥か遠くにあって、同じように現代はどんなに頑張っても行かれない場所にあると言われているようだった。
晴天が続くと黄色っぽい砂埃で煙ることもあるが、青空はどこまでも澄んで青く、夜は信じられないくらい明るく輝く満天の星空。
空を見る度に、ここは江都なのだと思い知らされた。
「お前ぇ、酒は飲めるかい?」
平助が歩きながら訊いた。
「いえ、飲めません。水は駄目ですか?」
「この辺じゃ水は買ってるからな。出してもらえねぇと思うぜ」
「どうして水を買うんですか?」
八百屋と米屋の間にあった路地木戸から裏店の井戸が見えた。
つまり水が出ないわけではない。
「この辺は海に近ぇからよ。井戸水はしょっぱくて飲めねぇのよ」
大川より西は神田上水など、水道が引かれているので飲めるのだが、大川を挟んだ東側までは水道が引かれていないのだそうだ。
夕輝は写真で見たローマの水道橋を思い出したが、この辺は平地だからああいうのを造るのは無理なのかもしれない。
どちらにしろ日本は木造建築の国だしな。
「じゃあ、水を売りに来る人がいるんですか?」
「そう言うこった」
何でも舟に大きな水槽を載せ、それに江戸城のお堀から落ちる水を汲んできて、後は水を入れた桶を天秤棒で担いで売って回るのだそうだ。
江戸時代には水売りなんて商売もあったのか。
そんな話をしながら平助は縄暖簾の店を見つけるとそこへ入っていった。
「いらっしゃい」
中は大して広くなかった。まだ時間が早いせいか他に客はいなかった。
二人は空いている席に着くと女将らしい女性がやってきた。
平助は女将に魚の煮付けと酒と、夕輝の為にお茶を頼んでくれた。
女将はすぐに酒肴の膳を運んできた。
「女将さんかい?」
「そうだよ」
「酌をしてくれるかい? 男二人で飲んでもつまんねぇからよ」
平助は素早く一朱銀を女将の手に握らせた。
「少しならいいよ」
女将は愛想良く言って平助の隣に腰を下ろした。
袖の下が効いたのと、他に客がいないからいいと思ったようだ。
「俺は平吉、こいつは有三ってんだ。女将さんはなんてんだい?」
「おふくよ」
女将の酌で二、三杯飲んだ後、平助は、
「おふく姐さん、草太って男知ってるかい? この前この辺で見かけたんだが」
と訊ねた。
「草太? どんな男だい?」
「猫背で細目が吊り上がってて狐みたいな顔した男だよ。右目の下にでけぇ黒子があるんだ」
「あたしは見たことないけど、この先にある小料理屋の女将の情夫がそんな男だって訊いたことはあるよ」
「その店の名は?」
「蓑屋だよ。でも、なんでそんなこと訊くんだい?」
おふくが訝しげに訊ねた。
「いや、折角きれいな姐さんに酌をしてもらうんだ。あがっちまって話が出来なくなっちまったら勿体ねぇだろ。だから話のネタを予め作っとくのよ。そうすりゃ話が出来るだろ」
「ま、きれいだなんて」
おたふくに似た女将は嬉しそうにしなを作った。
きれい……。
まぁ、でも、この時代ではこういう顔が美人なのかもしれないし。
夕輝は敢えて何も言わなかった。
少なくとも平安美人の条件は満たしている。
古文の先生が、平安時代の美人は下ぶくれの顔におちょぼ口、細い目だと言っていた。
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