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第三話
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依央は七々子が答えを待ってるのに気付いた。
「バカらしくなったから」
「え?」
シャツを二枚持っている者は一枚も持っていない者に一枚譲るように、そうやって皆が少しずつ他人に優しくすれば世界は良くなる。
そう信じて人々に教えを諭していた。
けれど人は変わらなかった。
いつまで経っても変わる未来が見えなかった。
そして信頼していた人に裏切られると知って諦めた。
人間は何をしても変わらない。
理想の世界になる日は来ない。
笊で水を汲むような作業が虚しくなった。
「だから逃げなかったの?」
「うん」
依央の返事に七々子はなんと答えればいいのか分からなかった。
確かに彼は救世主ではない。
もう人を救う気は無いから。
人間は見放されてしまったのだ。
人々を救おうとしていた人に。
救世主と成り得た人に。
救えない、救う価値はない、と。
キリストの復活を創作したのはそれに気付いた人なのかもしれない。
見捨てられた事実を受け入れたくなかったのだ。
「全部分かっちゃうのって辛いね」
「別に。予知しなければいいだけだから。余程の事がない限り勝手に分かる事はないし」
「私の事は? わざわざ予知してくれたの?」
「偶に意識しなくても分かる事がある」
彼が命を掛けて守ったからか彼女だけは見ようとしなくても見えるのだ。
予知出来たからと言って必ず助けられるわけではないから見えれば良いというものではないのだが。
この能力は呪いだ。
救えないのに見えたところで何の役にも立たない。
ただ無力感に打ちのめされるだけだ。
依央の顔に浮かんだ諦念を見て七々子は目を伏せた。
おそらく何度も結果を変えようとしてきたのだろう。
散々試した末、無駄だという事を受け入れて全てに目を瞑っているのだ。
十二月二十三日の夕方、依央と七々子は都庁の展望台に来ていた。
「見せたいものって何?」
その言葉に依央は西の空を指差した。
「あれがベツレヘムの星だって言われてる」
「ベツレヘムの星……聞いた事ある気はするけど……」
「東方の三博士が西の空に現れた星を見てキリストに会いに来たって言う話」
西の空に突然現れた星を見て三博士がその星の下に向かった。
そして星の指し示したところにキリストを抱いた聖母マリアがいた。
クリスマスツリーの天辺に星を飾るのはベツレヘムの星に見立てているのである。
「見てないの? それも伝説? でもそれならあの星は?」
「見てないのは生まれた直後だったから。あれは木星と土星」
「え、惑星の?」
「うん」
「木星と土星ならいつも見えてるよね? 見てないってどういう事?」
「見掛け上これだけ近付く事は滅多にないって事。ちょうどキリストが生まれた頃にもあったようだから、これがベツレヘムの星の正体じゃないかって言われてる」
「分からないものなの?」
「惑星が接近した時期は計算で割り出せるけどキリストの生没年がはっきりしてないから」
「いつなの?」
「さぁ?」
「なんで当人が知らないの?」
「当時と今では使ってる暦が違うから」
「西暦ってキリストが生まれた年からでしょ」
「いや、生まれる前からあった暦の元年をキリストの生まれた年って事にしたけど、そう決めたのは後世の人だから」
キリストの死後、数百年経ってからキリストが生まれた年を元年(一年)にしたのが西暦である。
ただ生没年がはっきりしていなかったので実際に生まれた年と元年はズレている。
キリストが生まれたのはヘロデ王が生きていた頃とされているが、ヘロデ王の死は紀元前四年と言われている。
ヘロデ王が生きていた頃、既に生まれていたなら誕生したのは紀元前四年より前という事だ。
「もしかしてクリスマスは祝いたくない? それなら依央君の誕生日だけでも……」
「別にどっちでもいいよ。そもそも十二月二十五日って後世の人が決めた日で実際は多分春だし」
「それも分かんないの?」
「誕生日を祝う習慣はなかったから。受胎告知が春分の日って言われてるけどホントは生まれたのがその頃だと思う」
「じゃあ、いいの?」
「いつも普通に祝ってたよ。祭りだし、そもそも国によっても違うし」
「十二月二十五日って決まったって今……」
「それを決めた頃に使ってたのはユリウス暦。今はグレゴリオ暦だから」
地球が太陽の周りを一周する周期はきっかり三百六十五日ではない為、年数と共にズレていくのだ。
それを修正するのが閏年なのだが、それでも長く使っているとズレが生じる。
教会は長らくユリウス暦を使っていたが、天文学上の春分の日と暦の上の春分の日のズレが大きくなった。
そこで十六世後半にグレゴリオ暦が作られた。
しかしローマ教皇が発令したグレゴリオ暦にはカソリック以外の宗派が抵抗を示し導入が遅れた。
現代でも日常生活ではグレゴリオ暦を使っていても行事の日程はユリウス暦を使っている宗派がある。
その為、グレゴリオ暦のクリスマスとユリウス暦のクリスマスで十日以上のずれが生じているのだ。
「そっか。じゃ、明日は東京タワーにイルミネーションが見に行こ」
「ああ」
依央は笑顔で頷いた。
翌日、依央と七々子は東京タワーの近くに来ていた。
「綺麗……」
東京タワーを見上げた七々子が顔を輝かせた。
「これで雪が降ってくれれば最高なのに」
「ホワイトクリスマスか」
「うん、でも東京では無いでしょ。うちの親も見たこと無いって言って……」
不意に七々子の頬に冷たいものが当たった。
見上げると空から銀色のものが舞い落ちてくる。
「嘘……」
アスファルトに付くとすぐに溶ける為、道路があっという間に濡れていく。
濡れた路面がイルミネーションを反射して輝く。
「奇蹟みた……」
言い掛けた七々子がハッとして、
「まさか!?」
依央の方を振り返った。
「奇蹟は起こせないって……」
「空気中の水分を凍らせるくらいなら」
「信じられない……」
七々子が空を見上げる。
雪はすぐに止んでしまった。
「あ、終わっちゃった……」
「乾燥してるから。それより凍らせる為に気温を下げたから寒いだろ。大丈夫か?」
「全然平気! ありがとう!」
七々子は依央に抱き付いた。
「え?」「あ!」
七々子が赤くなって慌てて離れた。
「ご、ごめん」
「いや、雪を降らせた甲斐があった」
顔を背けた依央も頬がうっすらと染まっていた。
「あ、あっちにも行ってみよ」
七々子はそう言うと依央の腕を取って歩き始めた。
「バカらしくなったから」
「え?」
シャツを二枚持っている者は一枚も持っていない者に一枚譲るように、そうやって皆が少しずつ他人に優しくすれば世界は良くなる。
そう信じて人々に教えを諭していた。
けれど人は変わらなかった。
いつまで経っても変わる未来が見えなかった。
そして信頼していた人に裏切られると知って諦めた。
人間は何をしても変わらない。
理想の世界になる日は来ない。
笊で水を汲むような作業が虚しくなった。
「だから逃げなかったの?」
「うん」
依央の返事に七々子はなんと答えればいいのか分からなかった。
確かに彼は救世主ではない。
もう人を救う気は無いから。
人間は見放されてしまったのだ。
人々を救おうとしていた人に。
救世主と成り得た人に。
救えない、救う価値はない、と。
キリストの復活を創作したのはそれに気付いた人なのかもしれない。
見捨てられた事実を受け入れたくなかったのだ。
「全部分かっちゃうのって辛いね」
「別に。予知しなければいいだけだから。余程の事がない限り勝手に分かる事はないし」
「私の事は? わざわざ予知してくれたの?」
「偶に意識しなくても分かる事がある」
彼が命を掛けて守ったからか彼女だけは見ようとしなくても見えるのだ。
予知出来たからと言って必ず助けられるわけではないから見えれば良いというものではないのだが。
この能力は呪いだ。
救えないのに見えたところで何の役にも立たない。
ただ無力感に打ちのめされるだけだ。
依央の顔に浮かんだ諦念を見て七々子は目を伏せた。
おそらく何度も結果を変えようとしてきたのだろう。
散々試した末、無駄だという事を受け入れて全てに目を瞑っているのだ。
十二月二十三日の夕方、依央と七々子は都庁の展望台に来ていた。
「見せたいものって何?」
その言葉に依央は西の空を指差した。
「あれがベツレヘムの星だって言われてる」
「ベツレヘムの星……聞いた事ある気はするけど……」
「東方の三博士が西の空に現れた星を見てキリストに会いに来たって言う話」
西の空に突然現れた星を見て三博士がその星の下に向かった。
そして星の指し示したところにキリストを抱いた聖母マリアがいた。
クリスマスツリーの天辺に星を飾るのはベツレヘムの星に見立てているのである。
「見てないの? それも伝説? でもそれならあの星は?」
「見てないのは生まれた直後だったから。あれは木星と土星」
「え、惑星の?」
「うん」
「木星と土星ならいつも見えてるよね? 見てないってどういう事?」
「見掛け上これだけ近付く事は滅多にないって事。ちょうどキリストが生まれた頃にもあったようだから、これがベツレヘムの星の正体じゃないかって言われてる」
「分からないものなの?」
「惑星が接近した時期は計算で割り出せるけどキリストの生没年がはっきりしてないから」
「いつなの?」
「さぁ?」
「なんで当人が知らないの?」
「当時と今では使ってる暦が違うから」
「西暦ってキリストが生まれた年からでしょ」
「いや、生まれる前からあった暦の元年をキリストの生まれた年って事にしたけど、そう決めたのは後世の人だから」
キリストの死後、数百年経ってからキリストが生まれた年を元年(一年)にしたのが西暦である。
ただ生没年がはっきりしていなかったので実際に生まれた年と元年はズレている。
キリストが生まれたのはヘロデ王が生きていた頃とされているが、ヘロデ王の死は紀元前四年と言われている。
ヘロデ王が生きていた頃、既に生まれていたなら誕生したのは紀元前四年より前という事だ。
「もしかしてクリスマスは祝いたくない? それなら依央君の誕生日だけでも……」
「別にどっちでもいいよ。そもそも十二月二十五日って後世の人が決めた日で実際は多分春だし」
「それも分かんないの?」
「誕生日を祝う習慣はなかったから。受胎告知が春分の日って言われてるけどホントは生まれたのがその頃だと思う」
「じゃあ、いいの?」
「いつも普通に祝ってたよ。祭りだし、そもそも国によっても違うし」
「十二月二十五日って決まったって今……」
「それを決めた頃に使ってたのはユリウス暦。今はグレゴリオ暦だから」
地球が太陽の周りを一周する周期はきっかり三百六十五日ではない為、年数と共にズレていくのだ。
それを修正するのが閏年なのだが、それでも長く使っているとズレが生じる。
教会は長らくユリウス暦を使っていたが、天文学上の春分の日と暦の上の春分の日のズレが大きくなった。
そこで十六世後半にグレゴリオ暦が作られた。
しかしローマ教皇が発令したグレゴリオ暦にはカソリック以外の宗派が抵抗を示し導入が遅れた。
現代でも日常生活ではグレゴリオ暦を使っていても行事の日程はユリウス暦を使っている宗派がある。
その為、グレゴリオ暦のクリスマスとユリウス暦のクリスマスで十日以上のずれが生じているのだ。
「そっか。じゃ、明日は東京タワーにイルミネーションが見に行こ」
「ああ」
依央は笑顔で頷いた。
翌日、依央と七々子は東京タワーの近くに来ていた。
「綺麗……」
東京タワーを見上げた七々子が顔を輝かせた。
「これで雪が降ってくれれば最高なのに」
「ホワイトクリスマスか」
「うん、でも東京では無いでしょ。うちの親も見たこと無いって言って……」
不意に七々子の頬に冷たいものが当たった。
見上げると空から銀色のものが舞い落ちてくる。
「嘘……」
アスファルトに付くとすぐに溶ける為、道路があっという間に濡れていく。
濡れた路面がイルミネーションを反射して輝く。
「奇蹟みた……」
言い掛けた七々子がハッとして、
「まさか!?」
依央の方を振り返った。
「奇蹟は起こせないって……」
「空気中の水分を凍らせるくらいなら」
「信じられない……」
七々子が空を見上げる。
雪はすぐに止んでしまった。
「あ、終わっちゃった……」
「乾燥してるから。それより凍らせる為に気温を下げたから寒いだろ。大丈夫か?」
「全然平気! ありがとう!」
七々子は依央に抱き付いた。
「え?」「あ!」
七々子が赤くなって慌てて離れた。
「ご、ごめん」
「いや、雪を降らせた甲斐があった」
顔を背けた依央も頬がうっすらと染まっていた。
「あ、あっちにも行ってみよ」
七々子はそう言うと依央の腕を取って歩き始めた。
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