比翼の鳥

月夜野 すみれ

文字の大きさ
上 下
6 / 46
第二章

第二話

しおりを挟む
 食事は弦之丞と宗祐が居間で、花月と光夜は台所で食べた。
「うちは知行取ちぎょうとりだからご飯はいくら食べても大丈夫よ」
 花月はそう言って微笑わらった。
「さっき、またって言ってたけど……」
「うん、あんたで三人目」
 花月がなんでもないような口調で答えた。
「他の二人は?」
「出てった」
 花月が軽く肩をすくめる。

 来るものはこばまず去る者は追わず、か。
 見ず知らずの光夜をあっさり家に上げた理由は弦之丞と宗祐に会って納得した。
 あの二人を相手にしてかなう者は少ない。
 どんな素性すじょうの者を家に上げても怖くないだろう。
 内証が良くないからなのか元々質実剛健しつじつごうけんなのか家の中に高価そうな物は見受みうけられなかった。
 もし値の張る物があるとしたら差料さしりょうくらいだろうが、それこそあの二人から盗むのはまず無理だ。

 食事が終わると花月は、
「じゃ、稽古場へ行こうか」
 と言って立ち上がった。
 こんな時間に? と思いながら光夜は花月に渡された胴着どうぎに着替えると香月と共に稽古場へと向かった。

 稽古場で待っていると弦之丞と宗祐がってきた。
 その場にいたのは弦之丞と宗祐、それに花月と光夜の四人だけだ。
 明かりは四隅よすみ蝋燭ろうそくしかない。

「まず、宗祐と花月で光夜に見本を見せてやりなさい。光夜はそこで見ているように」
 弦之丞の言葉に光夜は稽古場の端にった。

 花月は太刀を落とし差しにし、宗祐は丸腰だった。
 花月は抜刀と同時に斬り付けた。
 次の瞬間には丸腰だったはずの宗祐が花月の喉元に刀を突き付けていた。
 宗祐が一瞬のうちに花月の太刀を奪ったのだ。
 速い……!
 花月の抜刀はかろうじて分かったが宗祐の動きは全く見えなかった。
 何が起きたのか全く分からない。
 光夜は呆然として見ていた。
 真剣じゃねぇか。
 しかも刃引はびきではない。
 刃引きとはつぶして切れないようにした刀だ。
 普通は稽古で真剣を使う場合でも刃引きを使う。

「光夜、花月とってみなさい」
 花月は光夜に太刀を渡し、自分も腰に差した。
 二人は向かい合って立つ。
「光夜は抜刀していてよい」
 その言葉に刀を抜いて青眼に構えた。
 花月の剣捌けんさばきは速い。
 どう攻めようか考えをめぐらそうとした時には喉元に切っ先がき付けられていた。
 ……え?

「光夜。敵は礼もしなければ考える時間もくれない。考えるより前に動け」
 弦之丞が言った。
「はい」
 光夜は返事と同時に花月に駆け寄り右腕だけで刀を突き出した。
 片腕の分、普通より遠くまで剣先が届く……はずだった。
 気付くと床に倒れ、胸元に剣先があった。
 花月は突き出された光夜の刀を、たいを開いてけ、肩を掴んで後ろに引き倒し、倒れる光夜の手から太刀を奪って突き付けたのだ。
 花月は抜刀すらしていない。

「光夜」
 弦之丞がこちらを向いて名を呼んだ。
「は、はい」
 起き上がった光夜は思わず背筋を伸ばして答えた。
「昼間の稽古でみがくのは気力きりょくだ。しかし夜の稽古は違う。いかにして勝つか。勝つためなら何をしても構わん。蹴飛けとばそうが目潰めつぶしをしようが、とにかく勝てばそれでよい」
「…………」
 浜崎にはそんなことは教わらなかった。
 だからどんな時でも刀以外で攻撃したことはない。
「……勝つためなら何をしてもいいのか?」
 その言葉に弦之丞がうなずく。

「花月、光夜に太刀を返しなさい。それから光夜に背を向けるように」
 光夜は返された太刀を腰に差した。
 花月が一間ほど離れたところで光夜に背を向けた。
 花月は丸腰だ。
 光夜は抜刀しながら花月に一気に寄った。
 花月は振り向くと素早く光夜の横に移動した。
 次の瞬間、太刀を奪われて脇腹に刃が当たっていた。
 花月は刀を振り下ろした光夜の手を左手で押さえると右手で太刀の峰を押した。
 光夜は刀を押されて手を放してしまった。
 その太刀を花月が取り上げて光夜の腹を斬る直前で止めたのだ。

「光夜。今のが無刀取むとうどりと言って我が道場の秘技ひぎだ」
「秘技を今日来たばかりの俺に教えていんですか?」
 弦之丞によると名称は違うが無刀取り自体はどの流派でも大抵はあるから別に知られても困らないらしい。
「我が流派には無刀むとうの教えというものがある。今の技は無刀取りだが必ずしも今の技のことを言っているわけではない」
 光夜は黙って聞いていた。

「無刀の教えとは敵に斬られないことを勝利とするものだ。剣の道とは、剣があってこそ開かれたものだが、刀を離れたところにも道はある」
 弦之丞の言った事が完全に理解出来たわけではない。
 ただ、この言葉はしっかり覚えておかなければいけないという事だけは分かった。
「大事なのは生き残ることだ。宗祐、花月と光夜の相手をしてやりなさい。花月は光夜に手ほどきを」
「はい」
 花月が刀を持って稽古場の真ん中に立った。

「光夜?」
 呆然と弦之丞を見ていた光夜は花月に名前を呼ばれてはっとした。
 慌てて太刀を持って花月の横に立った。
「真横に立っちゃ駄目」
「え?」
「あんたは若先生の左後ろの死角になる辺りに立って。私が気を引くから隙が出来たら攻撃して」
 信じられない思いで花月に言われたように宗祐の左後方に立った。
 当然だが、二人掛かりだろうがどんな手を使おうが刀は宗祐にかすりもしなかった。
「今夜はこのくらいにしておこう。光夜は居間へ来るように」
 弦之丞はそう言うと宗祐と共に母屋に引き上げていった。

 着替えて居間へ行くと弦之丞が待っていた。
 読み書きはどのくらい出来るかと訊ねられ、簡単な字くらいは、と答えると、
「それでは今夜からそれがしが教える」
 と言って四書五経ししょごきょうの『大学だいがく』を差し出してきた。
 光夜が訳を訊ねると、
大学だいがくは初学の門なりと云う事。およそ家に至るには、まづ門より入者也はいるものなり然者しかれば、門は家に至るしるべなりこの門をとおりて家に入り、主人にあふ也」
 という答えが返ってきた。
 全っ然、意味分かんねぇ……。
 弦之丞はそのまま光夜に大学を教え始めた。
「光夜、明日の朝は早いからね」
 弦之丞に就寝の挨拶をしに来た花月が、『大学』の素読そどくを教わっていた光夜にそう言った。

 朝は確かに早かった。
 光夜は眠れないかと思ったが自分でも信じられないくらい熟睡じゅくすいしてしまった。
 こんなにぐっすり眠れたのは浜崎と長屋で暮らしていたころ以来だった。
 警戒する必要を感じなかったからだろう。
 弦之丞も宗祐も強い。
 この二人程の手練てだれ相手だと警戒する気にもならない。
 その気になれば光夜など一太刀ひとたちで殺せる。
 いや、太刀すら必要ない。
 気付いた時には死んでるだろう。
 死んだ後に気付けるものなのかはともかく。
 ならば警戒するだけ無駄だ。
 そう考えると気を張るのが馬鹿らしくなったのだ。
しおりを挟む

処理中です...