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第三章
第三話
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「光夜、これ、洗ってあるから明日はこっち着て」
花月が光夜に畳んだ稽古着を渡した。
毎日飯が食えて、洗い立ての着物を着る。
雨漏りの心配をしなくて良い家で眠れて剣術や素読などを習い、花月や信之介と他愛ないお喋りをする。
空きっ腹を抱えて辻斬りを斬るのに比べたら雲泥の差だ。
もっとも稽古はかなり厳しい。
稽古場に来ている弟子達よりも遙かにキツいから前にいた二人が付いていけなくて出ていったのも仕方ない。
よほど剣術が好きで体力がなければ無理だろう。
こういう生活もあるんだな……。
光夜が布団を引こうと押し入れを開けると三毛猫が丸くなって寝ていた。
桜井家では猫を飼っていない。
野良猫が入り込んできたのだ。
「お前もここで暮らしたいのか?」
そうだよな。
寒さも雨風も凌げるんだもんな。
光夜は一旦猫を下ろして布団を引くと隅に猫を乗せてやった。
「餌は鼠でも獲って済ませろよ」
光夜はそう言って猫の頭を撫でた。
翌朝、目を覚ますと枕元に猫がいた。
猫の足下には雀の死体がある。
どうやら獲ってきた獲物を見せに来たらしい。
「早速餌を獲ってきたのか。偉いな」
光夜が頭を撫でてやると、猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
数日後、光夜と信之介は初伝と中伝を伝授された。
光夜が師匠に渡す謝礼は花月が用意した。
謝礼というから金かと思ったら紙や筆などの、そこそこ高価な品物だった。
元々師匠である弦之丞の物なのだが、信之介が謝礼を用意している手前、光夜が何も出さない訳にはいかないからと花月が弦之丞の書斎から持ち出してきたのだ。
元々弦之丞の物だから持ち主に返しただけと言う事になる。
信之介も似たような物を持ってきた。
伝位が伝授されたからといって何が変わったわけでもない。
稽古の内容もそのままだし雑巾がけも今まで通りだ。
初伝と中伝を読んでみたが今一つよく分からない。
今までと何も変わらないのに、これを貰ったと言うだけで妬まれるというのも何か不思議な気がした。
ある日、稽古をしていると、
「頼もう!」
と言う声が聞こえてきて弟子達が一斉に戸口を振り返った。
髭も月代も伸ばし放題の大柄な男と、にやけた顔の痩せ気味の男、それに小柄な男が立っていた。
「桜井先生に一手ご指導願いたい」
髭の男が言った。
その言葉に弟子達は一斉に稽古場の壁際に寄って場所を空けた。
光夜も皆に習って花月の隣に行く。
「光夜、若先生の実力の一端が見られる良い機会よ。しっかり見ておきなさい」
花月が光夜に囁いた。
確かに光夜はまだ宗祐が戦っているところを見たことがない。
毎晩稽古で相手をしてもらっているが、花月と二人掛かりでも刀が擦りもしない。
宗祐は殆どその場から動いてないのに、である。
弟子達は黙って男達に目を向けている。
年長の者ほど男達を注視しているのは花月が言ったのと同じ理由だろう。
熟練した者ほど見取り稽古の大切さをよく分かっているのだ。
男達はその様子に互いに顔を見合わせる。
道場破りに来て弟子達に騒がれなかったのは初めてなのだろう。
それでも誰かが応える前に男達は稽古場に上がり込んできた。
「師匠」
宗祐が声を掛けると弦之丞が頷いた。
宗祐が木刀を手に取って立ち上がる。
「当家では木刀を使っているがよろしいか」
「こちらも木刀を持参した故」
髭の男はにやけた男に顔を向けた。
にやけた男が木刀を取り出した。
「して名前と流派は?」
「一刀流、織田草太」
と髭の男。
「同じく、新発田庄助」
にやけた男が名乗った。
「念流、浜田圭太郎」
小柄な男が呟くように言った。
宗祐と男達は稽古場の真ん中で向き合った。
宗祐が青眼に構えた。
織田も青眼に構える。
宗祐と織田はじりじりと間を詰めていった。
弟子達は息を飲んで見詰めている。
あいつも結構遣えるようだが若先生の敵じゃねぇな……。
光夜は織田の力量を見て取った。
相手の力がどれくらいかを正確に見極める。
それが生き残る秘訣だ。
相手の強さを見誤ると死に繋がる。
光夜は辻斬りを斬っていた経験から身を以て知っていた。
皆光夜を子供と見縊って死んでいった。
二人の間が一足一刀の間境の半歩手前まで迫る。
織田の額から汗が伝った。
「いやぁ!」
織田が裂帛の気合いを発すると、斬撃の間境を踏み越え木刀を打ち下ろした。
宗祐が弾いた。
二人はすかさず二の太刀を放った。
宗祐が突きを、織田が小手を。
織田の木刀は宗祐の手から離れたところで止まった。
宗祐の木刀が織田の喉元に突き付けられていた。
固唾を飲んで見詰めていた弟子達が一斉に息を吐いた。
次は新発田だった。
宗祐は男の木刀を左足を引いただけで躱し、そのまま振り下ろされた腕を狙って小手を打つ。
骨が砕ける鈍い男がした。
床に木刀が転がる。
「うあああああ!」
男が腕を抱えて倒れる。
小柄な男が無言で背後から打ち掛かった。
「若先生!」
新入りの弟子が声を上げた。
宗祐は僅かに体を開いて木刀を避けると振り返りざま胴を払った。
「ぐっ!」
男が木刀を落として蹲る。
「ちっ!」
舌打ちをして織田が掛かってきた。
逆袈裟に振り上げられた木刀を避けた宗祐は男の肩に木刀を振り下ろした。
肩の骨が砕ける音がした。
「ぐあああああ!」
男が肩を押さえて転げ回った。
「放り出せ」
弦之丞が静かに言うと弟子達が男を担いで稽古場の外に連れ出した。
「あの程度の腕で道場破りなど」
弟子の一人が鼻で笑った。
「あいつら、結構遣えたぜ」
光夜が言った。
花月が一端と言った意味がよく分かった。
宗祐はあれでも殺さないように大分手加減していた。
宗祐の実力はあんなものではない。
「その通り。若先生が強かったから弱く見えただけ。他の者だったら負けていたかもしれない」
花月が光夜の言葉を肯定した。
弟子が罰の悪そうな顔になる。
「慢心しないで精進すること。剣の道に果てはないのだから」
「はい」
弟子はそう返事をすると稽古に戻った。
稽古が再開されると光夜の頭から道場破りのことは消えてしまった。
花月が光夜に畳んだ稽古着を渡した。
毎日飯が食えて、洗い立ての着物を着る。
雨漏りの心配をしなくて良い家で眠れて剣術や素読などを習い、花月や信之介と他愛ないお喋りをする。
空きっ腹を抱えて辻斬りを斬るのに比べたら雲泥の差だ。
もっとも稽古はかなり厳しい。
稽古場に来ている弟子達よりも遙かにキツいから前にいた二人が付いていけなくて出ていったのも仕方ない。
よほど剣術が好きで体力がなければ無理だろう。
こういう生活もあるんだな……。
光夜が布団を引こうと押し入れを開けると三毛猫が丸くなって寝ていた。
桜井家では猫を飼っていない。
野良猫が入り込んできたのだ。
「お前もここで暮らしたいのか?」
そうだよな。
寒さも雨風も凌げるんだもんな。
光夜は一旦猫を下ろして布団を引くと隅に猫を乗せてやった。
「餌は鼠でも獲って済ませろよ」
光夜はそう言って猫の頭を撫でた。
翌朝、目を覚ますと枕元に猫がいた。
猫の足下には雀の死体がある。
どうやら獲ってきた獲物を見せに来たらしい。
「早速餌を獲ってきたのか。偉いな」
光夜が頭を撫でてやると、猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
数日後、光夜と信之介は初伝と中伝を伝授された。
光夜が師匠に渡す謝礼は花月が用意した。
謝礼というから金かと思ったら紙や筆などの、そこそこ高価な品物だった。
元々師匠である弦之丞の物なのだが、信之介が謝礼を用意している手前、光夜が何も出さない訳にはいかないからと花月が弦之丞の書斎から持ち出してきたのだ。
元々弦之丞の物だから持ち主に返しただけと言う事になる。
信之介も似たような物を持ってきた。
伝位が伝授されたからといって何が変わったわけでもない。
稽古の内容もそのままだし雑巾がけも今まで通りだ。
初伝と中伝を読んでみたが今一つよく分からない。
今までと何も変わらないのに、これを貰ったと言うだけで妬まれるというのも何か不思議な気がした。
ある日、稽古をしていると、
「頼もう!」
と言う声が聞こえてきて弟子達が一斉に戸口を振り返った。
髭も月代も伸ばし放題の大柄な男と、にやけた顔の痩せ気味の男、それに小柄な男が立っていた。
「桜井先生に一手ご指導願いたい」
髭の男が言った。
その言葉に弟子達は一斉に稽古場の壁際に寄って場所を空けた。
光夜も皆に習って花月の隣に行く。
「光夜、若先生の実力の一端が見られる良い機会よ。しっかり見ておきなさい」
花月が光夜に囁いた。
確かに光夜はまだ宗祐が戦っているところを見たことがない。
毎晩稽古で相手をしてもらっているが、花月と二人掛かりでも刀が擦りもしない。
宗祐は殆どその場から動いてないのに、である。
弟子達は黙って男達に目を向けている。
年長の者ほど男達を注視しているのは花月が言ったのと同じ理由だろう。
熟練した者ほど見取り稽古の大切さをよく分かっているのだ。
男達はその様子に互いに顔を見合わせる。
道場破りに来て弟子達に騒がれなかったのは初めてなのだろう。
それでも誰かが応える前に男達は稽古場に上がり込んできた。
「師匠」
宗祐が声を掛けると弦之丞が頷いた。
宗祐が木刀を手に取って立ち上がる。
「当家では木刀を使っているがよろしいか」
「こちらも木刀を持参した故」
髭の男はにやけた男に顔を向けた。
にやけた男が木刀を取り出した。
「して名前と流派は?」
「一刀流、織田草太」
と髭の男。
「同じく、新発田庄助」
にやけた男が名乗った。
「念流、浜田圭太郎」
小柄な男が呟くように言った。
宗祐と男達は稽古場の真ん中で向き合った。
宗祐が青眼に構えた。
織田も青眼に構える。
宗祐と織田はじりじりと間を詰めていった。
弟子達は息を飲んで見詰めている。
あいつも結構遣えるようだが若先生の敵じゃねぇな……。
光夜は織田の力量を見て取った。
相手の力がどれくらいかを正確に見極める。
それが生き残る秘訣だ。
相手の強さを見誤ると死に繋がる。
光夜は辻斬りを斬っていた経験から身を以て知っていた。
皆光夜を子供と見縊って死んでいった。
二人の間が一足一刀の間境の半歩手前まで迫る。
織田の額から汗が伝った。
「いやぁ!」
織田が裂帛の気合いを発すると、斬撃の間境を踏み越え木刀を打ち下ろした。
宗祐が弾いた。
二人はすかさず二の太刀を放った。
宗祐が突きを、織田が小手を。
織田の木刀は宗祐の手から離れたところで止まった。
宗祐の木刀が織田の喉元に突き付けられていた。
固唾を飲んで見詰めていた弟子達が一斉に息を吐いた。
次は新発田だった。
宗祐は男の木刀を左足を引いただけで躱し、そのまま振り下ろされた腕を狙って小手を打つ。
骨が砕ける鈍い男がした。
床に木刀が転がる。
「うあああああ!」
男が腕を抱えて倒れる。
小柄な男が無言で背後から打ち掛かった。
「若先生!」
新入りの弟子が声を上げた。
宗祐は僅かに体を開いて木刀を避けると振り返りざま胴を払った。
「ぐっ!」
男が木刀を落として蹲る。
「ちっ!」
舌打ちをして織田が掛かってきた。
逆袈裟に振り上げられた木刀を避けた宗祐は男の肩に木刀を振り下ろした。
肩の骨が砕ける音がした。
「ぐあああああ!」
男が肩を押さえて転げ回った。
「放り出せ」
弦之丞が静かに言うと弟子達が男を担いで稽古場の外に連れ出した。
「あの程度の腕で道場破りなど」
弟子の一人が鼻で笑った。
「あいつら、結構遣えたぜ」
光夜が言った。
花月が一端と言った意味がよく分かった。
宗祐はあれでも殺さないように大分手加減していた。
宗祐の実力はあんなものではない。
「その通り。若先生が強かったから弱く見えただけ。他の者だったら負けていたかもしれない」
花月が光夜の言葉を肯定した。
弟子が罰の悪そうな顔になる。
「慢心しないで精進すること。剣の道に果てはないのだから」
「はい」
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【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
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