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第九章
第九章 第一話
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翌朝、素振りをしていた光夜達に朝餉の仕度が出来たと告げに来た加代が、
「殿様、昨日ササゲ豆が届きました」
と報告してから、
「これが小袖の袂に入っていました」
光夜に守り袋を差し出した。
「あ、すまねぇ」
光夜が守り袋を受け取った。
西野家で返されて一度は懐に入れたのだが懐紙を出すとき邪魔だったので袂に入れ直したのだ。
加代は赤飯を炊く日が決まったら教えてくれと言って台所に戻っていった。
「そういえば、それ、ここに来る前から持ってたのよね? 誰かの形見?」
花月が訊ねた。
「浜崎のおっさんから実の親の子供だって証だから絶対無くすなって渡されたんだ」
「浜崎とは?」
弦之丞に問われて愕然とした。
師匠達に話してねぇのかよ!
ということは弦之丞も宗祐も全く素性の知れない人間を家に置いていたことになる。
正気かよ……。
光夜は弦之丞と宗祐に掻い摘まんで身の上を話した。
「実の子の証って事は親御さんが分かりそうな物が入ってるの?」
「いや、なんにも。紙切れ一枚だけだぜ」
そもそも実の子の証と言われてもその親が誰なのか教えられていないのだからどうにもならない。
「その紙には何も書いてなかったって事?」
花月の問いに以前、紙を見た時の事を思い返してみたが、その頃は今よりも読める字が少なかった事もあって意味が分からなかったので中身は思い出せない。
光夜は守り袋を開けると紙を取り出した。
「ん?」
二枚ある……。
以前は一枚しかなかった。
「何か分かった?」
光夜が首を傾げたのを見た花月が訊ねた。
「いや、前は一枚だけだったんだが」
光夜が二枚の紙を広げて花月達に見せた。
弦之丞と宗祐が紙に目向ける。
「以前入っていたというのはこちらだろうな」
宗祐が右の紙を指した。
それから左の紙を見て眉を顰めた。
「父上」
宗祐が弦之丞を振り返った。
「うむ」
弦之丞も厳しい表情を浮かべる。
「何か?」
「こちらは何かの連判状だな」
そう言われ見ると名前らしきものがずらずらと並んでいる。
崩れすぎていて何と書いてあるのかまでは分からなかったが筆跡が違うからそれぞれ別の者が書いたのは間違いないだろう。
宗祐が右から名前を読み上げていった。
「聞き覚えのある名はあるか」
弦之丞が訊ねた。
「いいえ」
光夜は首を振った。
「知らぬうちに入れられていたと言うことは湯屋か?」
「なんの連判状かは書いてないのですか?」
花月が訊ねた。
「ないな。おそらく仲間になったという証として署名したものなのだろう」
「でも何故光夜の守り袋に……」
「急いで隠す必要があって手近な物に入れたのであろう」
「湯屋でそのようなことがあるのでしょうか」
「それは分からぬな」
弦之丞がそう答えると、宗祐が右の紙を指した。
「これは証文だ。左に書いてある名前の片方が菊市だから光夜の父君であろう」
そう言われて証文だという紙を自分の方に向けて見てみた。
やっぱ分かんねぇ……。
「読める?」
花月に聞かれて、
「さっぱり」
光夜は正直に答えた。
「ここに菊市と書いてある」
宗祐が左端のにょろにょろした線を指した。
本文は楷書なのだが難しくて内容はまるで分からない。
名前だという部分は草書で、崩れすぎていてやはり全く読めない。
「菊市……通称の一文字目は分からぬが、その後は九郎のようだな。その後の諱は……一文字目は宗か? 次は……」
「『矩』ですか!?」
花月が勢い込んで言った。
「いや、もっと画数の多い漢字だろう」
「『冬』とか!?」
「増えてねぇだろ!」
「なら『巌』とか!?」
「垂は無ぇ!」
「それなら『在』とか」
柳生家の名前全部挙げるつもりかよ!
「む……」
宗祐が困った様子で弦之丞に目を向けると、弦之丞は雀を見ている振りで顔を背けていた。
二人共期待している花月に違うとは言いたくないのだろう。
とはいえ、いつもの冗談でとんでもない名前を出されても困る。
ったく……。
「どっちにしろ俺の名前じゃないんですよね?」
光夜が助け船を出した。
「光夜が書いたのではないのならそういう事だ」
宗祐が安堵したように頷いた。
「なら下の字がなんであろうと俺の諱じゃないですよね」
「そうなるな」
「光夜、なんとか字を判読して父君と同じ名にするか? 同じ名を名乗っていれば父君を知っている人が現れるかもしれぬぞ」
弦之丞が言った。
「もしかしたら宗厳かもしれないのよね!」
だから、垂は無ぇ!
「せっかく字を賜りましたし……」
光夜はちょっと考えてから、
「紘に宗でいいですか?」
と答えた。
紘宗という剣豪はいなかったはずだ。
「『こうそう』って珍しい諱ね」
「そこは『ひろむね』だろ!」
「光夜の好きなようにして構わぬ」
弦之丞がそう言って光夜の諱は『紘宗』に決まった。
諱一つ決めるのにすげぇ疲れた……。
光夜は溜息を吐いた。
「光夜、諱は決まったが通称はどうするのだ」
弦之丞の問いに光夜が口籠もった。
そういえば、通称もあったんだった……。
早く決めなければ十兵衛にされかねない。
「源八郎とか彦十郎とか……」
花月は相変わらず武術の達人の名前を挙げている。
なんでそんな高名な名前ばっかなんだよ……。
と思い掛けてから誰であれ多少なりとも名を揚げていない者など知っているわけがないと気付いた。
「まぁ当分は幼名でも問題あるまい」
弦之丞は花月に、加代に明後日の夕餉を赤飯にすることと、髪結いに使いを出して前髪を落とす用意をしてくるように伝えるように指示すると母屋に戻っていった。
金に余裕のない者は髪結床に行くが、桜井家には数日おきに髪結いが月代を剃りに来ている。
次は明後日に来るからその時に前髪を落として月代を剃り髷を結ってもらう事になった。
西野家に向かうために玄関で待っていると花月が出てきた。
普段は淡い色か、白地に小さな柄物の小袖なのに今日は濃紺のものを着ていた。
袴も似たような濃い色をしている。
「それ、初めて見たな」
光夜がそう言うと、
「昔、お兄様が着てたものなの。この色なら血が付いても目立たないでしょ」
と答えた。
昨日のことで今後も無傷では済まなかった場合を想定しているのだ。
確かに二度も遣られそうになったのだからまた強敵が来るかもしれないと考えておくべきだろう。
二度とも花月の方が危なかったのは光夜より花月の方が厄介だから先に始末する必要があると思われたからだ。
光夜など居たところで大した障害にはならない、と。
侮られるのは悔しいが、今はまだその程度の腕しかないのも事実だ。
光夜は拳を握り締めた。
「殿様、昨日ササゲ豆が届きました」
と報告してから、
「これが小袖の袂に入っていました」
光夜に守り袋を差し出した。
「あ、すまねぇ」
光夜が守り袋を受け取った。
西野家で返されて一度は懐に入れたのだが懐紙を出すとき邪魔だったので袂に入れ直したのだ。
加代は赤飯を炊く日が決まったら教えてくれと言って台所に戻っていった。
「そういえば、それ、ここに来る前から持ってたのよね? 誰かの形見?」
花月が訊ねた。
「浜崎のおっさんから実の親の子供だって証だから絶対無くすなって渡されたんだ」
「浜崎とは?」
弦之丞に問われて愕然とした。
師匠達に話してねぇのかよ!
ということは弦之丞も宗祐も全く素性の知れない人間を家に置いていたことになる。
正気かよ……。
光夜は弦之丞と宗祐に掻い摘まんで身の上を話した。
「実の子の証って事は親御さんが分かりそうな物が入ってるの?」
「いや、なんにも。紙切れ一枚だけだぜ」
そもそも実の子の証と言われてもその親が誰なのか教えられていないのだからどうにもならない。
「その紙には何も書いてなかったって事?」
花月の問いに以前、紙を見た時の事を思い返してみたが、その頃は今よりも読める字が少なかった事もあって意味が分からなかったので中身は思い出せない。
光夜は守り袋を開けると紙を取り出した。
「ん?」
二枚ある……。
以前は一枚しかなかった。
「何か分かった?」
光夜が首を傾げたのを見た花月が訊ねた。
「いや、前は一枚だけだったんだが」
光夜が二枚の紙を広げて花月達に見せた。
弦之丞と宗祐が紙に目向ける。
「以前入っていたというのはこちらだろうな」
宗祐が右の紙を指した。
それから左の紙を見て眉を顰めた。
「父上」
宗祐が弦之丞を振り返った。
「うむ」
弦之丞も厳しい表情を浮かべる。
「何か?」
「こちらは何かの連判状だな」
そう言われ見ると名前らしきものがずらずらと並んでいる。
崩れすぎていて何と書いてあるのかまでは分からなかったが筆跡が違うからそれぞれ別の者が書いたのは間違いないだろう。
宗祐が右から名前を読み上げていった。
「聞き覚えのある名はあるか」
弦之丞が訊ねた。
「いいえ」
光夜は首を振った。
「知らぬうちに入れられていたと言うことは湯屋か?」
「なんの連判状かは書いてないのですか?」
花月が訊ねた。
「ないな。おそらく仲間になったという証として署名したものなのだろう」
「でも何故光夜の守り袋に……」
「急いで隠す必要があって手近な物に入れたのであろう」
「湯屋でそのようなことがあるのでしょうか」
「それは分からぬな」
弦之丞がそう答えると、宗祐が右の紙を指した。
「これは証文だ。左に書いてある名前の片方が菊市だから光夜の父君であろう」
そう言われて証文だという紙を自分の方に向けて見てみた。
やっぱ分かんねぇ……。
「読める?」
花月に聞かれて、
「さっぱり」
光夜は正直に答えた。
「ここに菊市と書いてある」
宗祐が左端のにょろにょろした線を指した。
本文は楷書なのだが難しくて内容はまるで分からない。
名前だという部分は草書で、崩れすぎていてやはり全く読めない。
「菊市……通称の一文字目は分からぬが、その後は九郎のようだな。その後の諱は……一文字目は宗か? 次は……」
「『矩』ですか!?」
花月が勢い込んで言った。
「いや、もっと画数の多い漢字だろう」
「『冬』とか!?」
「増えてねぇだろ!」
「なら『巌』とか!?」
「垂は無ぇ!」
「それなら『在』とか」
柳生家の名前全部挙げるつもりかよ!
「む……」
宗祐が困った様子で弦之丞に目を向けると、弦之丞は雀を見ている振りで顔を背けていた。
二人共期待している花月に違うとは言いたくないのだろう。
とはいえ、いつもの冗談でとんでもない名前を出されても困る。
ったく……。
「どっちにしろ俺の名前じゃないんですよね?」
光夜が助け船を出した。
「光夜が書いたのではないのならそういう事だ」
宗祐が安堵したように頷いた。
「なら下の字がなんであろうと俺の諱じゃないですよね」
「そうなるな」
「光夜、なんとか字を判読して父君と同じ名にするか? 同じ名を名乗っていれば父君を知っている人が現れるかもしれぬぞ」
弦之丞が言った。
「もしかしたら宗厳かもしれないのよね!」
だから、垂は無ぇ!
「せっかく字を賜りましたし……」
光夜はちょっと考えてから、
「紘に宗でいいですか?」
と答えた。
紘宗という剣豪はいなかったはずだ。
「『こうそう』って珍しい諱ね」
「そこは『ひろむね』だろ!」
「光夜の好きなようにして構わぬ」
弦之丞がそう言って光夜の諱は『紘宗』に決まった。
諱一つ決めるのにすげぇ疲れた……。
光夜は溜息を吐いた。
「光夜、諱は決まったが通称はどうするのだ」
弦之丞の問いに光夜が口籠もった。
そういえば、通称もあったんだった……。
早く決めなければ十兵衛にされかねない。
「源八郎とか彦十郎とか……」
花月は相変わらず武術の達人の名前を挙げている。
なんでそんな高名な名前ばっかなんだよ……。
と思い掛けてから誰であれ多少なりとも名を揚げていない者など知っているわけがないと気付いた。
「まぁ当分は幼名でも問題あるまい」
弦之丞は花月に、加代に明後日の夕餉を赤飯にすることと、髪結いに使いを出して前髪を落とす用意をしてくるように伝えるように指示すると母屋に戻っていった。
金に余裕のない者は髪結床に行くが、桜井家には数日おきに髪結いが月代を剃りに来ている。
次は明後日に来るからその時に前髪を落として月代を剃り髷を結ってもらう事になった。
西野家に向かうために玄関で待っていると花月が出てきた。
普段は淡い色か、白地に小さな柄物の小袖なのに今日は濃紺のものを着ていた。
袴も似たような濃い色をしている。
「それ、初めて見たな」
光夜がそう言うと、
「昔、お兄様が着てたものなの。この色なら血が付いても目立たないでしょ」
と答えた。
昨日のことで今後も無傷では済まなかった場合を想定しているのだ。
確かに二度も遣られそうになったのだからまた強敵が来るかもしれないと考えておくべきだろう。
二度とも花月の方が危なかったのは光夜より花月の方が厄介だから先に始末する必要があると思われたからだ。
光夜など居たところで大した障害にはならない、と。
侮られるのは悔しいが、今はまだその程度の腕しかないのも事実だ。
光夜は拳を握り締めた。
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