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第九章
第九章 第四話
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「多分……」
掏摸がおおまかな国の名前をいくつか挙げた。
西野藩のある辺りだ。
上げた中に西野藩はなかったが小藩だから名前を知らなかっただけだろう。
藩は三百前後あったので商売をしているのでもない限り遠くの小藩の名前を知っている者はほとんどいない。
よほど訛りに詳しいか、その地域の者と知り合いでもない限り、有名な藩の出身者と似たような訛りがあるからその辺だろうとしか言えないから依頼した者が西野家の人間だとは言い切れないが、光夜と関わりがある江戸勤番の武士は今のところ西野家の家臣だけだ。
それに……。
連判状は知らないうちに光夜の守り袋に入っていた。
この掏摸よりも遥かに腕のいい者が一度掏ったあと紙を入れてからまた気付かれないように光夜の懐に戻したのなら別だが、そうでないなら湯屋以外で他人が触る機会があったのは西野家で落とした時だけだ。
そしていつの間にか入っていたのは連判状である。
西野藩がある辺りの訛りで話す者がわざわざ金を払ってまで守り袋を盗ろうとしたのだから目当ては連判状と考えるのが自然だろう。
花月は掏摸に色々聞いていたが、それ以上のことは知らないらしく、何を聞いても首を振るばかりだった。
「知ってることは全部話したぜ。もういいか?」
「いくら払うって言われたんだ?」
光夜が訊ねた。
「一両だ」
掏摸の答えに光夜は花月に頷いた。
「行け」
花月がそう言って掏摸の前から退く。
掏摸は人混みに消えた。
「なぁ、これホントに借金の証文なのか?」
光夜は連判状を守り袋に戻しながら訊ねた。
「さぁ? 私はそんな難しいもの読めないから」
にこやかに答えた花月に、光夜は呆れた視線を向けた。
花月もさらっと嘘吐くよな……。
師匠達の影響なのか?
夜、学問が終わると、光夜は連判状を弦之丞の前に差し出した。
「師匠、ここに書いてある名前をもう一度読んで頂けますか?」
西野家から帰ってきた後、自分でなんとか読んでみようとしたのだが殆ど分からなかった。
「何かあったのか?」
弦之丞が紙を受け取りながら訊ねた。
光夜は西野家で守り袋を落としたことと、今日掏摸に遭ったことを話した。
「では、これは西野家の者の連判状かもしれぬのだな」
「はい」
光夜が頷く。
正式な跡継ぎである文丸を支持している者は連判などする意味はないし、仮に文丸支持を表明するための連判状だったとしても見られて困るようなものではないから金を払って掏らせる必要はない。
光夜に返してくれと頼めばいいだけだ。
弦之丞は紙と筆を取り出した。
「念のため名前を書き写しておきなさい」
弦之丞はそう言って名前を読み上げた。
光夜が紙に書いていく。
知ってる名前は無ぇな……。
弦之丞が読み終えると礼を言って紙を受け取った。
翌朝、光夜は信之介に文丸の側に居る武士達の名前を聞いてみたが連判状に名がある者はいなかった。
篠野もその辺は用心して信用の置けない人間は近付けないようにしているのだろう。
稽古が終わると、信之介は、
「申し訳ありません。拙者は今日から若様と一緒に学問をします」
と花月と光夜に告げた。
「学問中も側に居ねぇといけねぇほど危ねぇのか?」
「いや、昨日の吉野先生が若様に学問を教えていると聞いたので御一緒させて欲しいと頼んだらお許しが出たのだ」
「殿様になるための学問に算術もあんのかよ」
「吉野先生が若様に教えているのは朱子学などらしいが、講義の後に時間があれば算術の話を聞けるやもしれぬので」
信之介が顔を輝かせている。
そうか、今は湯屋へ行かれねぇから……。
湯屋では男達は湯上がりに趣味に興じることが多い。
信之介も毎日湯屋で算術を楽しんでいたのだろう。
それが出来ない日が続いていたから算術の話に飢えていたに違いない。
やっぱ婿養子に行った方が良いんじゃねぇの?
剣術をしたければ桜井家の稽古場に通えばいいだろう。
花月は町人でも受け入れていると言っていた。
花月と光夜が夷隅の下で稽古を始めると間もなく信之介がやってきた。
「学問はどうした?」
光夜が訊ねると、
「それが……」
信之介の話によると、当主からの書状が届いたのだが、持ってきた者が内密の要件なので他の者は外して欲しい、と人払いしたのだという。
「篠野殿は御一緒だったか?」
夷隅が訊ねた。
「いえ、御使者だけ……」
信之介の言い終える前に夷隅は文丸の部屋に向かって走り出していた。
花月達が後に続く。
庭を走って文丸の部屋に向かっていると、前方に何人かの武士が立っていた。
いつもならこんなに居ないし警護の人間には見えない。
「夷隅だ!」
どこからか声がした。
その途端、武士達が抜刀した。
一人が刀を振り上げて夷隅に向かっていく。
花月が走りながら棒手裏剣を投げた。
「つっ……!」
腕に棒手裏剣が刺さった男の足が止まる。
花月が立て続けに武士達に棒手裏剣を放つ。
避けたり払ったりして足が止まった武士達の間を夷隅が走り抜ける。
追い縋ろうとした武士と夷隅の間に花月が立ち塞がった。
光夜も別の男に斬り掛かる。
男が避ける。
一番部屋に近いところにいた武士が刀を振り翳して夷隅に向かってきた。
夷隅は走りながら太刀を抜くと鎬で男の太刀を弾き、そのまま横に払った。
男が首から血を噴き出しながら倒れる。
夷隅はそのまま横を駆け抜けた。
部屋の中で吉野が文丸を守るように前に立って敵に刀を向けているが構えからして剣術は嗜んだ程度なのは明らかである。
男が吉野に刀を突き出した。
吉野は刀で払おうとしたが捌ききれず、男の刃が右肩を斬り裂いた。
「くっ!」
よろめいた吉野が片膝を突く。
それでも吉野は左手だけで刀を男に向けた。
だが切っ先が震えている。
男が吉野の方に踏み込もうとする。
夷隅は部屋に駆け込むと刀を袈裟に振り下ろした。
男が後ろに飛び退く。
夷隅は更に踏み込んで横に払った。
男が後退ると、夷隅は吉野と男の間に割って入った。
「夷隅!」
「若様はご無事か!?」
「ご無事だ」
吉野が答えた。
「お前は大丈夫か」
「掠り傷だ」
吉野はそう答えたが肩から胸に掛けて血で真っ赤になっている。
掏摸がおおまかな国の名前をいくつか挙げた。
西野藩のある辺りだ。
上げた中に西野藩はなかったが小藩だから名前を知らなかっただけだろう。
藩は三百前後あったので商売をしているのでもない限り遠くの小藩の名前を知っている者はほとんどいない。
よほど訛りに詳しいか、その地域の者と知り合いでもない限り、有名な藩の出身者と似たような訛りがあるからその辺だろうとしか言えないから依頼した者が西野家の人間だとは言い切れないが、光夜と関わりがある江戸勤番の武士は今のところ西野家の家臣だけだ。
それに……。
連判状は知らないうちに光夜の守り袋に入っていた。
この掏摸よりも遥かに腕のいい者が一度掏ったあと紙を入れてからまた気付かれないように光夜の懐に戻したのなら別だが、そうでないなら湯屋以外で他人が触る機会があったのは西野家で落とした時だけだ。
そしていつの間にか入っていたのは連判状である。
西野藩がある辺りの訛りで話す者がわざわざ金を払ってまで守り袋を盗ろうとしたのだから目当ては連判状と考えるのが自然だろう。
花月は掏摸に色々聞いていたが、それ以上のことは知らないらしく、何を聞いても首を振るばかりだった。
「知ってることは全部話したぜ。もういいか?」
「いくら払うって言われたんだ?」
光夜が訊ねた。
「一両だ」
掏摸の答えに光夜は花月に頷いた。
「行け」
花月がそう言って掏摸の前から退く。
掏摸は人混みに消えた。
「なぁ、これホントに借金の証文なのか?」
光夜は連判状を守り袋に戻しながら訊ねた。
「さぁ? 私はそんな難しいもの読めないから」
にこやかに答えた花月に、光夜は呆れた視線を向けた。
花月もさらっと嘘吐くよな……。
師匠達の影響なのか?
夜、学問が終わると、光夜は連判状を弦之丞の前に差し出した。
「師匠、ここに書いてある名前をもう一度読んで頂けますか?」
西野家から帰ってきた後、自分でなんとか読んでみようとしたのだが殆ど分からなかった。
「何かあったのか?」
弦之丞が紙を受け取りながら訊ねた。
光夜は西野家で守り袋を落としたことと、今日掏摸に遭ったことを話した。
「では、これは西野家の者の連判状かもしれぬのだな」
「はい」
光夜が頷く。
正式な跡継ぎである文丸を支持している者は連判などする意味はないし、仮に文丸支持を表明するための連判状だったとしても見られて困るようなものではないから金を払って掏らせる必要はない。
光夜に返してくれと頼めばいいだけだ。
弦之丞は紙と筆を取り出した。
「念のため名前を書き写しておきなさい」
弦之丞はそう言って名前を読み上げた。
光夜が紙に書いていく。
知ってる名前は無ぇな……。
弦之丞が読み終えると礼を言って紙を受け取った。
翌朝、光夜は信之介に文丸の側に居る武士達の名前を聞いてみたが連判状に名がある者はいなかった。
篠野もその辺は用心して信用の置けない人間は近付けないようにしているのだろう。
稽古が終わると、信之介は、
「申し訳ありません。拙者は今日から若様と一緒に学問をします」
と花月と光夜に告げた。
「学問中も側に居ねぇといけねぇほど危ねぇのか?」
「いや、昨日の吉野先生が若様に学問を教えていると聞いたので御一緒させて欲しいと頼んだらお許しが出たのだ」
「殿様になるための学問に算術もあんのかよ」
「吉野先生が若様に教えているのは朱子学などらしいが、講義の後に時間があれば算術の話を聞けるやもしれぬので」
信之介が顔を輝かせている。
そうか、今は湯屋へ行かれねぇから……。
湯屋では男達は湯上がりに趣味に興じることが多い。
信之介も毎日湯屋で算術を楽しんでいたのだろう。
それが出来ない日が続いていたから算術の話に飢えていたに違いない。
やっぱ婿養子に行った方が良いんじゃねぇの?
剣術をしたければ桜井家の稽古場に通えばいいだろう。
花月は町人でも受け入れていると言っていた。
花月と光夜が夷隅の下で稽古を始めると間もなく信之介がやってきた。
「学問はどうした?」
光夜が訊ねると、
「それが……」
信之介の話によると、当主からの書状が届いたのだが、持ってきた者が内密の要件なので他の者は外して欲しい、と人払いしたのだという。
「篠野殿は御一緒だったか?」
夷隅が訊ねた。
「いえ、御使者だけ……」
信之介の言い終える前に夷隅は文丸の部屋に向かって走り出していた。
花月達が後に続く。
庭を走って文丸の部屋に向かっていると、前方に何人かの武士が立っていた。
いつもならこんなに居ないし警護の人間には見えない。
「夷隅だ!」
どこからか声がした。
その途端、武士達が抜刀した。
一人が刀を振り上げて夷隅に向かっていく。
花月が走りながら棒手裏剣を投げた。
「つっ……!」
腕に棒手裏剣が刺さった男の足が止まる。
花月が立て続けに武士達に棒手裏剣を放つ。
避けたり払ったりして足が止まった武士達の間を夷隅が走り抜ける。
追い縋ろうとした武士と夷隅の間に花月が立ち塞がった。
光夜も別の男に斬り掛かる。
男が避ける。
一番部屋に近いところにいた武士が刀を振り翳して夷隅に向かってきた。
夷隅は走りながら太刀を抜くと鎬で男の太刀を弾き、そのまま横に払った。
男が首から血を噴き出しながら倒れる。
夷隅はそのまま横を駆け抜けた。
部屋の中で吉野が文丸を守るように前に立って敵に刀を向けているが構えからして剣術は嗜んだ程度なのは明らかである。
男が吉野に刀を突き出した。
吉野は刀で払おうとしたが捌ききれず、男の刃が右肩を斬り裂いた。
「くっ!」
よろめいた吉野が片膝を突く。
それでも吉野は左手だけで刀を男に向けた。
だが切っ先が震えている。
男が吉野の方に踏み込もうとする。
夷隅は部屋に駆け込むと刀を袈裟に振り下ろした。
男が後ろに飛び退く。
夷隅は更に踏み込んで横に払った。
男が後退ると、夷隅は吉野と男の間に割って入った。
「夷隅!」
「若様はご無事か!?」
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