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第三章 風の音色
第四話
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「素敵なところだった」
沙陽は夢見るような表情で言った。
あの森はムーシコスを惹き付けるものがあるのだろうか。
小夜も森のことを話すときは同じような表情になる。
しかし、柊矢や楸矢は「綺麗」以上の感想は持てないから、そうするとムーシコスの中でもムーソポイオスを惹き付けるのだろうか。
だが、同じムーソポイオスの椿矢も柊矢達と同じように特に魅せられている様子はない。
だとすると、女性のムーソポイオスを魅了する何かがあるのだろうか。
「少し離れたところに神殿があるの。ギリシアのパルテノン神殿みたいなのが」
「あの森に帰るって言うが、あそこで生活できるのか?」
「勿論、凍り付いた旋律を溶かすのよ。そうすれば森は元に戻る。お願い、協力して」
「協力?」
「あの子の持ってたペンダントさえあれば森に帰れると思ってた。でも、私達だけではダメだった」
あれが偽物だということにはまだ気付いてないらしい。
「あなた達クレーイス・エコーの力を貸して欲しいの」
「俺達? クレーイス・エコーって何だ」
「クレーイス、あのペンダントのことだけど、鍵っていう意味よ。クレーイス・エコーっていうのは鍵の力を引き出せる者よ」
「俺達っていうのは?」
「あなたと楸矢君と、あの子」
小夜も入っているのか。
柊矢は顔をしかめた。出来ることなら小夜は巻き込みたくない。
「どうして俺達がクレーイス・エコーだって分かるんだ?」
柊矢がムーシコスだということを知ったのは嵐のときのはずだ。
「クレーイスはクレーイス・エコーの手に渡るようになっているからよ。知り合いのお祖父様がクレーイス・エコーだったけど、その人が亡くなると同時にクレーイスも消えた」
つまり、クレーイスが祖父の遺品で柊矢が手に入れたと知って、柊矢と楸矢がクレーイス・エコーだと判断したのか。
そして、柊矢からクレーイスを渡されたなら小夜もクレーイス・エコーということか。
確かに、小夜に渡したのはそうすべきだという気がしたからだ。
お守りと言ったのはなんとなく守ってくれそうだと思ったからそう言っただけだった。
「帰るってのはムーシコスの総意じゃなさそうだが?」
椿矢は協力する気はないと言っていた。
沙陽達の話には乗らなかったと言うことだ。
「二つに分かれてるのよ。残留派と帰還派に」
まぁ、普通に考えて、今自分が住んでいるところに満足してれば、わざわざ知らない土地に移り住もうなどとは思わないだろう。
ホモ・サピエンスはアフリカで生まれたと言われているが、だからといって、人類が皆アフリカに住みたがっているわけではないのと同じだ。
「帰らないのは勝手よ。でも、帰りたいって言うのを邪魔する権利はないはずだわ」
「女子高生を襲って怪我をさせる権利だってない」
「だから、それは私じゃないって……」
「お前の一味の誰かがやったんだろ」
「一味って、そんな悪者みたいに……」
「女子高生から持ち物を奪って怪我をさせるのは十分悪者だと思うが」
沙陽が反論しようとしたとき、柊矢のスマホが振動した。
ポケットからスマホを出して電話に出た。
「ああ。分かった。今行く。そこで待ってろ」
柊矢はスマホをしまうと、それ以上は何も言わず、沙陽と自分の勘定書を取ってレジに向かった。
「あの、柊矢さん? いつまで送り迎えが続くんですか?」
小夜が助手席で訊ねた。
車は明治通りを走っていた。家までそう遠くない。
沙陽は自分達ではダメだったと言っていた。
彼女が『クレーイス』と呼んでいるペンダントが偽物だからと言うのもあるのだろうが、何かの儀式のようなこともしているのかもしれない。
『あなた達』の中に小夜が入っていた。
三人全員必要ではないのなら、一番攫いやすいのは小夜だ。
まだ小夜を狙ってくる可能性があると言うことだ。
「今回のことに決着が付くまでだな。送り迎えされるのは迷惑か?」
「いえ、ただ、お仕事の邪魔になってるんじゃないかと……」
送り迎え自体は嫌ではない。
と言うか、むしろ柊矢と二人きりになれるのは嬉しい。
しかし、それが柊矢の負担になって結果的に嫌われないかが心配なのだ。
「それなら問題ない」
「でも、どうしてここまでしてくれるんですか?」
小夜は柊矢にとって、ムーシコスであること以外には縁もゆかりもない人間だ。
「前に言っただろ。祖父から一度拾った生き物は最後まで面倒を見るように言われてる」
家に帰ると、夕食を作るのには少し早い時間だった。
少し歌おう。
小夜は音楽室に入ると、聴こえて来るムーシカにあわせて歌い出した。
すぐに柊矢が入ってきてキタラを弾き始めた。
重唱や斉唱、副旋律を歌うコーラスや演奏が次々に加わって、小夜達の周りに音楽が満ちていく。
そのうちに楸矢も帰ってきて笛を吹き始めた。
透明な歌声と演奏に包まれながら歌っていると、嫌なことは全て忘れられた。
きっと、あの森の旋律が溶けたらこんな風に音楽が地上に満ち溢れるんだ。
斉唱と重唱、演奏、それらが重なり、風のようにどこまでも流れていく。
ムーシカが終わると、丁度夕食の支度の時間だった。
これからは楸矢が音楽室でフルートの練習をする。
よその家から美味しそうな醤油の匂いが漂ってくる。
小夜はエプロンを着けながら台所に立った。
歌の余韻に浸りながらジャガイモを剥こうとして手の甲の絆創膏が目に入った。
沙陽のムーシカはいつも独唱だ。
嵐の時も、それ以外の時も。
独唱のムーシカだからじゃない。
他のムーシコスが同調しないからだ。
ムーシコスは人を傷つけるためのムーシカは歌わないし、演奏しない。
だから沙陽はいつも一人で歌っている。
沙陽もムーシコスだから今のムーシカが聴こえたはずだ。
ムーソポイオスの合唱をどんな思いで聴いていたのだろうか。
本来なら、あの人だって加われるはずなのに。
柊矢から沙陽があの森に帰りたがっていると訊いた。
だが、ムーシコスから孤立してまで帰りたいのだろうか。
あの旋律の森に。
音楽が満ち溢れる世界は素敵だと思うけど、そこにいるのが自分一人だけでも幸せなのかな。
家族も友達もいない天国を楽園だと思えるのかな。
小夜がジャガイモの皮を剥いていると、か細い鳴き声が聞こえてきた。
「え?」
すごく小さくて、今にも消え入りそうだけれど、確かに聞こえる。
小夜はジャガイモと包丁を置くと、勝手口から外に出た。外は小雨が降っていた。
小夜は玄関から傘を持ち出した。
沙陽は夢見るような表情で言った。
あの森はムーシコスを惹き付けるものがあるのだろうか。
小夜も森のことを話すときは同じような表情になる。
しかし、柊矢や楸矢は「綺麗」以上の感想は持てないから、そうするとムーシコスの中でもムーソポイオスを惹き付けるのだろうか。
だが、同じムーソポイオスの椿矢も柊矢達と同じように特に魅せられている様子はない。
だとすると、女性のムーソポイオスを魅了する何かがあるのだろうか。
「少し離れたところに神殿があるの。ギリシアのパルテノン神殿みたいなのが」
「あの森に帰るって言うが、あそこで生活できるのか?」
「勿論、凍り付いた旋律を溶かすのよ。そうすれば森は元に戻る。お願い、協力して」
「協力?」
「あの子の持ってたペンダントさえあれば森に帰れると思ってた。でも、私達だけではダメだった」
あれが偽物だということにはまだ気付いてないらしい。
「あなた達クレーイス・エコーの力を貸して欲しいの」
「俺達? クレーイス・エコーって何だ」
「クレーイス、あのペンダントのことだけど、鍵っていう意味よ。クレーイス・エコーっていうのは鍵の力を引き出せる者よ」
「俺達っていうのは?」
「あなたと楸矢君と、あの子」
小夜も入っているのか。
柊矢は顔をしかめた。出来ることなら小夜は巻き込みたくない。
「どうして俺達がクレーイス・エコーだって分かるんだ?」
柊矢がムーシコスだということを知ったのは嵐のときのはずだ。
「クレーイスはクレーイス・エコーの手に渡るようになっているからよ。知り合いのお祖父様がクレーイス・エコーだったけど、その人が亡くなると同時にクレーイスも消えた」
つまり、クレーイスが祖父の遺品で柊矢が手に入れたと知って、柊矢と楸矢がクレーイス・エコーだと判断したのか。
そして、柊矢からクレーイスを渡されたなら小夜もクレーイス・エコーということか。
確かに、小夜に渡したのはそうすべきだという気がしたからだ。
お守りと言ったのはなんとなく守ってくれそうだと思ったからそう言っただけだった。
「帰るってのはムーシコスの総意じゃなさそうだが?」
椿矢は協力する気はないと言っていた。
沙陽達の話には乗らなかったと言うことだ。
「二つに分かれてるのよ。残留派と帰還派に」
まぁ、普通に考えて、今自分が住んでいるところに満足してれば、わざわざ知らない土地に移り住もうなどとは思わないだろう。
ホモ・サピエンスはアフリカで生まれたと言われているが、だからといって、人類が皆アフリカに住みたがっているわけではないのと同じだ。
「帰らないのは勝手よ。でも、帰りたいって言うのを邪魔する権利はないはずだわ」
「女子高生を襲って怪我をさせる権利だってない」
「だから、それは私じゃないって……」
「お前の一味の誰かがやったんだろ」
「一味って、そんな悪者みたいに……」
「女子高生から持ち物を奪って怪我をさせるのは十分悪者だと思うが」
沙陽が反論しようとしたとき、柊矢のスマホが振動した。
ポケットからスマホを出して電話に出た。
「ああ。分かった。今行く。そこで待ってろ」
柊矢はスマホをしまうと、それ以上は何も言わず、沙陽と自分の勘定書を取ってレジに向かった。
「あの、柊矢さん? いつまで送り迎えが続くんですか?」
小夜が助手席で訊ねた。
車は明治通りを走っていた。家までそう遠くない。
沙陽は自分達ではダメだったと言っていた。
彼女が『クレーイス』と呼んでいるペンダントが偽物だからと言うのもあるのだろうが、何かの儀式のようなこともしているのかもしれない。
『あなた達』の中に小夜が入っていた。
三人全員必要ではないのなら、一番攫いやすいのは小夜だ。
まだ小夜を狙ってくる可能性があると言うことだ。
「今回のことに決着が付くまでだな。送り迎えされるのは迷惑か?」
「いえ、ただ、お仕事の邪魔になってるんじゃないかと……」
送り迎え自体は嫌ではない。
と言うか、むしろ柊矢と二人きりになれるのは嬉しい。
しかし、それが柊矢の負担になって結果的に嫌われないかが心配なのだ。
「それなら問題ない」
「でも、どうしてここまでしてくれるんですか?」
小夜は柊矢にとって、ムーシコスであること以外には縁もゆかりもない人間だ。
「前に言っただろ。祖父から一度拾った生き物は最後まで面倒を見るように言われてる」
家に帰ると、夕食を作るのには少し早い時間だった。
少し歌おう。
小夜は音楽室に入ると、聴こえて来るムーシカにあわせて歌い出した。
すぐに柊矢が入ってきてキタラを弾き始めた。
重唱や斉唱、副旋律を歌うコーラスや演奏が次々に加わって、小夜達の周りに音楽が満ちていく。
そのうちに楸矢も帰ってきて笛を吹き始めた。
透明な歌声と演奏に包まれながら歌っていると、嫌なことは全て忘れられた。
きっと、あの森の旋律が溶けたらこんな風に音楽が地上に満ち溢れるんだ。
斉唱と重唱、演奏、それらが重なり、風のようにどこまでも流れていく。
ムーシカが終わると、丁度夕食の支度の時間だった。
これからは楸矢が音楽室でフルートの練習をする。
よその家から美味しそうな醤油の匂いが漂ってくる。
小夜はエプロンを着けながら台所に立った。
歌の余韻に浸りながらジャガイモを剥こうとして手の甲の絆創膏が目に入った。
沙陽のムーシカはいつも独唱だ。
嵐の時も、それ以外の時も。
独唱のムーシカだからじゃない。
他のムーシコスが同調しないからだ。
ムーシコスは人を傷つけるためのムーシカは歌わないし、演奏しない。
だから沙陽はいつも一人で歌っている。
沙陽もムーシコスだから今のムーシカが聴こえたはずだ。
ムーソポイオスの合唱をどんな思いで聴いていたのだろうか。
本来なら、あの人だって加われるはずなのに。
柊矢から沙陽があの森に帰りたがっていると訊いた。
だが、ムーシコスから孤立してまで帰りたいのだろうか。
あの旋律の森に。
音楽が満ち溢れる世界は素敵だと思うけど、そこにいるのが自分一人だけでも幸せなのかな。
家族も友達もいない天国を楽園だと思えるのかな。
小夜がジャガイモの皮を剥いていると、か細い鳴き声が聞こえてきた。
「え?」
すごく小さくて、今にも消え入りそうだけれど、確かに聞こえる。
小夜はジャガイモと包丁を置くと、勝手口から外に出た。外は小雨が降っていた。
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