歌のふる里

月夜野 すみれ

文字の大きさ
上 下
33 / 144
第六章 セイレーネスの歌声

第六話

しおりを挟む
 大分待たせてしまった清美に何度も謝ってから、榎矢――宗二――が沙陽の仲間だったと話した。
 落ち込むかと思ったが、かえって諦めがついたとさっぱりした顔で言った。
 二人は店でひとしきりお喋りした後別れた。

 明治通りは珍しくいていた。

「これならいつもより早めに着きそうですね」
「そうだな」
 柊矢がそう答えたとき、ムーシカが聴こえてきた。
 女性の独唱だが沙陽ではない。
 柊矢の車の前を大型バスが走っていた。
 前方の信号が赤に変わろうとしている。

 沙陽以外で他のムーソポイオスが同調していない独唱なんて珍しいな。
 そう思った瞬間、強い眠気が襲ってきて意識が途切れた。

 一瞬、白く凍り付いた森が見えた。

 けたたましい音がしていた。
 クラクションが鳴り続けているのだ。

「柊矢さん! 柊矢さん!」
 気づくとエアバックが開いて、背もたれに押しつけられていた。
 エアバッグの空気がゆっくり抜けていく。
 小夜が必死に柊矢を揺すっていた。
 どうやら眠ってしまい、どこかにぶつかったようだ。
 そこまで考えて、
「おい、大丈夫か?」
 慌てて小夜を見た。

「私は平気です。柊矢さんこそ、おケガはありませんか?」
「俺も無事だ」

 誰かが通報したのだろう。
 すぐにパトカーがやってきた。
 柊矢の車はガードレールにぶつかり、後ろを走っていた小型車に追突されて止まっていた。
 眠気がしたとき、咄嗟にブレーキを踏んだため追突され、ガードレールにぶつかったらしい。
 もし、ブレーキを踏んでいなかったらバスに追突していただろう。
 道がいていたためにかなりスピードが出ていた。
 そのスピードでバスに突っ込んでいたら、柊矢も小夜も死んでいたかもしれない。
 ここまでやるのか。
 どうやら帰還派の連中は本気で自分達クレーイス・エコーを排除する気らしい。
 病院へ連れて行かれて検査を受けた後、警察で調書を取られたりして、夜遅くになってからようやく解放された。

「あの、柊矢さん……」
「すまなかったな。守るつもりで却って危険な目に……」
「それはいいんです。それより、これ、やっぱり柊矢さんが持っていた方が……」
 小夜はそう言ってクレーイスを差し出した。
「事故の時、一瞬あの森が見えたんです。私、多分、それで無事だったんだと思うんです」
「効果はあったわけか」
「はい」
 そう答えた小夜の手を取ると、クレーイスを握らせた。

「俺もあの森を見た」
「ホントですか!?」
「ああ。多分、あの事故の瞬間、俺達はあの森にいたんだ。だからケガも無くんだんだろう」
 おそらく、昔祖父が亡くなった交通事故の時も同じことが起きたのだ。
 一瞬、白い森が見えたのは、衝突の瞬間ムーシケーが柊矢と楸矢をムーサの森に飛ばしたのだ。
 それで、二人はほぼ無傷でんだのだろう。

「じゃあ、これ……」
 小夜が再度出した手を優しく押し返した。
「お前が持ってても、俺も守られた。だから、これからもお前が持ってろ」


「え!? ムーシカが事故の原因!?」
 柊矢は家で楸矢に、女が歌っているムーシカが聴こえて眠気が襲ってきたことと、椿矢から聞いた話をした。
 霧生家の台所である。
 小夜は三人分のココアを作っていた。
「そこまでやるの!? バスに突っ込んでたら死んでたかもしれないんでしょ」
 楸矢が信じられないという顔で言った。
「明らかに殺そうとしてた」
「俺、決めた」
「え?」
 柊矢、楸矢、自分の三人分のココアをそれぞれの前に置いていた小夜が楸矢を見た。

「俺、ぜってぇ帰還派の言いなりになんかならない。最後の一人になっても森が出る度に封印のムーシカ演奏し続ける」
「楸矢さん」
「お前もこれからは気を付けろ」
「分かった」
「今日は疲れただろ。早く寝ろ」
 柊矢が小夜に向かって言った。
 もう午前一時を回っていた。

「今度は交通事故? 小夜、あんた、厄年なんじゃない? 厄払いしたら?」
 清美が小夜の手首に巻かれた包帯を見て言った。
 事故の瞬間、ムーサの森へ行ったものの戻ってきたとき、鞄を持っていた手がエアバッグに押されて捻ってしまったようなのだ。
「私が厄年なら清美もだよ」
「それもそうか。そうそう! 聞いてよ!」
「どうしたの?」
心乃美このみってば男の子と手ぇ繋いで歩いてたんだよ!」
「ホントに!?」
「心乃美にまで先越されちゃったよ~」
 手かぁ。
 ちょっと憧れるけど、柊矢さんの場合、肩を抱くだろうなぁ。
 それもいいけど、手を繋ぐのもいいなぁ。

「小夜、手ぇ繋いだの羨ましいとかって眠たいこと思ってるでしょ」
「え? 清美は違うの?」
 清美は大げさに溜息をついてみせた。
「あたしは心乃美にまで先越されたのが悔しいって言ってんの! あんたは肩抱かれてんだから手なんか繋ぐの羨ましがることないじゃん!」
「き、清美!」
 小夜は真っ赤になって他のクラスメイトに聞かれてないか左右を見回した。

「あんたは心乃美より先にキスでもすればいいじゃん。あ~、あたしも早く彼氏欲しいな~」
「だ、だから、柊矢さんとはそう言うんじゃないってば」
「あたし、見ちゃったもん。柊矢さんが肩抱くの」
「いい加減忘れてよ」
「忘れな~い。で、今日はどうする? どっか寄ってく?」
 清美の問いに小夜は首を振った。
「しばらくは真っ直ぐ帰る」
 柊矢がかなり心配しているのだ。
 これ以上何かあったら家から一歩も出るな、と言い出しかねなかった。

 早く家に帰るのはそれほど嫌ではない。
 音楽室で思う存分歌えるからだ。
 小夜が音楽室の戸を開けると、楸矢がフルートを持っていた。

「あ、すみません」
 小夜が慌ててドアを閉めようとすると、
「いいよ、小夜ちゃん。入って」
 楸矢が小夜を呼んだ。
 フルートをケースにしまうと、笛を取り出した。

「丁度気分転換したかったんだ。歌ってよ」
 そう言うと笛を吹き始めた。
 小夜がそれに併せて歌う。
 そこに、ムーソポイオスのコーラスが次々と加わっていく。

 柊矢もすぐに入ってきてキタラを弾き始めた。
 三曲ほど歌ったところで終えた。
 勿論、誰かが歌い始めれば他のムーソポイオスもまた歌い始めるが。

「昨日、話を聞いて疑問に思ってたんだけどさ。呼び出しのムーシカって、ムーソポイオス限定? だよね? 普段から楽器持ち歩くわけにはいかないし」
「榎矢さんは、昔はムーシコスなら誰でも出来たって言ってましたけど……」
 呼び出しのムーシカならキタリステースでも歌えるのか、それともキタリステースは常に楽器を持ち歩いていたのかまでは聞かなかった。
 榎矢はムーソポイオスだからキタリステースの場合はどうなのか分からない。

 小夜はちょっと考えてから、
「口笛は吹けますか?」
 と訊ねた。
「吹けるよ」
「じゃあ、私か柊矢さんを呼ぼうと思って吹いてみてください」
 その言葉に楸矢が口笛を吹き始めた。

「聴こえますね」
「聴こえるな」
「じゃあ、俺達は口笛吹けばいいんだ。これで誘拐されても大丈夫だね」
「誘拐なんてされたらダメですよ」
「分かってるって」
しおりを挟む

処理中です...