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魂の還る惑星 第六章 Al-Shi'ra -輝く星-
第六章 第十話
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「どうします?」
「少し歩かない? せっかくお花見に来たんだしさ」
「いいですね!」
清美が嬉しそうに賛成した。
また新しいデュエット創ってるし……。
花の綺麗さを讃えているから一応桜は見ていたようだ。
小夜ちゃんの、柊兄と一緒にいられればそれでいいって言うのも本音だったんだな……。
椿矢がムーシコスはムーシカとパートナー以外はどうでもいいと言っていた。
特にムーシコスらしさの強い者ほどその傾向が強いとも。
小夜ちゃんもかなりムーシコスらしさが強いって言ってたっけ……。
もう余計なお節介やめよ。
「この辺ホントに桜がいっぱいあるんですね」
「あ、緑色の桜って見たことある?」
「そんな桜があるんですか!?」
「うん、あと、ソメイヨシノじゃない白い桜とか八重桜もあるよ。八重桜はまだだろうけど。緑の桜ももしかしたらまだ咲いてないかもしれないけど行ってみる?」
「はい!」
楸矢と清美はランチボックスを片付けると並んで歩き出した。
相変わらず仲いいな……。
椿矢は助手室でドイツの学者が発表した古代ギリシアの政治に関する論文を読みながら小夜の歌声を聴いていた。
また新しいデュエットを歌っている。
男声パートは聴こえないから柊矢と歌っているのだろう。
桜の美しさを讃えつつ、毎年咲く花は同じでも人は変わっていくというが自分達は変わらずにいようという内容の歌詞だった。
劉廷芝の
年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず
という漢詩を下敷きにしているようだ。
ムーシコスのカップルは基本的にムーソポイオスとキタリステースと言う組み合わせのためかデュエットのムーシカは多くない。
キタリステースでも音痴はいないし演奏しながら歌うこともよくあるのだが、それでもカップルでムーシカを奏でていてもデュエットのムーシカは創らないのだ。
キタリステースは基本的に演奏を好むからだろう。
よくデュエットを創っているのは柊矢と小夜が二人で一緒に歌うのが好きだからかもしれない。
以前、楸矢にムーシコスが愛を確かめ合う行為はムーシカを奏でることだと言ったが、キタリステースとはいえデュエットを一緒に作って二人で歌うのは究極の求愛行為だろう。
そういえば、楸矢君、柊矢君は音楽第一だって言ってたっけ。
楸矢は演奏のことを指して〝音楽〟と言ったのだろうが、柊矢は演奏も歌うのも全部ひっくるめて〝音楽〟として好きなのかもしれない。
そして、おそらくムーシカも地球の音楽もどちらも好きだから小夜のためなら地球の音楽でも喜んで演奏するのだ。
楸矢が推測していたようにこれまでもヴァイオリンを弾いていたことがあったのか、それとも小夜のために最近また弾くようになったのかは分からないが、前から弾いていたのに一緒に暮らしてる楸矢が気付かなかったのなら頻度はかなり少なかったということだから、地球の音楽も好きだがムーシカの方がより好みなのだろう。
楸矢には悪いが柊矢がムーソポイオスではないのが残念だ。
柊矢と小夜のデュエットを聴こうと思ったら肉声が届く所に行く必要がある。
二人のデュエットを是非聴いてみたい。
ムーシコスに音痴はいないが抜群の音楽の才能があって、しかも授業で声楽を習っていたのなら、かなり上手いはずだ。
このままいけば柊矢君と小夜ちゃんが現代日本語のデュエットを相当増やしてくれそうだな……。
確か今日は楸矢が、柊矢と小夜のデートのお膳立てをすると言っていたが、キタラを弾いているということは家にいるのだろうから上手くいかなかったようだ。
歌詞が花の美しさを褒めているものだからデートの行き先は花見だったのだろうか。
楸矢が頭を抱えているところを想像すると思わず微笑みが零れた。
二人してデュエット量産とか勘弁して、と言う楸矢の嘆きが聞こえてきそうだ。
だが、それも二人が寿命を全う出来たらの話である。
椿矢は真顔になった。
地球の呪詛は返されると呪者が命を落とすことがあるらしいが、呪詛のムーシカでそういう話は聞いたことがない。
この前のムーシケーのムーシカはどうなのだろうか。
もし呪者が無事だとしたらまた小夜を狙うはずだ。
椿矢は今まで何人ものムーシコスが失ったパートナーの後を追うように亡くなったのを見てきた。
柊矢ほどではないムーシコスですらパートナーの死に引きずられて命を落としたのだ。
小夜に、もしものことがあれば柊矢は間違いなく跟いていってしまうだろう。
劉廷芝の漢詩のこの部分は年老いた人が先に逝ってしまった恋人を想っているものだが、柊矢と小夜は片方が亡くなればもう一方も一緒に逝ってしまうだろうから詩のような状況にはなり得ない。
天寿を全うしたならともかく、あの若さで柊矢と小夜を同時に失ったら楸矢の心にどれだけ深い爪痕を残すことになるか……。
楸矢にはあの二人しかいないのだ。
二人がいなくなったら独りぼっちになってしまう。
なまじ地球人に近いだけに身内を失ったときの喪失感は大きいだろう。
いくら親戚で、最近親しくしているとはいっても椿矢では二人の代わりにはなれない。
パートナーの死に引きずられるのは分かっているから誰かが亡くなると残った者達はいつも総出でもう片方を引き止めようとしてきた。
ムーシコスらしさの薄いものは止められた。
だが柊矢を引き止めるのはまず無理だ。
止められるのは失ったパートナーと同じくらい大切に思われている人間だけだが、唯一の肉親である楸矢ですらイスかテーブルと同程度にしか考えてない柊矢に小夜に匹敵するほど大切な相手などいない。
椿矢は論文を置くと鞄の中からパソコンを取りだした。
「少し歩かない? せっかくお花見に来たんだしさ」
「いいですね!」
清美が嬉しそうに賛成した。
また新しいデュエット創ってるし……。
花の綺麗さを讃えているから一応桜は見ていたようだ。
小夜ちゃんの、柊兄と一緒にいられればそれでいいって言うのも本音だったんだな……。
椿矢がムーシコスはムーシカとパートナー以外はどうでもいいと言っていた。
特にムーシコスらしさの強い者ほどその傾向が強いとも。
小夜ちゃんもかなりムーシコスらしさが強いって言ってたっけ……。
もう余計なお節介やめよ。
「この辺ホントに桜がいっぱいあるんですね」
「あ、緑色の桜って見たことある?」
「そんな桜があるんですか!?」
「うん、あと、ソメイヨシノじゃない白い桜とか八重桜もあるよ。八重桜はまだだろうけど。緑の桜ももしかしたらまだ咲いてないかもしれないけど行ってみる?」
「はい!」
楸矢と清美はランチボックスを片付けると並んで歩き出した。
相変わらず仲いいな……。
椿矢は助手室でドイツの学者が発表した古代ギリシアの政治に関する論文を読みながら小夜の歌声を聴いていた。
また新しいデュエットを歌っている。
男声パートは聴こえないから柊矢と歌っているのだろう。
桜の美しさを讃えつつ、毎年咲く花は同じでも人は変わっていくというが自分達は変わらずにいようという内容の歌詞だった。
劉廷芝の
年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず
という漢詩を下敷きにしているようだ。
ムーシコスのカップルは基本的にムーソポイオスとキタリステースと言う組み合わせのためかデュエットのムーシカは多くない。
キタリステースでも音痴はいないし演奏しながら歌うこともよくあるのだが、それでもカップルでムーシカを奏でていてもデュエットのムーシカは創らないのだ。
キタリステースは基本的に演奏を好むからだろう。
よくデュエットを創っているのは柊矢と小夜が二人で一緒に歌うのが好きだからかもしれない。
以前、楸矢にムーシコスが愛を確かめ合う行為はムーシカを奏でることだと言ったが、キタリステースとはいえデュエットを一緒に作って二人で歌うのは究極の求愛行為だろう。
そういえば、楸矢君、柊矢君は音楽第一だって言ってたっけ。
楸矢は演奏のことを指して〝音楽〟と言ったのだろうが、柊矢は演奏も歌うのも全部ひっくるめて〝音楽〟として好きなのかもしれない。
そして、おそらくムーシカも地球の音楽もどちらも好きだから小夜のためなら地球の音楽でも喜んで演奏するのだ。
楸矢が推測していたようにこれまでもヴァイオリンを弾いていたことがあったのか、それとも小夜のために最近また弾くようになったのかは分からないが、前から弾いていたのに一緒に暮らしてる楸矢が気付かなかったのなら頻度はかなり少なかったということだから、地球の音楽も好きだがムーシカの方がより好みなのだろう。
楸矢には悪いが柊矢がムーソポイオスではないのが残念だ。
柊矢と小夜のデュエットを聴こうと思ったら肉声が届く所に行く必要がある。
二人のデュエットを是非聴いてみたい。
ムーシコスに音痴はいないが抜群の音楽の才能があって、しかも授業で声楽を習っていたのなら、かなり上手いはずだ。
このままいけば柊矢君と小夜ちゃんが現代日本語のデュエットを相当増やしてくれそうだな……。
確か今日は楸矢が、柊矢と小夜のデートのお膳立てをすると言っていたが、キタラを弾いているということは家にいるのだろうから上手くいかなかったようだ。
歌詞が花の美しさを褒めているものだからデートの行き先は花見だったのだろうか。
楸矢が頭を抱えているところを想像すると思わず微笑みが零れた。
二人してデュエット量産とか勘弁して、と言う楸矢の嘆きが聞こえてきそうだ。
だが、それも二人が寿命を全う出来たらの話である。
椿矢は真顔になった。
地球の呪詛は返されると呪者が命を落とすことがあるらしいが、呪詛のムーシカでそういう話は聞いたことがない。
この前のムーシケーのムーシカはどうなのだろうか。
もし呪者が無事だとしたらまた小夜を狙うはずだ。
椿矢は今まで何人ものムーシコスが失ったパートナーの後を追うように亡くなったのを見てきた。
柊矢ほどではないムーシコスですらパートナーの死に引きずられて命を落としたのだ。
小夜に、もしものことがあれば柊矢は間違いなく跟いていってしまうだろう。
劉廷芝の漢詩のこの部分は年老いた人が先に逝ってしまった恋人を想っているものだが、柊矢と小夜は片方が亡くなればもう一方も一緒に逝ってしまうだろうから詩のような状況にはなり得ない。
天寿を全うしたならともかく、あの若さで柊矢と小夜を同時に失ったら楸矢の心にどれだけ深い爪痕を残すことになるか……。
楸矢にはあの二人しかいないのだ。
二人がいなくなったら独りぼっちになってしまう。
なまじ地球人に近いだけに身内を失ったときの喪失感は大きいだろう。
いくら親戚で、最近親しくしているとはいっても椿矢では二人の代わりにはなれない。
パートナーの死に引きずられるのは分かっているから誰かが亡くなると残った者達はいつも総出でもう片方を引き止めようとしてきた。
ムーシコスらしさの薄いものは止められた。
だが柊矢を引き止めるのはまず無理だ。
止められるのは失ったパートナーと同じくらい大切に思われている人間だけだが、唯一の肉親である楸矢ですらイスかテーブルと同程度にしか考えてない柊矢に小夜に匹敵するほど大切な相手などいない。
椿矢は論文を置くと鞄の中からパソコンを取りだした。
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