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秋 十一
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その時、門から出てきた小さな動物が貴晴達の足下を走り過ぎていった。
「ん? タヌキか?」
「猫だ! 父上!」
隆亮が叫んだ。
「え、右大臣の猫なのか?」
「そうじゃない。妹が猫を欲しがってたんだ。それで父上が一度はくれるという人を見付けたと言っていたのに、その人が左大臣に譲ってしまったから貰えなかったと」
隆亮が腹立たしげに言った。
「妹はすごくがっかりしてたんだが、まさか隠し子に渡してたなんて……」
妻の子供を隠し子とは言わないだろ……。
右大臣家の邸に住んでいるなら正式な妻だろうし……。
まぁ隆亮からしたら同じ母親の妹より他の女性が産んだ妹を優先させられて悔しいのだろうが。
猫という動物は珍しい。
帝の飼っている猫は官位を持っているくらいなのである。
内裏の中をほっつき歩いている孔雀ですら官位は持っていないのだ。
まぁ、猫に官位があるのは内裏の建物に出入りするからだと思うが……。
孔雀が建物に入るという話は聞いたことがないし……。
それはともかく、猫というのは大臣ですら手に入れるのに苦労する。
猫が身籠もったと知ると譲って欲しいという申し出がいくつもあるらしいが何匹生まれるかは分からない。
当然、希望者よりも子猫の方が少なければ貰えない者も出てくるわけだが――。
左大臣に譲った……?
「おい、この邸、この前は案内されなかったぞ。ここはホントに右大臣家の別邸なのか?」
貴晴の言葉に、
「え……」
隆亮が従者――五郎と顔を見合わせた。
門に名前が書いてあるわけではないから滅多に来ない邸などは間違えることはあり得る。
五郎が急いで郎党を邸に使いに出す。
しばらくして邸から郎党が戻ってきた。
「ここは内大臣家の別邸だそうです。何年か前に右大臣が手放したのを最近になって内大臣が手に入れたと……」
「なんだ」
隆亮が肩透かしを食ったような顔をした。
「じゃあ、私の知らない妹がいたわけじゃないのか」
「以前は右大臣家の別邸だったから牛飼童が間違えたようですね」
五郎が言った。
「…………」
「どうした?」
「猫を譲ったのは左大臣なんだろ。内大臣じゃなくて」
貴晴の言葉に隆亮が郎党を見る。
「内大臣と申しておりましたが……確かめて参ります」
郎党が焦った様子で再度邸に向かった。
「内大臣は猫を飼ってないのか?」
貴晴は念のため隆亮に訊ねた。
左大臣が貰った猫がどういう模様かは分からないのだし、もしかしたら内大臣も猫を飼っているかもしれない。
「そう言う話は聞いてないが……」
隆亮が首を傾げる。
珍しい動物とは言え猫の話などしないからはっきりとは分からないのだろう。
「あの……やはり内大臣の別邸だそうです」
戻ってきた郎党が報告する。
「じゃあ、内大臣も猫を飼ってるのか」
隆亮は、子猫が生まれたら譲ってくれるように頼んでみるか、などと言っている。
「今、箏を弾いていたのが内大臣の妻だったという事もなくはないだろうが……姫だとしたら一年や二年じゃ箏を弾ける年にはならないだろ」
「え、じゃあ、やっぱり私の妹……」
「なわけないだろ」
貴晴が突っ込む。
「内大臣の姫の箏の話をしていたのはお前だろうが」
「あ~、つまり内大臣の姫が最近箏を弾いてなかったのは安全のためにこっちに移ってたからか」
「そういうことだろうな」
群盗から守りたい姫を群盗の塒に置いておくわけがない。
特に今は入内を控えた大事な時期なのだし。
となると、ここには群盗はいないだろう。
〝君をまつ 虫の音さがし 菅の原 夜明けの露に 袖は濡れると〟
多田様からの文……。
返事をお待ちになっているんだ……。
「あの……多、この方、何度も御文を下さっているようですがお返事を書かないのですか?」
「その方は内大臣の姫の元へ通っているそうです」
義母が縫い物から目も上げずに言った。
「え……!?」
織子は思わず声を上げた。
「本当ですか!?」
「ここのところ毎晩お邸の前に牛車が止まっていると噂になっていますから」
「毎晩!? では……」
「ええ、三日間通われたそうです」
三日間続けて通うと婚姻が成立して正式な夫婦として認められるのである(連続で三日来なければ男に結婚の意志がないということになる)。
では、多田様は内大臣家に婿入りされたの……?
「だから殿が匡の入内を願い出ることに決めたんですよ。内大臣の姫は入内を取り止めるはずですから」
「…………」
確かに夫がいたら入内は出来ない。
妻は何人でも持てるが夫は一人だけなのだ。
複数の妻が持てるので内大臣家の婿になった今でも匡に文を贈ってくるのはおかしくはないのだが――。
でも、従五位下なら網代車のはずだから他の殿方と間違えているのかも……。
そもそも身分が高くないと乗れない牛車はあるが、下の身分の者の車には身分が高くても乗れるのだ。
だからお忍びのときなどに高い身分の貴族が網代車を使うことは珍しくない。
そのため勘違いもよくある。
物語でも網代車で出掛けた高貴な女性が低い身分と見くびられて嫌がらせをされる話があるくらいだ。
そういえば、あの話もお姉様が好きな物語の中に出てくるんだった……。
「うわぁ!」
貴晴が内大臣家に向かう途中、いきなり叫び声がしたかと思うと牛車が激しく揺れ始めた。
由太が手形にしがみ付きながら前の御簾をはねのける。
牛飼童はおらず、すごい速さで牛が走っていた。
牛車が暴走してるのか……!?
道の先の階段があっという間に近付いてくる。
牛に石段が上れるとは思えないし、仮に登れるとしても牛車は壊れるはずだ。
壊れないとしても中の人間が無事でいられるわけがない。
「ん? タヌキか?」
「猫だ! 父上!」
隆亮が叫んだ。
「え、右大臣の猫なのか?」
「そうじゃない。妹が猫を欲しがってたんだ。それで父上が一度はくれるという人を見付けたと言っていたのに、その人が左大臣に譲ってしまったから貰えなかったと」
隆亮が腹立たしげに言った。
「妹はすごくがっかりしてたんだが、まさか隠し子に渡してたなんて……」
妻の子供を隠し子とは言わないだろ……。
右大臣家の邸に住んでいるなら正式な妻だろうし……。
まぁ隆亮からしたら同じ母親の妹より他の女性が産んだ妹を優先させられて悔しいのだろうが。
猫という動物は珍しい。
帝の飼っている猫は官位を持っているくらいなのである。
内裏の中をほっつき歩いている孔雀ですら官位は持っていないのだ。
まぁ、猫に官位があるのは内裏の建物に出入りするからだと思うが……。
孔雀が建物に入るという話は聞いたことがないし……。
それはともかく、猫というのは大臣ですら手に入れるのに苦労する。
猫が身籠もったと知ると譲って欲しいという申し出がいくつもあるらしいが何匹生まれるかは分からない。
当然、希望者よりも子猫の方が少なければ貰えない者も出てくるわけだが――。
左大臣に譲った……?
「おい、この邸、この前は案内されなかったぞ。ここはホントに右大臣家の別邸なのか?」
貴晴の言葉に、
「え……」
隆亮が従者――五郎と顔を見合わせた。
門に名前が書いてあるわけではないから滅多に来ない邸などは間違えることはあり得る。
五郎が急いで郎党を邸に使いに出す。
しばらくして邸から郎党が戻ってきた。
「ここは内大臣家の別邸だそうです。何年か前に右大臣が手放したのを最近になって内大臣が手に入れたと……」
「なんだ」
隆亮が肩透かしを食ったような顔をした。
「じゃあ、私の知らない妹がいたわけじゃないのか」
「以前は右大臣家の別邸だったから牛飼童が間違えたようですね」
五郎が言った。
「…………」
「どうした?」
「猫を譲ったのは左大臣なんだろ。内大臣じゃなくて」
貴晴の言葉に隆亮が郎党を見る。
「内大臣と申しておりましたが……確かめて参ります」
郎党が焦った様子で再度邸に向かった。
「内大臣は猫を飼ってないのか?」
貴晴は念のため隆亮に訊ねた。
左大臣が貰った猫がどういう模様かは分からないのだし、もしかしたら内大臣も猫を飼っているかもしれない。
「そう言う話は聞いてないが……」
隆亮が首を傾げる。
珍しい動物とは言え猫の話などしないからはっきりとは分からないのだろう。
「あの……やはり内大臣の別邸だそうです」
戻ってきた郎党が報告する。
「じゃあ、内大臣も猫を飼ってるのか」
隆亮は、子猫が生まれたら譲ってくれるように頼んでみるか、などと言っている。
「今、箏を弾いていたのが内大臣の妻だったという事もなくはないだろうが……姫だとしたら一年や二年じゃ箏を弾ける年にはならないだろ」
「え、じゃあ、やっぱり私の妹……」
「なわけないだろ」
貴晴が突っ込む。
「内大臣の姫の箏の話をしていたのはお前だろうが」
「あ~、つまり内大臣の姫が最近箏を弾いてなかったのは安全のためにこっちに移ってたからか」
「そういうことだろうな」
群盗から守りたい姫を群盗の塒に置いておくわけがない。
特に今は入内を控えた大事な時期なのだし。
となると、ここには群盗はいないだろう。
〝君をまつ 虫の音さがし 菅の原 夜明けの露に 袖は濡れると〟
多田様からの文……。
返事をお待ちになっているんだ……。
「あの……多、この方、何度も御文を下さっているようですがお返事を書かないのですか?」
「その方は内大臣の姫の元へ通っているそうです」
義母が縫い物から目も上げずに言った。
「え……!?」
織子は思わず声を上げた。
「本当ですか!?」
「ここのところ毎晩お邸の前に牛車が止まっていると噂になっていますから」
「毎晩!? では……」
「ええ、三日間通われたそうです」
三日間続けて通うと婚姻が成立して正式な夫婦として認められるのである(連続で三日来なければ男に結婚の意志がないということになる)。
では、多田様は内大臣家に婿入りされたの……?
「だから殿が匡の入内を願い出ることに決めたんですよ。内大臣の姫は入内を取り止めるはずですから」
「…………」
確かに夫がいたら入内は出来ない。
妻は何人でも持てるが夫は一人だけなのだ。
複数の妻が持てるので内大臣家の婿になった今でも匡に文を贈ってくるのはおかしくはないのだが――。
でも、従五位下なら網代車のはずだから他の殿方と間違えているのかも……。
そもそも身分が高くないと乗れない牛車はあるが、下の身分の者の車には身分が高くても乗れるのだ。
だからお忍びのときなどに高い身分の貴族が網代車を使うことは珍しくない。
そのため勘違いもよくある。
物語でも網代車で出掛けた高貴な女性が低い身分と見くびられて嫌がらせをされる話があるくらいだ。
そういえば、あの話もお姉様が好きな物語の中に出てくるんだった……。
「うわぁ!」
貴晴が内大臣家に向かう途中、いきなり叫び声がしたかと思うと牛車が激しく揺れ始めた。
由太が手形にしがみ付きながら前の御簾をはねのける。
牛飼童はおらず、すごい速さで牛が走っていた。
牛車が暴走してるのか……!?
道の先の階段があっという間に近付いてくる。
牛に石段が上れるとは思えないし、仮に登れるとしても牛車は壊れるはずだ。
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