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RE020 〔ロンギヌス〕

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 影の亜空間を介する、〔真祖〕の血統にだけ許された疑似転移まほう
 その途中、自らの魔力が形作る亜空間の中から拾ってきたを、何事もなく抜け出した通常空間さきで、キリエはどれくらい振りにかした。

「――それが、噂の〔ロンギヌス〕?」
 初めは手の平へ握り隠してしまえるほどの大きさでしかなかったメダリオンが、キリエの魔力を吸い上げることで爆発的に質量を増し、植物が枝葉を伸ばすよう有機的な成長をはじめる。
「噂って?」
「私は幻想器レーベンス自体、見るのだってこれが初めてだけど。展開形状が槍って珍しいんでしょ?」
「……そうかな?」
 起動した幻想器――この世界における魔術師の「杖」――は自らを構成する魔術式スクリプトに従い、所有者であるキリエの周囲へと、幻想甲冑リュストレーネと呼ばれる装甲の一部を簡易展開する。
 キリエが単独で天使を狩る分には物理装甲に出番などないが、〔花嫁〕を守るための手間と魔力を惜しむ理由はなかった。

「この装甲一枚で竜種のブレスも防げるって、本当?」
 片手に抱えた伊月をすっかり取り込みながら、キリエが自らの周囲へくまなく巡らせている余剰魔力。その範囲内に用意した装甲は七枚。
 実際、竜種との戦闘に幻想器レーベンスを持ち出したことなどないが。キリエの経験則では、現役最強と謳われる竜公ドラクルのブレスも余裕で防ぎきれる数だった。
「そこらのトカゲに喰い破られるほど軟じゃないよ」
 とはいえ。〔ロンギヌス〕はキリエが「神王かみをも殺せる武器を」と〔扶桑〕に用意させた幻想器つえなので、本来であれば所有者の防御全般を担う幻想甲冑リュストレーネは「幻想器といえば」というセオリーを満たせる程度、最低限のものしか備えていない。
 それでもないよりはマシだろうと、キリエは追加で構造強化までかけた装甲を伊月の周囲へ配置した。
「試したことある?」
「ないけど」
 で幻想器を持ち出すほど意地を張ったことはないし、竜公ドラクル以外の竜種は幻想器を使うまでもない。
 混じり気の無い竜種から吸血鬼の始祖へと転化した竜公ドラクルを親に持つキリエは、ダンピール上がりの吸血鬼でありながら竜の因子も継いでいるため、大抵のには素手で殴り勝てる程度の地力があった。
「私もいるし。神性魔力の余波からお前を守るくらい、わけないよ」
 並大抵の竜種でも、余程油断しなければ一対一で天使を屠ることはそう難しくないのだから。ようやく戻ってきた〔花嫁〕を「守りきれるかどうか」について、キリエが杞憂に怯える余地はない。
 問題は。その目的からして、伊月と天使の物理的な接触が不可避であること。
 伊月の異能をその身に受けたことさえあるキリエは、その瞬間、ともすれば天使の魔力が伊月へと流れ込みかねないことを危惧していた。


                                    
 せっかく持ち出した幻想器ロンギヌスを、キリエはまともに使うつもりがないらしい――。

 もっとも。わざわざ用意した槍をまともに使われ、うっかり手を滑らせたキリエに天使を殺されでもしたら堪ったものではない伊月は、手放された槍がキリエの魔力から構築された物理装甲と並んで余剰魔力の中に漂う様を、ひたすら物珍しいものを見る目つきで眺めるに留めた。
 藪蛇になりかねない余計な口は慎みつつ。その代わりというわけでもないが、好奇心に負け、どう見ても伊月を守るためだけに配されている装甲へと伸ばした手は、片手を開けた槍の持ち主からあっさり握り取られてしまう。

「キスしていい?」

 前後の脈絡なく問われ、伊月がまず考えたのは――絵面が酷いことになるな、という――わりとどうでもいいことだった。
「私、初めてだけど」
 処女性を尊ぶ吸血鬼的に、〔花嫁〕の記念すべきファーストキスをこの場所、このタイミングで消費するのはアリなのか。
 伊月が返した言外の確認には、移動の際、魔術師のローブバリアジャケット代わりに被せられていた薄布の中へもぐり込んできたキリエが直接、端から拒む意思もない唇へとしとやかに触れてみせることで応えた。

 確かに触れ合った唇は、お互いの体温が馴染む間もなく離れていく。
「……もういいの?」


                                    
 いいわけあるかと答える代わりに、キリエは今度こそ遠慮無く、いとけない〔花嫁〕の唇へとむしゃぶりついた。
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