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物語

8話 「痛む腕」 なら、……お前で試すだけだ

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 一瞬、時が止まったように思えた。

 何が起きたか分からない。先ほどまでの高揚した感情も、力を込めた右腕も痺れるような感覚が抑え込む。それはダッシュの下にいる左目の無い男も同様だったのだろう。奴もまた、自分の体に起こった奇妙な感覚に啞然としていた。
 にも拘わらず、先に動いたのは相手だった。異常な状態でもすぐに切り替えられる辺り、戦闘経験が違うのだろう。先ほどまで絞めていた手を払い退けると、ダッシュを押しのけた。

 (しまった……!)

 ドサっと腰をから倒れこむ。
 立ちはだかる男の眼がこちらを睨む。

「……殺してやる」
 
 ぜーぜーと息を吸いながら、言葉を発する口からだらりと涎が滴り落ちた。それを拭おうともせず、動揺するダッシュに右手を向ける。

 死ぬのは嫌だ。でも、不思議と泣き喚き助けを乞い願う気はなかった。

 (ここからの勝ち筋は無い……)
 
 傷つき疲弊した体で避けるには時間が足りない。
 苦痛に歪んだ男の掌をじっと見つめる。
 
 (死ぬ?ここで?)

 そうだ……負けたから……
 
「……やれよ」
 
 ―――ハァ

 
 ――ハァ
 

 ―ハァ


 自分の呼吸音が頭に響き続ける。

 これが、命を握られ死に向かって突き進む者の感覚。

 握られた掌を見て頭を下げ、ギュッと目を瞑った。

「ッ……!」

 だが、いくら待っても何も起きなかった。文字通り何も。
 恐る恐る顔を上げ、前を見た。
 ダッシュに向けた右手を何度も握りなおす男が1人。
 視線はこちらを見ているのに、よろめきながら立ち上がっても気づかないほどに動揺していた。

「なぜっ!なぜ何も起こらない……!」

 混乱する彼を放って、右手の手袋を取り外す。

 『掴み取るように握られた拳』
 甲に描かれたマーク、憎たらしくも思ったこの模様に変化は見られない。
 
 次に、異様に熱い左手の手袋を外す。
 以前にはなかったマークが描かれていた

 『振り下ろされた戦鎚と砕ける岩』
 見たことがある。そう、さっきまでこれはあいつの喉元にあった。
 
「そうか」

 俺は右手で首を絞めた。まるで奴のマークを奪い取るように……その手を重ねた。
 
「こう、使うんだな……」

 確証はない。能力と同じように、発動条件もまた、人の数ほど存在する。
 単に首を絞めたからかもしれない。怒り、叫び、心のままに従ったからかもしれない。教える者は誰もいなかった。でも、不思議とこれだと思った。
 
「おい……、あんた!おい!」
  
 呼びかけに、男はハっと我に返ると、大声で叫んだ。
 
「お前!私に何をした!!」
「これ、あんたならよく知ってるんじゃないか?」

 ダッシュは左手の甲を見せた。

「なっ!?それは……!!なぜ、どうやって!?」

 髭をかきわけ、喉を搔きむしるように触る。
 奴のマークは消えていた。
 あの男はまだ状況を理解してない、鏡でもあれば見れただろう。
 
 ダッシュは視線を奴の頭に向け、それからゆっくりと左手を向けた。
 
「使えないんだろ、能力。今はそれだけ知っておけばいい」
「まさか……!お前!15年前に騒ぎを起こしたあのガキか!?」
「あんたには関係ないことだ」
「私の能力ものを返せ!この厄災が!」
「っ!!」

 激怒し、吐き捨てられた言葉が胸に突き刺さる。
 こちらを捉えては蔑む954の目玉とそれを超える幾多の人差し指。741の口から発せられる罵詈雑言と叩きつけられる832の拳。それは止まることを知らず、今もまた1つ、増えていく。
 
「黙れ……!それ以上触れるなら、まずその下顎を潰す!」
「なっ!た、例え奪えたとして、どうやって使うか知らないだろう!」
「あぁ、だからあんたが答えろ!なんで目を隠してた?なんで首を絞められた時、潰した目と同じ方向の手を使わなかった?」
「言うはずが無いだろう!」
「なら、……お前で試すだけだ」
「……」

 苦悶にゆがみ黙り込む

「できないと思うか?この状況で……。俺だって予測はできる」
「……」 
「『力がないなら、それに合った場所にいるべきだ』あんたが言った言葉だ。今ならまだ、居るべき場所へ生きたまま返してやる。選択肢はない!」 
「……」 

 男はうなだれた。

 その後はスムーズだった。男は淡々と自身の能力について述べた。
 聞いて思ったことがある。能力というのはとても複雑だった。

 ―――――――――――――――――
 マーク:『振り下ろされた戦鎚と砕ける岩』
 能力:『粉砕』

 ・対象をみて、『粉砕』したいと思うこと
 ・対象は視界に映るものでなくてはならない

 ・視線の先と伸ばした手の先が破壊対象に一致すること
 ・指定した箇所の粉砕を行うにはこれを3秒以上行うこと
 ・大雑把であればその限りではない

 ・瞬きと手を握る動作。これを同時に行うこと
 ・ただし、左手で握った場合は左目で瞬きをする必要がある。その逆も同様である

 ―――――――――――――――――



「最初にあんたが腕を構えなおしたのは、俺じゃなく指輪を見たから視線がズレたのか。それに咄嗟に動けば避けれたし。この能力すげーと思ったけど、なんか……大変そうだな」
「ふん、そう思うなら返してくれ」
「行けよ。目的は達成したし、もう用済みだからさ」

「……厄災、お前は直に死ぬぞ」

 男はそう言い残すと、よろめきながら去っていく。







 その背中をじっと見つめた。






 ―――悪いな、生き続けるためだ






 ―――そして、奪い続けるために






 痛む左腕を、男に向けた。
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