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第1話 初夜をすっぽかされた令嬢は、静かに笑う
結婚式は、完璧だった。
式次第も装花も料理も、招待客の顔ぶれも。
――少なくとも、夕方までは。
クロフォード侯爵家の大広間で、私は新しい姓にまだ慣れないまま、微笑みを貼りつけていた。
伯爵家グレイスの一人娘、アリア・グレイス。
今日からはアリア・クロフォード。
財力ある伯爵家と、古い名門だが財政難の侯爵家。
誰が見ても分かりやすい、政略結婚だ。
「アリア様、本日のドレス、本当にお似合いで……」
取り巻きのご令嬢たちが裾のレースに触れてため息をつく。
私は「ありがとうございます」と形通りの笑みで応じる。
背後では音楽が変わり、私の夫――レイモンド・クロフォードが、中央で誰かと楽しげに踊っていた。
金の髪に青い瞳。背も高く、微笑めば場が華やぐ。
外見だけなら、絵に描いたような「侯爵家の王子様」だ。
……中身については、いずれ分かるだろうと思っていた。
あまり期待もせず、かといって絶望するほどでもなく。
私は伯爵家の娘として、それなりの覚悟を持って、この結婚を受け入れたつもりだった。
問題は、その「いずれ」が、思ったよりずっと早く、ずっと分かりやすい形でやってきたことだ。
◇
夜になり、新居となる別棟の寝室に案内された。
壁には落ち着いた紺色の布が張られ、窓には厚いカーテン。
初夜用に用意された部屋は、好みではないが悪くもない。
侍女たちが最後の支度を終え、私一人を残して下がる。
残ったのは、整えられた寝台と、壁にかかった時計の音だけだった。
しばらくして、扉がノックされる。
「どうぞ」
入ってきたのは、老齢の執事だった。
「レディ・アリア。旦那様は、少々遅れるとのことでございます」
「遅れる? 何かあったのかしら」
「いえ、その…… お客様と、話し込んでおられるようで」
お客様。
この時間に、夫が話し込む「お客様」。
嫌な予感は、もうしていた。
「分かりました。私は構いませんと、お伝えください」
私が微笑むと、執事はかえって困ったように眉をひそめた。
「は、はい…… 失礼いたします」
扉が閉まり、また静寂が戻る。
時計の針が、規則正しく進んでいく。
――一時間。
――二時間。
私はドレスから軽い寝間着に着替え、髪をほどき、それでも椅子に座って待っていた。
扉が開いたとき、「お待ちしていました」と笑って言う準備はできている。
そう思いながら、時間だけが過ぎていく。
――三時間。
さすがに、笑うのに飽きてきた。
卓上の小さな時計を手に取り、長針と短針の位置を眺める。
日付が変わるまで、あと少し。
「……なるほど」
思わず、小さく声が漏れた。
初夜をすっぽかす。
それは、私という人間に対してだけでなく、グレイス伯爵家という「家」に対しての侮辱だ。
あなた方の娘など、後回しで構わない。
そういうメッセージだと、伯爵家の一人娘として私は理解する。
胸が痛むかどうかと問われれば――そうでもない。
失恋したわけではないからだ。
私はレイモンドを、恋愛の相手として愛したことはない。
ただ、プライドを、見事に踏みにじられた。
それは、きちんと覚えておく価値がある。
「なるほど、そう来ましたか。レイモンド様」
寝間着姿でベッドの端に腰掛けながら、私はひとりごちる。
扉は、結局一度も開かなかった。
式次第も装花も料理も、招待客の顔ぶれも。
――少なくとも、夕方までは。
クロフォード侯爵家の大広間で、私は新しい姓にまだ慣れないまま、微笑みを貼りつけていた。
伯爵家グレイスの一人娘、アリア・グレイス。
今日からはアリア・クロフォード。
財力ある伯爵家と、古い名門だが財政難の侯爵家。
誰が見ても分かりやすい、政略結婚だ。
「アリア様、本日のドレス、本当にお似合いで……」
取り巻きのご令嬢たちが裾のレースに触れてため息をつく。
私は「ありがとうございます」と形通りの笑みで応じる。
背後では音楽が変わり、私の夫――レイモンド・クロフォードが、中央で誰かと楽しげに踊っていた。
金の髪に青い瞳。背も高く、微笑めば場が華やぐ。
外見だけなら、絵に描いたような「侯爵家の王子様」だ。
……中身については、いずれ分かるだろうと思っていた。
あまり期待もせず、かといって絶望するほどでもなく。
私は伯爵家の娘として、それなりの覚悟を持って、この結婚を受け入れたつもりだった。
問題は、その「いずれ」が、思ったよりずっと早く、ずっと分かりやすい形でやってきたことだ。
◇
夜になり、新居となる別棟の寝室に案内された。
壁には落ち着いた紺色の布が張られ、窓には厚いカーテン。
初夜用に用意された部屋は、好みではないが悪くもない。
侍女たちが最後の支度を終え、私一人を残して下がる。
残ったのは、整えられた寝台と、壁にかかった時計の音だけだった。
しばらくして、扉がノックされる。
「どうぞ」
入ってきたのは、老齢の執事だった。
「レディ・アリア。旦那様は、少々遅れるとのことでございます」
「遅れる? 何かあったのかしら」
「いえ、その…… お客様と、話し込んでおられるようで」
お客様。
この時間に、夫が話し込む「お客様」。
嫌な予感は、もうしていた。
「分かりました。私は構いませんと、お伝えください」
私が微笑むと、執事はかえって困ったように眉をひそめた。
「は、はい…… 失礼いたします」
扉が閉まり、また静寂が戻る。
時計の針が、規則正しく進んでいく。
――一時間。
――二時間。
私はドレスから軽い寝間着に着替え、髪をほどき、それでも椅子に座って待っていた。
扉が開いたとき、「お待ちしていました」と笑って言う準備はできている。
そう思いながら、時間だけが過ぎていく。
――三時間。
さすがに、笑うのに飽きてきた。
卓上の小さな時計を手に取り、長針と短針の位置を眺める。
日付が変わるまで、あと少し。
「……なるほど」
思わず、小さく声が漏れた。
初夜をすっぽかす。
それは、私という人間に対してだけでなく、グレイス伯爵家という「家」に対しての侮辱だ。
あなた方の娘など、後回しで構わない。
そういうメッセージだと、伯爵家の一人娘として私は理解する。
胸が痛むかどうかと問われれば――そうでもない。
失恋したわけではないからだ。
私はレイモンドを、恋愛の相手として愛したことはない。
ただ、プライドを、見事に踏みにじられた。
それは、きちんと覚えておく価値がある。
「なるほど、そう来ましたか。レイモンド様」
寝間着姿でベッドの端に腰掛けながら、私はひとりごちる。
扉は、結局一度も開かなかった。
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