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28 自分の物語に酔う馬鹿には
「君はわかっていない」
コレリオは私を見た。
「僕は、パール嬢を救いたいんだ」
「救う?」
私は繰り返した。
「誰が、誰を?」
「彼女は傷ついて」
「ええ、あなたのような人がそう思い込む程度には、でしょうね」
「アンバー!」
「何ですの」
コレリオはたぶん、自分が熱のある男に見えていると思っているのだろう。でも実際には違う。自分に酔っているだけだ。
傷ついた女がいたら、自分が差し伸べる役になれると思っているだけ。姉上を見ているようで、ちっとも見ていない。
「パール嬢」
コレリオは、また姉上へ向き直った。
「僕なら、あなたをあんなふうには扱わない」
「その台詞」
姉上が言った。
「ご自分の婚約者に向かって言うべきではなかったのではなくて?」
「君は違う、アンバーとは」
「ええ、違いますわね」
私は言った。
「私は、あなたのそういうところが大嫌いですもの」
後ろから誰か来てくれないかと思ったけれど、まだ誰の気配もしない。風の音と、遠くの話し声だけだ。
コレリオはそれを“好都合”と受け取ったらしい。少し低く声を落とし、姉上へにじり寄る。
「パール嬢、どうか誤解しないでほしい。僕は本当に」
「近寄らないでくださいませ」
姉上が言う。
「あなたに言われることはありません」
「でも君は」
「姉上を気安く呼ばないでくださいませ!」
私は思わず一歩前へ出た。その瞬間だった。コレリオが、焦れたように姉上の手首へ手を伸ばしたのは。
「触れるな!」
私が叫ぶより少し早く、姉上が動いた。
本当に、するっとだった。
風に薄布が流れるみたいに半歩ずれ、伸びてきた手を扇で軽く外し、そのまま体を入れ替える。
次の瞬間、コレリオの腕がひねられた形で上がり、本人は東屋の柱の手前で不格好に膝をついていた。
「いっ……!」
何が起きたのかわからない、という顔だった。
私にはわかった。姉上がやったのだ。
昔からそうだった。兄上と遊び半分に身のこなしを習った時も、私はつい正面から行ってしまうのに、姉上は力を受けずに流すのがうまかった。剣より先に、足さばきと崩し方を覚える人だった。
でもそれを、他人の前で見せることはほとんどなかった。見せる必要がなかったから。今までは。
「姉上」
私は思わず呟く。
「ええ」
姉上は静かに答えた。
「大丈夫よ」
大丈夫なのは、どう見ても姉上のほうだった。
コレリオは片腕を取られたまま、半ば地面に縫い止められている。姉上の表情は少しも乱れていない。
扇を持ったまま、ただし涼しい顔で、彼を見下ろしていた。
「おやめなさい」
姉上が言う。
「私は、助けられる側ではありません」
「パール嬢、僕は」
「さらに言えば」
姉上の声は穏やかだった。
「あなたに救われたいと思ったこともありません」
その台詞、最高だった。
私は内心で拍手しそうになったが、そんな場合ではない。目の前には、返り討ちに遭ったくせにまだ自分を劇場の主人公だと思っていそうな男がいる。
「離れなさい、コレリオ様」
私ははっきり言った。
「今のでもまだ、姉上が弱っていて自分を受け入れるとお思い?」
「違う、僕はただ」
「ただ、何ですの」
私は容赦なく続ける。
「妹を踏み台にしても、姉の不幸に乗じても、ご自分の気持ちが“本気”なら美しく見えると?」
「そんな言い方は」
「ええ、しませんわね。あなたの頭の中では、もっと綺麗な言葉になっているのでしょうもの」
姉上がそのまま手を離すと、コレリオはよろめきながら立ち上がる。でも顔は真っ赤だ。痛みだけではない。羞恥だ。
当然だろう。儚げで守るべき美女だと思っていた相手に、あっさり制圧されたのだから。
「姉上を案じて?」
私はなおも言う。
「笑わせないでくださいませ。あなたが見ていたのは姉上ではなく、“傷ついて弱った女を救う自分”でしょう」
「違う!」
「違いませんわ」
私は一歩も引かなかった。
「あなたは最初から最後まで、ご自分に都合のいい夢しか見ていないのです」
「僕は本気で」
「本気なら何でも許されると?」
「……」
「妹との婚約を軽んじ、姉の結婚中は黙り、離縁した途端に滑り込もうとし、挙げ句に拒まれたら触れようとする。それのどこが誠実なのか、どうか私にもわかる言葉でご説明くださいませ」
コレリオは息を荒くした。言い返したいのだろう。
でも何ひとつまとまらないらしい。顔に出ている。
「僕は」
ようやく絞り出した声は、ひどくみっともなかった。
「僕は、パール嬢を」
「気安く名を呼ばないでくださいませ」
姉上は即座に切った。
「え?」
「親しげに呼ばれること自体、不快なのです」
風がまた吹く。庭の白い花びらがひとつ、私たちの間を横切った。
そのやわらかい景色の中で、コレリオだけがひどく場違いだった。
「コレリオ様」
姉上が言った。
「あなたは、私を気の毒な女だと思っているのでしょうね」
「……」
「でも、違いますわ」
「パール嬢……」
「傷ついたことと、あなたの物語の登場人物になることは別です」
もう、完璧だった。この馬鹿が一番聞きたくない種類の真実を、姉上はひどく静かに突きつけている。
「私は」
姉上は続ける。
「あなたの夢を支えるために戻ってきたのではありません」
「夢、だなんて」
「ええ。夢です」
姉上は首を傾げる。
「現実をご覧になっていないのですもの」
コレリオは私を見た。
「僕は、パール嬢を救いたいんだ」
「救う?」
私は繰り返した。
「誰が、誰を?」
「彼女は傷ついて」
「ええ、あなたのような人がそう思い込む程度には、でしょうね」
「アンバー!」
「何ですの」
コレリオはたぶん、自分が熱のある男に見えていると思っているのだろう。でも実際には違う。自分に酔っているだけだ。
傷ついた女がいたら、自分が差し伸べる役になれると思っているだけ。姉上を見ているようで、ちっとも見ていない。
「パール嬢」
コレリオは、また姉上へ向き直った。
「僕なら、あなたをあんなふうには扱わない」
「その台詞」
姉上が言った。
「ご自分の婚約者に向かって言うべきではなかったのではなくて?」
「君は違う、アンバーとは」
「ええ、違いますわね」
私は言った。
「私は、あなたのそういうところが大嫌いですもの」
後ろから誰か来てくれないかと思ったけれど、まだ誰の気配もしない。風の音と、遠くの話し声だけだ。
コレリオはそれを“好都合”と受け取ったらしい。少し低く声を落とし、姉上へにじり寄る。
「パール嬢、どうか誤解しないでほしい。僕は本当に」
「近寄らないでくださいませ」
姉上が言う。
「あなたに言われることはありません」
「でも君は」
「姉上を気安く呼ばないでくださいませ!」
私は思わず一歩前へ出た。その瞬間だった。コレリオが、焦れたように姉上の手首へ手を伸ばしたのは。
「触れるな!」
私が叫ぶより少し早く、姉上が動いた。
本当に、するっとだった。
風に薄布が流れるみたいに半歩ずれ、伸びてきた手を扇で軽く外し、そのまま体を入れ替える。
次の瞬間、コレリオの腕がひねられた形で上がり、本人は東屋の柱の手前で不格好に膝をついていた。
「いっ……!」
何が起きたのかわからない、という顔だった。
私にはわかった。姉上がやったのだ。
昔からそうだった。兄上と遊び半分に身のこなしを習った時も、私はつい正面から行ってしまうのに、姉上は力を受けずに流すのがうまかった。剣より先に、足さばきと崩し方を覚える人だった。
でもそれを、他人の前で見せることはほとんどなかった。見せる必要がなかったから。今までは。
「姉上」
私は思わず呟く。
「ええ」
姉上は静かに答えた。
「大丈夫よ」
大丈夫なのは、どう見ても姉上のほうだった。
コレリオは片腕を取られたまま、半ば地面に縫い止められている。姉上の表情は少しも乱れていない。
扇を持ったまま、ただし涼しい顔で、彼を見下ろしていた。
「おやめなさい」
姉上が言う。
「私は、助けられる側ではありません」
「パール嬢、僕は」
「さらに言えば」
姉上の声は穏やかだった。
「あなたに救われたいと思ったこともありません」
その台詞、最高だった。
私は内心で拍手しそうになったが、そんな場合ではない。目の前には、返り討ちに遭ったくせにまだ自分を劇場の主人公だと思っていそうな男がいる。
「離れなさい、コレリオ様」
私ははっきり言った。
「今のでもまだ、姉上が弱っていて自分を受け入れるとお思い?」
「違う、僕はただ」
「ただ、何ですの」
私は容赦なく続ける。
「妹を踏み台にしても、姉の不幸に乗じても、ご自分の気持ちが“本気”なら美しく見えると?」
「そんな言い方は」
「ええ、しませんわね。あなたの頭の中では、もっと綺麗な言葉になっているのでしょうもの」
姉上がそのまま手を離すと、コレリオはよろめきながら立ち上がる。でも顔は真っ赤だ。痛みだけではない。羞恥だ。
当然だろう。儚げで守るべき美女だと思っていた相手に、あっさり制圧されたのだから。
「姉上を案じて?」
私はなおも言う。
「笑わせないでくださいませ。あなたが見ていたのは姉上ではなく、“傷ついて弱った女を救う自分”でしょう」
「違う!」
「違いませんわ」
私は一歩も引かなかった。
「あなたは最初から最後まで、ご自分に都合のいい夢しか見ていないのです」
「僕は本気で」
「本気なら何でも許されると?」
「……」
「妹との婚約を軽んじ、姉の結婚中は黙り、離縁した途端に滑り込もうとし、挙げ句に拒まれたら触れようとする。それのどこが誠実なのか、どうか私にもわかる言葉でご説明くださいませ」
コレリオは息を荒くした。言い返したいのだろう。
でも何ひとつまとまらないらしい。顔に出ている。
「僕は」
ようやく絞り出した声は、ひどくみっともなかった。
「僕は、パール嬢を」
「気安く名を呼ばないでくださいませ」
姉上は即座に切った。
「え?」
「親しげに呼ばれること自体、不快なのです」
風がまた吹く。庭の白い花びらがひとつ、私たちの間を横切った。
そのやわらかい景色の中で、コレリオだけがひどく場違いだった。
「コレリオ様」
姉上が言った。
「あなたは、私を気の毒な女だと思っているのでしょうね」
「……」
「でも、違いますわ」
「パール嬢……」
「傷ついたことと、あなたの物語の登場人物になることは別です」
もう、完璧だった。この馬鹿が一番聞きたくない種類の真実を、姉上はひどく静かに突きつけている。
「私は」
姉上は続ける。
「あなたの夢を支えるために戻ってきたのではありません」
「夢、だなんて」
「ええ。夢です」
姉上は首を傾げる。
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