《完結》婚約破棄されましたので、隣国の灯りを点しに行きましょう

さんけい

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31 アリーシャの悪あがき、グイドのやさぐれ

 その夜、アストリア王城の大広間は、冬とは思えないほど明るかった。
 天井のシャンデリアには油の灯りが幾重にも灯され、 壁際には背の高いランプがずらりと並ぶ。
  窓の外には雪景色が広がっているのに、室内だけは柔らかな橙色に満たされていた。

「……これ見よがしね」

 カンタブラ王国王太子妃アリーシャは、グラスを少し乱暴に持ち上げた。

「わざわざこんなに灯りを焚かなくてもいいでしょうに。“うちはこれだけ余裕があります”って、見せたいだけじゃない」
「アリーシャ、声が大きいわ」

 王妃は小声で制するが、その表情にも苛立ちが滲んでいる。

「でも、本当にそうでしょう? うちの城じゃ、暖炉の前ですら寒いのに」

 アリーシャは唇を尖らせ、会場の中央付近へ視線を向けた。
 王座のひとつ下、来賓席。
 アストリア王レオンハルトの近くに、サーシャ準男爵の姿がある。
 深い紺色のドレスに、銀糸で古い文字のような刺繍。
 胸元には王立書庫顧問のバッジ――そして、今宵その隣に新たな紋章が加わる予定だと知らされている。

「……あの女」

 アリーシャの指が、グラスの脚をきゅっときしませた。

「王妃様、ほんと、あの人を“見返してやった”はずだったのに。どうして今度は、あっちの王様のそばに立ってるわけ?」
「アリーシャ」

 王妃は、周囲の視線を気にして眉をひそめる。

「ここでは“あの女”なんて言い方はおやめなさい。今は“サーシャ準男爵”よ」
「じゃあ、なんて呼べばいいの。“元・婚約者様”? “今はアストリアのご自慢様”?」

 皮肉たっぷりのひと言に、王妃は言葉を失う。
 少し離れた席では、王太子グイドがグラスを傾け続けていた。

「……美味い酒だな」

 空になったグラスを侍従に突き出す。

「殿下、お飲み過ぎにございます」
「うるさい。これくらい飲まなきゃやってられん」

 新しいグラスを乱暴につかみ、視線をさまよわせる。
 結局、止めようとしても、またサーシャのほうに戻ってしまう。

(本当に、あの場所にいるのか……)

 かつて“俺の婚約者”として自分の後ろに控えていた女が、今は他国の王に紹介され、その功績を称えられている。

「グイド様」

 アリーシャが、わざとらしく明るい声で夫に近づいた。

「楽しいですか? “元・婚約者様”の晴れ舞台は」
「アリーシャ、やめろ」
「やめろ、ですって?」

 アリーシャは、グラスを握る手にぐっと力を込めた。

「そもそも、あの人を追い出したの、誰のためでしたっけ。“お前のほうが王太子妃にふさわしい”って、おっしゃったのは、どなた?」
「そんな言い方はしていない」
「でも、意味はそうだったわ」

 アリーシャは、ちらりとサーシャを睨む。

「なのに――今、王様のすぐそばに立ってるのは、あの人でしょ? わたくしじゃなくて」

 その声には、被害者意識と屈辱とがぐちゃぐちゃに混ざっていた。

「アリーシャ」

 王妃が慌てて口を挟む。

「今はそんなことを言っている場合では――」
「王妃様だって、お腹の中では思ってるでしょう?」

 アリーシャは笑いもせずに言い放った。

「“なんであの子があんな場所に”って。“うちでは褒めてあげなかったのに”、って」

 王妃の顔色が、さっと変わる。

「……あなたまで、そんな言い方を」
「わたくし“まで”、って何です?」

 アリーシャは、グラスの縁を指でなぞる。

「“あの子のためを思って”“悪気はなかった”―― ずっとそうやって言ってきたんじゃなくて?」

 王妃は、ハンカチを握りしめたまま視線をそらした。

 ◇ ◇ ◇

「そろそろ、始めましょうか」

 音楽が一度止まり、アストリア宰相の合図で会場が静まる。
 視線が王座に集まった。

「諸君」

 レオンハルトが立ち上がると、ざわめきはすっと消えた。

「今宵は、二つのことを祝うために、この場を設けた」

 北方油田の本格稼働の話。
 「冬に怯えるだけの国」から「冬を迎え撃つ国」へ変わりつつあること。
 その言葉に合わせて、会場には大きな拍手が広がる。
 カンタブラ王国の側の人々は、その光景を複雑な表情で眺めていた。
 王太子妃アリーシャは、爪がグラスの脚に食い込むほど強く握りしめている。

「もうひとつは、その変化を支えたひとりの臣の働きだ」

 レオンハルトの視線が、サーシャへと向く。

「サーシャ・グロースベルク準男爵」

 サーシャは立ち上がり、礼を取る。

「彼女は、古い文字を読み解き、忘れられかけていた油田の手がかりを掘り起こし、我が国の油の危険と可能性を共に教えてくれた。そして、我々が“誰を冬から守るべきか”を、数字と提案で示し続けてくれた」

 再び拍手。
 アリーシャは、その音を聞きながら、唇を噛みしめた。

「……そんなの、わたくしだって聞いていれば覚えられたわよ」

 誰にも聞こえない声で、毒を吐く。

「覚えようとしなかったのは、誰かしら」

 王妃のつぶやきが、その毒にかぶさった。
 二人は、互いに顔を見合わせ、さっと視線を逸らす。

「王として、ここに改めて、その功を称えたい」

 レオンハルトの言葉と共に、拍手は一段と大きくなった。
 一方、その音から逃げるようにグイドはグラスをあおる。

(あいつは、俺のところにいたはずだった)

 そして誰にも聞かれない心の中で、なおもそんなことを考え続けている。
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