《完結》婚約破棄されましたので、隣国の灯りを点しに行きましょう

さんけい

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34 冬明け前の決断

 祝賀の夜から、二日が過ぎた。
 アストリア王城の一室では、暖炉の火が静かに燃え、厚手のカーテンが冬の光を遮っている。
 そこにいるのは、アストリア王レオンハルトと王弟フリードリヒ、カンタブラ側からは王、王太子グイド、王弟エリアス、宰相だけだった。
 王妃とアリーシャは別室で待機させられている。

「──では、結論をうかがおう」

 レオンハルトが、静かに口を開く。

「この冬を越す“だけ”の支援でよいのか。それとも、“その先の冬”も見据えた協定を結ぶ覚悟があるのか」

 カンタブラ王国の王は、両手を膝に置き、ゆっくりと息を吐いた。

「……私は、王を退くことにする」

 グイドが、思わず立ち上がった。

「父上!」
「座れ、グイド」

 王の声には、かつての威厳が戻っていた。

「私が王であり続ければ、この先も“今年さえ持ちこたえれば”という発想から抜け出せん。それでは、民の冬は終わらぬ」

 エリアスが、わずかに目を閉じた。

「陛下……」
「アストリア王よ」

 カンタブラ王国の王は、レオンハルトに向き直る。

「我が国は、王弟家に王位を譲り、新しい王のもとで、貴国との長期協定を結びたい」

 レオンハルトは、短く頷いた。

「その決断に、敬意を表する」
「ただし」

 フリードリヒが口を挟む。

「譲位を決めたからといって、すべての責任が消えるわけではない。今までの冬を、王宮の暖炉の前で越してきたという事実は変わらない」
「……それは、わかっている」

 王の声には、さすがに痛みが混じった。

「だからこそ、退いたあと、儂らに“どのような処遇が妥当か”は、新しい王と、アストリアとの協議に委ねよう」
「つまり、“幽閉も処刑も受け入れる”ということですか」

 エリアスの問いに、王は黙って頷いた。

「覚悟はする。せめて、民がこれ以上凍えずに済むのなら、それでよい」

 グイドは、耐えきれず声を上げる。

「父上、そこまでしなくても、俺が、俺がもっと……!」
「“もっと”できたなら、サーシャをあの場で捨てるような真似はしなかったはずだ。無論認めてしまった私も同罪だ」

 王の言葉は、刺すように冷たかった。

「おまえは、“自分が正しい”と信じた顔で、人ひとりの人生を“見せ物”にした。その報いは、王太子としてではなく、人として受けねばならん」

 グイドは、反論できなかった。

(“正しい決断”だと、信じていた。“愛されない婚約者より、可愛い妃のほうが国のためになる”と)

 それが、結果として、どれだけ多くの冬を重くしたのか。
 今になっても、全部は想像しきれていない。

「エリアス」

 王は、弟に視線を向けた。

「おまえに、国を託したい。儂と妃と、グイドとその妃の処遇も含めて、すべてを任せる」

 エリアスは、真っ直ぐに兄を見返した。

「お預かりします」

 短い言葉だったが、その背後にある重さは、誰の目にも明らかだった。

「レオンハルト陛下」

 エリアスは、アストリア王のほうへ向き直る。

「我が国に戻り次第、譲位と新政体の布告を行い、同時に、貴国との条約締結のための正式な使節を送ります」
「わかった」

 レオンハルトは頷いた。

「我々は、その準備を整えて待とう。その間、“今冬を越すための最低限の支援”は予定通り行う」

 エリアスは深く礼をした。

「感謝します」

 フリードリヒが、レオンハルトに小声で囁く。

「兄上、本来ならこちらから“退位と幽閉”まで条件として突きつけてもおかしくない話ですよ」
「だからこそ、こちらからは言わなかった」

 レオンハルトは、低く返す。

「“自分でそこまで行き着いた相手”とでなければ、長期協定など結べないだろう?」
「……なるほど」

 フリードリヒの目に、わずかな笑みが浮かんだ。

 ◇ ◇ ◇

 部屋を出た廊下で、アストリア側の宰相が、
 サーシャが待つ控え室に向かう前に足を止めた。
 扉を軽くノックする。

「サーシャ顧問、少々よろしいですか」
「はい、どうぞ」

 サーシャは、机上の書類から顔を上げた。
 北部への油輸送量と、カンタブラ王国向け支援分の再計算に取り組んでいたところだ。

「カンタブラ王国側の決断が固まりました」
「そう、ですか」

 サーシャは、ペンを置いた。

「陛下は、王弟殿下に王位を譲るおつもりだそうです。ご自身と王妃、王太子夫妻の処遇も、新王に委ねると」
「……そうですの」

 サーシャは、少しだけ窓の外を見た。
 アストリアの冬空は相変わらず重く、屋根の上には新しい雪が薄く積もっている。

「わたくしは、何も申し上げる立場にありませんわね」
「ええ。すでにアストリアの臣です」

 宰相は、肯定するように頷いた。

「ただ、ひとつだけお伝えしておきたくて」
「何でしょう」
「あなたの言葉が、“冬は一人では越えられない”という一言が、王弟殿下の背中を押したようですよ」

 サーシャは、すこし驚いた顔をした。

「ほんの、雑談のようなものでしたけれど」
「雑談のようなひと言が、決断につながることもある。あなたがここで復讐を望まなかったからこそ、この形になったのだと、私は思っています」

 サーシャは、静かに首を振った。

「復讐を望まなかったというより、そこまで考える余裕がなかっただけですわ」

 自嘲めいた笑みを浮かべる。

「こちらに来てから、ずっと冬と数字ばかり見ていましたもの」
「それが、今のアストリアを救っているのですから、十分ではありませんか」

 宰相は、それ以上何も言わず、控え室を後にした。

 サーシャは、窓の外の雪を見つめながら、小さく息を吐く。

(……どうか、あの国の冬が、少しでも軽くなりますように)

 祈りにも似た思いを胸に、再び机に向き直った。
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