婚約破棄ですか? 損切りの機会を与えてくださり、本当にありがとうございます

水上

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第12話:見えない断熱材

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 北の台地、ノルト領に冬の足音が近づいていました。

 朝晩の冷え込みは厳しく、吐く息は白く濁ります。
 王都の冬とは比べ物にならない、肌を刺すような冷気です。

「……お嬢ちゃん。せっかく立派な煉瓦の家ができてきたが、こりゃあ石の棺桶になるぞ」

 建設中のモデルハウスの前で、村長のハンスさんがマフラーを巻き直しながら言いました。

「石や煉瓦ってのは、冷え切ると氷の塊みたいになるんだ。暖炉をガンガン燃やしても、背中から凍りついていく。毎年、凍え死ぬ年寄りが後を絶たねえ」

 彼の懸念はもっともです。
 石造りの建物は蓄熱性が高い反面、一度冷えると断熱性が低く、外気をそのまま室内に伝えてしまいます。
 王都の貴族たちは、これを高価な魔石暖房による力技で解決していますが、私たちにそんなランニングコストを払う余裕はありません。

「ご安心を、ハンスさん。そのために、この壁を二重にしたのです」

 私が指差したのは、組み上がったばかりの壁の断面です。
 外側は、王都から運んできた廃材の煉瓦。
 内側は、近隣の森から切り出した安価な木材と土壁。
 そしてその間には、掌一枚分ほどの隙間が空いていました。

「なんだこりゃ? 壁を二つ作るのか? 隙間があったら、スースーして余計に寒いだろうが」

「いいえ。この隙間こそが、最強の防寒着なのです」

 私は、手に持っていたマグカップを掲げました。

「皆さん、考えてみてください。なぜ羽毛布団は暖かいのでしょう? 羽毛そのものが発熱しているわけではありませんよね?」

 村人たちが顔を見合わせます。
 そこに、ルーカス閣下がチョークで黒板(廃材の板を塗ったもの)に数式を書きながら割って入りました。

「空気だ」

「く、空気?」

「そうだ。物質の熱伝導率において、空気は極めて優秀なだ。石材の熱伝導率がおよそ1・0から2・0なのに対し、空気は0・024。つまり、動かない空気の層は、石の百倍近く熱を逃がさない」

 ルーカス閣下は、熱心に黒板を叩きました。

「この壁の間の空洞(中空層)こそが、熱の移動を遮断するバリアとなる。魔法の結界など必要ない。物理法則が君たちを寒さから守るんだ」

 ポカンとする村人たち。
 私は補足しました。

「要するに、この家全体にのです。外の煉瓦が氷のように冷えても、この空気の層が邪魔をして、中の部屋までは冷たさが届きません。逆に、部屋で暖炉を焚けば、その熱は外に逃げず、暖かさを保ちます」

 説明を聞いても、まだ半信半疑な顔の村人たち。
 無理もありません。目に見えない空気を信じろというのは、ある意味で魔法よりも難解かもしれません。

「論より証拠ですわ。今夜、このモデルハウスで実証実験を行いましょう」

 その夜は、季節外れの寒波が襲来し、外気温は氷点下近くまで下がりました。
 北風が唸りを上げて吹き荒れています。

 しかし、完成したモデルハウス、ブリコラージュ一号棟の中は、別世界でした。

「……嘘だろ」

 ハンスさんが呻きました。
 部屋の中央にある小さな薪ストーブ。
 燃えているのはわずかな薪だけです。
 それなのに、室内は上着がいらないほどポカポカと暖かいのです。

「壁が……、冷たくない」

 一人の女性がおずおずと内壁に触れました。
 今までの石の家なら、氷のように冷たくなっていたはずの壁が、ほんのりと温もりを帯びています。

「二重壁構造による断熱効果、実証完了ですね」

 私は温度計を確認して微笑みました。
 外気温マイナス二度。
 室温十八度。
 差は歴然です。

「すげえ……。魔法石も使ってねえのに、こんなに暖かいなんて!」

「これなら、薪の量が半分以下で済むぞ!」

「赤ん坊が凍えなくて済むんだ!」

 村人たちの顔が、ストーブの炎以上に明るく輝き出しました。
 燃料費の削減は、貧しい彼らにとって死活問題です。
 それが空気というタダの建材で解決されたのです。

「エリーゼ嬢、計算通りだな」

 部屋の隅で、ルーカス閣下が満足げに紅茶を啜っていました。

「王都の城は石造りの単層構造だ。見た目は立派だが、冬は冷蔵庫のように冷える。今頃、兄上やヘリオスたちは、高い金を払って魔石を大量消費しているだろうよ」

「ええ。彼らは見栄という断熱性のない服を着ていますから。寒さに震えながら、金貨を暖炉にくべているようなものですわ」

 私は窓の外、遥か南の空を見上げました。

 この断熱技術は、単なる寒さ対策ではありません。
 エネルギー効率の差は、そのまま経済力の差になります。
 私たちが薪一本で暖を取っている間に、王都は薪十本分のコストを支払う。
 この積み重ねが、やがて国家予算規模の致命的な格差となるのです。

「さあ、ハンスさん。この工法を全ての家に適用します。廃材はまだ山ほどありますからね」

「おうよ! 明日から総出でやるぞ!」

 村人たちの活気ある声を聞きながら、私は手帳の住環境の項目にAランクの評価を書き込みました。
 衣食住が整えば、次は産業です。
 人が集まり、お金が回る仕組みを作る。

 私の建国計画は、順調に理想へ向かって進み始めていました。
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