婚約破棄ですか? 損切りの機会を与えてくださり、本当にありがとうございます

水上

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第37話:バーゲンセールの王国とJカーブ効果

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 王都の港湾地区は、異様な活気に包まれていました。

 ただし、それは健全な貿易の賑わいではありません。
 まるで閉店セールに群がるハイエナの群れのような、貪欲な熱気です。

「おい、見ろよ! この銀食器、向こうの国なら金貨十枚はするぞ!」

「こっちでは金貨一枚で買えるってよ! 買い占めろ!」

 外国の商人たちが、王国の美術品や工芸品を次々と買い漁っています。
 格付けダウンによる通貨価値の暴落。
 かつて誇り高かったグランデ王国の通貨は、今や紙屑同然の扱いを受け、相対的に外国の通貨が強くなっていたのです。

「……屈辱的だな」

 港の様子を視察していたルーカス閣下が、ギリリと奥歯を噛み締めました。

「我が国の資産が、二束三文で海外へ流出していく。このままでは、国の中身が空っぽになってしまうぞ」

「感情的になってはいけません、閣下。これはバーゲンセールです」

 私は日傘を回しながら、冷静に商人たちの動きを観察しました。

「通貨が安いということは、外国人にとって、この国の製品が激安で買えるということです。……これを逆手に取らない手はありません」

「逆手に取る?」

「ええ。経済学にはJカーブ効果という現象があります。通貨安の初期は輸入コストが上がって苦しいですが、やがて輸出競争力が爆発的に高まり、貿易収支が劇的に改善するのです」

 私は港の倉庫を指差しました。
 そこには、ノルト領から運ばれてきた木箱が山のように積まれています。

「さあ、反撃の時間です。彼らが『安いから欲しい』と言うなら、死ぬほど売って差し上げましょう。……ただし、骨董品ではなく、私たちが作った工業製品をね」

 翌日から、港の景色は一変しました。

 市場に並んだのは、王都の古い家具ではありません。

 ノルト領の水力ハンマーで叩き出された均一な規格の鉄釘。
 垂直農法で量産された高糖度トマトの瓶詰め。
 そして、廃材ガラスを再利用した美しいモザイクタイル。

 これらが、信じられないほどの低価格で並べられたのです。

「な、なんだこれは!? この鉄製品、わが国の半値以下だぞ!?」

「しかも品質が良い! 不純物が全然ない!」

「なんてお得なの! これは買うしかないわ!」

 外国の商人たちが色めき立ちました。
 自国で作るよりも、ここで買って持ち帰った方が圧倒的に儲かる。
 彼らは競ってグランデ製品を買い求め、船に積み込み始めました。

「マリー、輸出管理は?」

「順調です。全ての決済は外貨または、金地金に限定しています」

 私は港の管理棟で、帳簿を確認しました。
 飛ぶように売れる製品と引き換えに、減っていた王国の金庫に、確かな価値を持つ外貨が雪崩れ込んできます。

「薄利多売に見えますが、ノルト領の水力工場は二十四時間稼働で、原価は極限まで下がっています。売れば売るほど、外貨が貯まる仕組みです」

 ルーカス閣下が、感心したように唸りました。

「通貨安を武器に変えたか。……だが、これでは相手国の産業を破壊することになるぞ」

「あら、お気づきになりましたか?」

 私は悪役らしく、口元を吊り上げました。

「その通りです。安くて高品質なグランデ製品が大量に流入すれば、相手国の地場産業は価格競争に負けて衰退します。気がついた時には、彼らの生活はグランデ製品なしでは成り立たない状態になっているでしょう」

 これをダンピング攻勢とも呼びますが、今回はあくまで、通貨安による自然な競争力という建前です。
 これなら国際法でも文句は言えません。

 一ヶ月後。 

 王国の貿易収支は、建国以来の黒字を記録しました。
 獲得した外貨を使って、私は海外に流出していた王家の宝物や、重要な権利書を次々と買い戻しました。

 そして、執務室。
 私は一枚の新しい硬貨を、ルーカス閣下に手渡しました。
 地下でヘリオス殿下が汗水垂らしてプレスした、新硬貨です。

「外貨準備高は十分に回復しました。この裏付けをもとに、新通貨『グランデ・リラ』の発行を宣言します」

 閣下がコインを受け取り、光に透かして見ました。
 そこには、新しい王国の紋章――歯車と麦穂が刻まれています。

「……重いな。ヘリオスの恨み節が聞こえてきそうだ」

「その重みこそが、信用ですわ」

 通貨安の是正。
 輸出産業の育成。
 そして、外貨獲得による財政の健全化。

 どん底だった王国の経済はV字回復……、いえ、Jカーブを描いて急上昇を始めました。
 
「さて、金庫も潤いました。次は外交です」

 私は地図を広げました。
 隣国、そして国際社会に向けて、新政権の正当性を認めさせる。
 そのためには、単なるお金持ちになるだけでは足りません。

「そろそろ、あの治外法権の大使館を利用させていただきましょうか」

 私の視線は、王都の一角にある、未だに手を付けていない聖域に向けられていました。
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