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第3話:荒野への旅立ち
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「セレナ・アグリエル! 貴様を王都から追放し、北の辺境ヴォルガード領への蟄居を命じる!」
翌日の王の間。
玉座の代理として座るヘリオス殿下の声が、石造りの広間に朗々と響き渡った。
周囲には宰相や大臣たちが並び、私を憐れむような、あるいは厄介払いができて安堵したような目で見下ろしている。
北のヴォルガード領。
そこは死の土地と呼ばれる不毛の大地であり、獣が出没する危険地帯としても知られている。
貴族令嬢にとっては、死刑宣告にも等しい場所だ。
殿下は口角を吊り上げ、私が泣き崩れるのを期待しているようだった。
「どうだ、怖いだろう? 今すぐリリィに謝罪し、愛の素晴らしさを認めれば、修道院くらいには減刑してやっても――」
「ありがとうございます、殿下!」
私は食い気味に、満面の笑みで答えた。
殿下の言葉が喉で詰まる。
「あ……、ありがとう、だと?」
「はい! 北のヴォルガード領といえば、未だ詳細な土壌データが存在しない未開拓の地。しかも、特殊な気候条件下での耐寒性作物の研究にうってつけの場所ではありませんか!」
私は胸の前で手を組み、心からの感謝を捧げた。
「王都の土は、貴方達の社交界と同じで、栄養過多で腐敗し始めていましたから。未開拓の荒れ地こそ、私の腕の見せ所です」
会場がざわめく。
「強がりだ」
「気が触れたのか」
という声が聞こえるが、雑音にすぎない。
私は本気だった。
王都での生活はストレスフルだ。
無意味な夜会、非科学的な慣習、そして何より、私の研究を泥遊びと嘲笑う環境。
そこから解放され、広大な実験フィールドを与えられるなんて、嬉しいに決まっている。
「き、貴様……、どこまでも可愛げのない女だ!」
「恐縮です。では、早速出発の準備がありますので」
私は踵を返し、出口へと向かう。
その背中に、殿下の苛立った声が投げかけられた。
「後悔するぞ! 辺境に行けば、ドレスも宝石も、僕という最愛のパートナーもいない! 愛に飢えて野垂れ死ぬがいい!」
私は足を止め、一度だけ振り返った。
彼との最後の会話だ。
餞別代わりに、真理を一つ置いていってあげよう。
「殿下。一つ訂正させていただきます」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。
「愛だの恋だので作物は育ちません。必要なのは適切なpH調整と、裏切らない有機肥料です。……さて、殿下という最大の雑草が抜けたのですから、私の人生、これからが収穫期ですわ」
「ざ、ざっ、雑草だとぉぉぉ!?」
殿下の絶叫を背に、私は扉を閉めた。
重厚な扉が閉まる音は、私の新しい人生のスタートを告げる号砲のように聞こえた。
屋敷に戻った私は、即座に荷造りを開始した。
ドレスは最低限。
代わりに、愛用の顕微鏡、試薬セット、大量の専門書、そして隠し持っていた種子のコレクションをトランクに詰め込む。
「お嬢様……、本当に行かれるのですか?」
涙目の侍女が声をかけてくる。
彼女は私が手塩にかけて育てた最高級茶葉の専属管理メイドだ。
「ええ。今までありがとう。……ああ、そうだ」
私は温室の方を見やり、淡々と指示を出した。
「今日から、あの茶葉への特殊処理はすべて中止してください」
「特殊処理、ですか? お嬢様が毎朝行っていた?」
「はい。土壌への微量元素の添加と、秒単位でのpH調整です。あれは私の感覚と計算があって初めて成立するものですから、マニュアル化は不可能です」
私が王宮や商会に卸していた最高級品の茶葉。
その芳醇な香りと甘みは、奇跡でも魔法でもない。
私が土壌中のマグネシウムとアミノ酸生成菌のバランスを極限まで管理していた科学の結晶だ。
私が去れば、当然その管理は途絶える。
誰も引き継げないのだから仕方がない。
「これからは、殿下が推奨される通り、愛と優しい言葉をかけて育ててあげてください。リリィ様ならきっと、素敵な歌でも歌ってくださるでしょう」
「……お嬢様、それはつまり……」
「枯れるか、渋くて飲めない雑草に戻るか。結果は明白ですが、それもまた実験です」
私は少し意地悪く微笑んだ。
これは単なる因果関係の証明だ。
私がいない世界で、彼らの愛がどれほどの生産性を持つのか、高みの見物といこう。
数時間後。
私は王家の紋章が入った豪奢な馬車ではなく、実用的な辻馬車に揺られていた。
王都の門をくぐり、石畳の道から土の道へ。
ガタゴトという振動すら、心地よいリズムに感じる。
北へ向かうこと数日。
景色は徐々に荒涼としたものになり、風は冷たさを増していった。
そして、国境付近の宿場町で休憩をとっていた時のことだ。
「――おい、そこの馬車」
地響きのような低い声に呼び止められた。
振り返ると、そこには見上げるような巨躯の男が立っていた。
黒い軍服に、熊の毛皮をあしらったマント。
漆黒の髪に鋭い眼光。
そして左頬には、かつて獣と渡り合ったであろう古傷。
夜会で一度だけ遠目に見かけた、北の氷壁ことアレクシス・ヴォルガード辺境伯その人だった。
周囲の旅人たちが、恐怖で息を呑む気配がする。
確かに、威圧感は凄まじい。
泣く子も黙るどころか、大人も失神しそうな迫力だ。
だが、私は職業柄、観察眼には自信がある。
彼の視線は、私……、ではなく、私の足元に向けられていた。
正確には、私が休憩中に採取しようとしていた、道端の雑草に。
「その草、食うつもりか?」
ぶっきらぼうな問いかけ。
私は立ち上がり、手にした草についた土を払いながら答えた。
「ええ。これはノビルの一種です。根元の鱗茎にはアリシンが豊富に含まれており、疲労回復に効果があります。この辺りの土壌は痩せていますが、その分、植物が必死に栄養を蓄えようとするので、味は濃厚かと」
アレクシス様は目を丸くした。
強面の表情がわずかに崩れ、呆れたような、それでいて感心したような色が浮かぶ。
「……王都から追放された令嬢が、道端の草を分析して食おうとするとはな」
「生きるためには、まずカロリーと栄養素の確保が最優先ですから。感情に浸って食事を抜くのは、最も非効率的な行為です」
私が真顔で答えると、彼はふっ、と短く鼻で笑った。
それは嘲笑ではなく、どこか面白がるような響きだった。
「違いない。……乗れ。俺の馬車で送っていく」
「え?」
「貴様の乗っている辻馬車では、ヴォルガードの峠は越えられん。車軸が折れるぞ」
彼は有無を言わせぬ様子で、自身の漆黒の馬車を指差した。
本来なら、初対面の、しかも恐ろしいと噂される男性の馬車に乗るなど警戒すべきだろう。
しかし、彼の指摘は正しかった。
ここから先の道は険しく、安物の辻馬車では物理的に限界がある。
「合理的ですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」
私が即答すると、アレクシス様は意外そうに眉を上げたが、すぐに大きな手を差し出してきた。
無骨で、剣ダコのある大きな手。
私はその手を取り、馬車へと乗り込んだ。
これから向かう死の土地で、この男と二人三脚で土を耕すことになるなんて、この時の私はまだ、計算式の中に組み込んでいなかった。
翌日の王の間。
玉座の代理として座るヘリオス殿下の声が、石造りの広間に朗々と響き渡った。
周囲には宰相や大臣たちが並び、私を憐れむような、あるいは厄介払いができて安堵したような目で見下ろしている。
北のヴォルガード領。
そこは死の土地と呼ばれる不毛の大地であり、獣が出没する危険地帯としても知られている。
貴族令嬢にとっては、死刑宣告にも等しい場所だ。
殿下は口角を吊り上げ、私が泣き崩れるのを期待しているようだった。
「どうだ、怖いだろう? 今すぐリリィに謝罪し、愛の素晴らしさを認めれば、修道院くらいには減刑してやっても――」
「ありがとうございます、殿下!」
私は食い気味に、満面の笑みで答えた。
殿下の言葉が喉で詰まる。
「あ……、ありがとう、だと?」
「はい! 北のヴォルガード領といえば、未だ詳細な土壌データが存在しない未開拓の地。しかも、特殊な気候条件下での耐寒性作物の研究にうってつけの場所ではありませんか!」
私は胸の前で手を組み、心からの感謝を捧げた。
「王都の土は、貴方達の社交界と同じで、栄養過多で腐敗し始めていましたから。未開拓の荒れ地こそ、私の腕の見せ所です」
会場がざわめく。
「強がりだ」
「気が触れたのか」
という声が聞こえるが、雑音にすぎない。
私は本気だった。
王都での生活はストレスフルだ。
無意味な夜会、非科学的な慣習、そして何より、私の研究を泥遊びと嘲笑う環境。
そこから解放され、広大な実験フィールドを与えられるなんて、嬉しいに決まっている。
「き、貴様……、どこまでも可愛げのない女だ!」
「恐縮です。では、早速出発の準備がありますので」
私は踵を返し、出口へと向かう。
その背中に、殿下の苛立った声が投げかけられた。
「後悔するぞ! 辺境に行けば、ドレスも宝石も、僕という最愛のパートナーもいない! 愛に飢えて野垂れ死ぬがいい!」
私は足を止め、一度だけ振り返った。
彼との最後の会話だ。
餞別代わりに、真理を一つ置いていってあげよう。
「殿下。一つ訂正させていただきます」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。
「愛だの恋だので作物は育ちません。必要なのは適切なpH調整と、裏切らない有機肥料です。……さて、殿下という最大の雑草が抜けたのですから、私の人生、これからが収穫期ですわ」
「ざ、ざっ、雑草だとぉぉぉ!?」
殿下の絶叫を背に、私は扉を閉めた。
重厚な扉が閉まる音は、私の新しい人生のスタートを告げる号砲のように聞こえた。
屋敷に戻った私は、即座に荷造りを開始した。
ドレスは最低限。
代わりに、愛用の顕微鏡、試薬セット、大量の専門書、そして隠し持っていた種子のコレクションをトランクに詰め込む。
「お嬢様……、本当に行かれるのですか?」
涙目の侍女が声をかけてくる。
彼女は私が手塩にかけて育てた最高級茶葉の専属管理メイドだ。
「ええ。今までありがとう。……ああ、そうだ」
私は温室の方を見やり、淡々と指示を出した。
「今日から、あの茶葉への特殊処理はすべて中止してください」
「特殊処理、ですか? お嬢様が毎朝行っていた?」
「はい。土壌への微量元素の添加と、秒単位でのpH調整です。あれは私の感覚と計算があって初めて成立するものですから、マニュアル化は不可能です」
私が王宮や商会に卸していた最高級品の茶葉。
その芳醇な香りと甘みは、奇跡でも魔法でもない。
私が土壌中のマグネシウムとアミノ酸生成菌のバランスを極限まで管理していた科学の結晶だ。
私が去れば、当然その管理は途絶える。
誰も引き継げないのだから仕方がない。
「これからは、殿下が推奨される通り、愛と優しい言葉をかけて育ててあげてください。リリィ様ならきっと、素敵な歌でも歌ってくださるでしょう」
「……お嬢様、それはつまり……」
「枯れるか、渋くて飲めない雑草に戻るか。結果は明白ですが、それもまた実験です」
私は少し意地悪く微笑んだ。
これは単なる因果関係の証明だ。
私がいない世界で、彼らの愛がどれほどの生産性を持つのか、高みの見物といこう。
数時間後。
私は王家の紋章が入った豪奢な馬車ではなく、実用的な辻馬車に揺られていた。
王都の門をくぐり、石畳の道から土の道へ。
ガタゴトという振動すら、心地よいリズムに感じる。
北へ向かうこと数日。
景色は徐々に荒涼としたものになり、風は冷たさを増していった。
そして、国境付近の宿場町で休憩をとっていた時のことだ。
「――おい、そこの馬車」
地響きのような低い声に呼び止められた。
振り返ると、そこには見上げるような巨躯の男が立っていた。
黒い軍服に、熊の毛皮をあしらったマント。
漆黒の髪に鋭い眼光。
そして左頬には、かつて獣と渡り合ったであろう古傷。
夜会で一度だけ遠目に見かけた、北の氷壁ことアレクシス・ヴォルガード辺境伯その人だった。
周囲の旅人たちが、恐怖で息を呑む気配がする。
確かに、威圧感は凄まじい。
泣く子も黙るどころか、大人も失神しそうな迫力だ。
だが、私は職業柄、観察眼には自信がある。
彼の視線は、私……、ではなく、私の足元に向けられていた。
正確には、私が休憩中に採取しようとしていた、道端の雑草に。
「その草、食うつもりか?」
ぶっきらぼうな問いかけ。
私は立ち上がり、手にした草についた土を払いながら答えた。
「ええ。これはノビルの一種です。根元の鱗茎にはアリシンが豊富に含まれており、疲労回復に効果があります。この辺りの土壌は痩せていますが、その分、植物が必死に栄養を蓄えようとするので、味は濃厚かと」
アレクシス様は目を丸くした。
強面の表情がわずかに崩れ、呆れたような、それでいて感心したような色が浮かぶ。
「……王都から追放された令嬢が、道端の草を分析して食おうとするとはな」
「生きるためには、まずカロリーと栄養素の確保が最優先ですから。感情に浸って食事を抜くのは、最も非効率的な行為です」
私が真顔で答えると、彼はふっ、と短く鼻で笑った。
それは嘲笑ではなく、どこか面白がるような響きだった。
「違いない。……乗れ。俺の馬車で送っていく」
「え?」
「貴様の乗っている辻馬車では、ヴォルガードの峠は越えられん。車軸が折れるぞ」
彼は有無を言わせぬ様子で、自身の漆黒の馬車を指差した。
本来なら、初対面の、しかも恐ろしいと噂される男性の馬車に乗るなど警戒すべきだろう。
しかし、彼の指摘は正しかった。
ここから先の道は険しく、安物の辻馬車では物理的に限界がある。
「合理的ですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」
私が即答すると、アレクシス様は意外そうに眉を上げたが、すぐに大きな手を差し出してきた。
無骨で、剣ダコのある大きな手。
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