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第32話:更なるトラブル
「……おじさま、だと?」
「はい! 私、シルヴィアです。ヴィクトリア様の代わりに頑張ってます!」
「ふざけるなッ!!」
バーナードの怒声がホールを揺らした。
シルヴィアが「きゃっ」と悲鳴を上げてギルバートの後ろに隠れる。
「俺は茶を飲みに来たんじゃない! 商売の話をしているんだ! 借金も返さず、ヘラヘラと……。アッシュフォード家はいつからこんなに落ちぶれたんだ!」
「い、いや、これは誤解で……、シルヴィアは良かれと思って……」
「話にならん! ヴィクトリア様を出せ! あの聡明な奥様なら、こんなふざけた真似はさせんはずだ!」
「か、彼女は今、不在で……」
「ならん! 金を払うか、奥様を呼ぶか、どっちかにしろ! さもなくば契約は破棄だ!」
ギルバートは狼狽えた。
物流が止まれば、掘り出した鉱石を出荷できない。
現金が入ってこない。
どうすればいい?
ヴィクトリアならどうする?
彼女なら、涼しい顔で「手違いでした」と言って、その場で小切手を切って……。
「そ、そうだ! 金庫! 金庫に予備の金があるはずだ!」
ギルバートは執務室へ駆け戻り、壁に埋め込まれた金庫に飛びついた。
ダイヤルを回す。
番号は知っている。
自分の誕生日だ。
ヴィクトリアがそう設定してくれていた。
ガチャリ、と重い扉が開く。
ギルバートは中を覗き込み――そして、絶句した。
空っぽだった。
あるのは、一通の手紙と、少額の硬貨が入った袋だけ。
手紙には、ヴィクトリアの美しい文字でこう書かれていた。
『事業資金及び家計の現金は、全て銀行の当座預金に移しました。引き出しには、当主の実印と、正規の手続きが必要です。――無駄遣いを防ぐための、貴方のための措置ですわ』
「そ、そんな……」
ギルバートはその場に崩れ落ちた。
銀行の手続きなど分からない。
そもそも、実印がどこにあるのかも知らない。
ヴィクトリアは「全て任せる」と言った。
それは、「貴方が自分でやるなら、どうぞご自由に」という意味だったのだ。
「旦那様! 大変です!」
追い打ちをかけるように、今度は裏口から泥だらけの男が飛び込んできた。
現場監督のドノバンだ。
彼は先日の非礼を詫びるどころか、殺気立っていた。
「第三坑道が水没したぞ!」
「な、なんだって……?」
「だから言っただろう! ポンプを交換しねえとやべえって! あんたが『様子を見ろ』って言ったせいで、シャフトが焼き付いて爆発したんだよ!」
「ば、爆発……!?」
「怪我人は出なかったが、坑道は水浸しだ。復旧には一ヶ月はかかる。その間の採掘量はゼロだ! どうしてくれんだ!」
ギルバートの頭の中で、何かが音を立てて砕け散った。
物流停止、鉱山水没、資金枯渇。
これら全てが、わずか一時間足らずの間に起きたのだ。
「ど、どうすれば……」
ギルバートは震える手で、机の上のピンクのマニュアルを掴んだ。
ページをめくる。
『トラブルが起きたときは?』
あった。
この項目だ。
『深呼吸をして、明日は明日の風が吹くと思いましょう』
「ふざけるなッ!!」
ギルバートはマニュアルを床に叩きつけた。
シルヴィアが「ひぃっ」と悲鳴を上げる。
「なんだこれは! 何の役にも立たないじゃないか! ヴィクトリア……、君は僕を嵌めたのか!?」
違う。
彼女はただ、彼らが望んだ通りの優しい世界を与えただけだ。
そして、彼らが目を背けた現実を、黒い報告書に残していった。
ギルバートの視線が、黒い紐で綴じられた『最終事業報告書』に吸い寄せられる。
恐る恐る、その表紙を開いた。
そこには、冷酷な数字が並んでいた。
『第三坑道ポンプの耐久限界:残り24時間』
『運送ギルドへの支払い期限:本日正午』
『銀行融資の返済期限:三日後』
全て、予言されていた。
そして、最後のページには、赤字でこう記されていた。
『これらの対応を怠った場合、アッシュフォード家の破産確率は100%です』
「あ……、あ、あ……」
ギルバートの手から報告書が滑り落ちる。
彼は理解した。
これは砂上の楼閣ですらなかった。
ヴィクトリアという鋼鉄の支柱があったからこそ、この家は立っていられたのだ。
その支柱を自ら引き抜き、代わりにシルヴィアという紙細工を詰め込んだ結果が、これだ。
「ギルバート様ぁ……、どうしましょう……」
シルヴィアが泣きながらすがりついてくる。
だが、ギルバートにはもう、彼女を慰める余裕などなかった。
「……黙ってろ!」
ギルバートは叫んだ。
「君のせいだ! 君がポンプの交換を止めたから! 君が茶なんか出しているから!」
「ひどい! ギルバート様が決めたんじゃないですか!」
「僕は君の意見を聞いただけだ!」
醜い罵り合いが、静まり返った屋敷に木霊する。
玄関ではバーナードが「金を出せ!」と叫び続け、ドノバンは「現場を見に来い!」と怒鳴っている。
アッシュフォード家は、音を立てて崩れ始めていた。
そして、それを止める術を持つ鉄の女は、もうどこにもいない。
「はい! 私、シルヴィアです。ヴィクトリア様の代わりに頑張ってます!」
「ふざけるなッ!!」
バーナードの怒声がホールを揺らした。
シルヴィアが「きゃっ」と悲鳴を上げてギルバートの後ろに隠れる。
「俺は茶を飲みに来たんじゃない! 商売の話をしているんだ! 借金も返さず、ヘラヘラと……。アッシュフォード家はいつからこんなに落ちぶれたんだ!」
「い、いや、これは誤解で……、シルヴィアは良かれと思って……」
「話にならん! ヴィクトリア様を出せ! あの聡明な奥様なら、こんなふざけた真似はさせんはずだ!」
「か、彼女は今、不在で……」
「ならん! 金を払うか、奥様を呼ぶか、どっちかにしろ! さもなくば契約は破棄だ!」
ギルバートは狼狽えた。
物流が止まれば、掘り出した鉱石を出荷できない。
現金が入ってこない。
どうすればいい?
ヴィクトリアならどうする?
彼女なら、涼しい顔で「手違いでした」と言って、その場で小切手を切って……。
「そ、そうだ! 金庫! 金庫に予備の金があるはずだ!」
ギルバートは執務室へ駆け戻り、壁に埋め込まれた金庫に飛びついた。
ダイヤルを回す。
番号は知っている。
自分の誕生日だ。
ヴィクトリアがそう設定してくれていた。
ガチャリ、と重い扉が開く。
ギルバートは中を覗き込み――そして、絶句した。
空っぽだった。
あるのは、一通の手紙と、少額の硬貨が入った袋だけ。
手紙には、ヴィクトリアの美しい文字でこう書かれていた。
『事業資金及び家計の現金は、全て銀行の当座預金に移しました。引き出しには、当主の実印と、正規の手続きが必要です。――無駄遣いを防ぐための、貴方のための措置ですわ』
「そ、そんな……」
ギルバートはその場に崩れ落ちた。
銀行の手続きなど分からない。
そもそも、実印がどこにあるのかも知らない。
ヴィクトリアは「全て任せる」と言った。
それは、「貴方が自分でやるなら、どうぞご自由に」という意味だったのだ。
「旦那様! 大変です!」
追い打ちをかけるように、今度は裏口から泥だらけの男が飛び込んできた。
現場監督のドノバンだ。
彼は先日の非礼を詫びるどころか、殺気立っていた。
「第三坑道が水没したぞ!」
「な、なんだって……?」
「だから言っただろう! ポンプを交換しねえとやべえって! あんたが『様子を見ろ』って言ったせいで、シャフトが焼き付いて爆発したんだよ!」
「ば、爆発……!?」
「怪我人は出なかったが、坑道は水浸しだ。復旧には一ヶ月はかかる。その間の採掘量はゼロだ! どうしてくれんだ!」
ギルバートの頭の中で、何かが音を立てて砕け散った。
物流停止、鉱山水没、資金枯渇。
これら全てが、わずか一時間足らずの間に起きたのだ。
「ど、どうすれば……」
ギルバートは震える手で、机の上のピンクのマニュアルを掴んだ。
ページをめくる。
『トラブルが起きたときは?』
あった。
この項目だ。
『深呼吸をして、明日は明日の風が吹くと思いましょう』
「ふざけるなッ!!」
ギルバートはマニュアルを床に叩きつけた。
シルヴィアが「ひぃっ」と悲鳴を上げる。
「なんだこれは! 何の役にも立たないじゃないか! ヴィクトリア……、君は僕を嵌めたのか!?」
違う。
彼女はただ、彼らが望んだ通りの優しい世界を与えただけだ。
そして、彼らが目を背けた現実を、黒い報告書に残していった。
ギルバートの視線が、黒い紐で綴じられた『最終事業報告書』に吸い寄せられる。
恐る恐る、その表紙を開いた。
そこには、冷酷な数字が並んでいた。
『第三坑道ポンプの耐久限界:残り24時間』
『運送ギルドへの支払い期限:本日正午』
『銀行融資の返済期限:三日後』
全て、予言されていた。
そして、最後のページには、赤字でこう記されていた。
『これらの対応を怠った場合、アッシュフォード家の破産確率は100%です』
「あ……、あ、あ……」
ギルバートの手から報告書が滑り落ちる。
彼は理解した。
これは砂上の楼閣ですらなかった。
ヴィクトリアという鋼鉄の支柱があったからこそ、この家は立っていられたのだ。
その支柱を自ら引き抜き、代わりにシルヴィアという紙細工を詰め込んだ結果が、これだ。
「ギルバート様ぁ……、どうしましょう……」
シルヴィアが泣きながらすがりついてくる。
だが、ギルバートにはもう、彼女を慰める余裕などなかった。
「……黙ってろ!」
ギルバートは叫んだ。
「君のせいだ! 君がポンプの交換を止めたから! 君が茶なんか出しているから!」
「ひどい! ギルバート様が決めたんじゃないですか!」
「僕は君の意見を聞いただけだ!」
醜い罵り合いが、静まり返った屋敷に木霊する。
玄関ではバーナードが「金を出せ!」と叫び続け、ドノバンは「現場を見に来い!」と怒鳴っている。
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