「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~

水上

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第33話:再会

 スターリング領にある第二製鉄所は、大地から湧き上がるような熱気と、リズミカルな金属音に包まれていた。

 空には管理された白い蒸気が立ち昇り、活気のある職人たちの声が飛び交う。

 ヴィクトリアは、その中心にいた。
 彼女が身につけているのは、かつてアッシュフォード邸で着ていた窮屈なドレスではない。

 耐熱加工が施された厚手の作業着と、目を保護するゴーグル、そして腰には工具袋を提げている。
 プラチナブロンドの髪は高い位置でまとめられ、煤で少し汚れた頬は、汗で光っていた。

「所長! 冷却水の循環速度、設定通り安定しました!」 

「排気ダクトのフィルター交換、完了です!」

 次々と上がる報告に、ヴィクトリアは的確な指示を返す。

「よし。第三区画の温度をあと二度上げて。炭素の拡散を促進させるわ」

「了解!」

 彼女の声は、轟音の中でもよく通った。
 ここには、曖昧な感情や、誰かの機嫌を伺う空気はない。

 あるのは鉄を造るという明確な目的と、互いの技術への信頼だけだ。
 ヴィクトリアはこの一週間、かつてないほどの充実感の中にいた。

 彼女の知識は正しく機能し、成果を生み出し、そして尊敬を持って受け入れられている。

「……ヴィクトリア様」

 ふと、背後から声をかけられた。
 振り返ると、アッシュフォード邸から連れてきたマーサが立っていた。

 彼女は今、この研究所の事務を一手に引き受けている。
 その表情は硬く、少しだけ嫌悪の色を含んでいた。

「来客です。……門のところで、アッシュフォード伯爵が騒いでおります」

 ヴィクトリアの手が、図面の上でピタリと止まった。
 周囲の音が、一瞬だけ遠のいたように感じる。

「……ギルバート様が?」

「はい。『妻に会わせろ』『ここは僕の実家のようなものだ』と。……追い返しますか?」

 マーサの問いに、ヴィクトリアは数秒考えた後、ゴーグルを首元に下ろした。
 その瞳は、溶鉱炉の火よりも冷たく静まり返っていた。

「いいえ、通して。……ちょうど、炉の不純物除去について考えていたところだったの」

 ギルバート・アッシュフォードは、製鉄所の正門前で苛立ちを隠せずにいた。

 彼の上質なコートは皺だらけで、泥跳ねの跡がある。
 かつて陽の光を浴びたようと称された栗色の髪は脂っぽく乱れ、目の下には濃い隈が刻まれていた。

 あの日、ヴィクトリアが去ってからの数日間は、彼にとって悪夢そのものだった。

 運送ギルドとの交渉決裂、銀行からの融資凍結、そして坑道の水没事故。
 矢継ぎ早に襲いかかるトラブルに対し、彼は無力だった。

 シルヴィアに泣きつかれても、マニュアルを投げつけても、事態は悪化する一方だ。
 食事は喉を通らず、眠ることもできない。

(ヴィクトリア……。ヴィクトリアがいれば、こんなことには……!)

 彼は確信していた。
 彼女が戻れば全て解決する。

 彼女は少し拗ねているだけだ。
 自分が迎えに行けば、きっと涙を流して喜ぶはずだ。

(だって僕たちは愛し合っていたのだから……)

「……どうぞ、こちらへ」

 不愛想な守衛に案内され、ギルバートは研究所の敷地内へと足を踏み入れた。

 鼻をつく鉄錆の匂い。
 暑苦しい空気。

 彼は顔をしかめた。
 こんな野蛮な場所に、美しい妻がいるなんて信じられない。

 案内されたのは、応接室ではなく、巨大な溶鉱炉が見下ろせる管理デッキだった。

 そこには、一人の女性が立っていた。

「……ヴィクトリア?」

 ギルバートは目を疑った。
 彼女は作業着姿で、腕組みをして彼を見下ろしている。

 ドレスを着ていない彼女を見るのは初めてだったが、その姿は奇妙なほど堂々としていて、そして神々しいほど美しかった。

 アッシュフォード邸で見ていた姿とは、まるで別人のようだ。

「……ごきげんよう、アッシュフォード様。随分とお早いご到着ですね」

 ヴィクトリアの声は、冷涼な風のように彼の熱った頭を冷やした。
 ギルバートは我に返り、駆け寄ろうとした。

「ヴィクトリア! やっと会えた! 心配したんだぞ!」

 彼は手を伸ばし、彼女を抱きしめようとする。
 だが、ヴィクトリアは半歩下がり、その手を避けた。

 ギルバートの手が空を切る。

「……え?」

「汚れますわ。ここは鉄粉が舞っておりますので」

 ヴィクトリアは淡々と言った。

 拒絶されたという事実が飲み込めず、ギルバートは呆然と立ち尽くしていた。

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