「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~

水上

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第35話:切り裂かれる欺瞞

 製鉄所の正門前には、まだ騒然とした空気が漂っていた。
 屈強な警備員たちに両腕を掴まれながらも、ギルバートは必死に抵抗していた。

 その姿は、かつての麗しの貴公子とは程遠い。
 髪は乱れ、瞳は充血し、脂汗が頬を伝っている。

「放せ! 僕はアッシュフォード伯爵だぞ! 妻と話をしているんだ!」

「往生際が悪いですよ、元旦那様」

 マーサが冷ややかに告げるが、ギルバートは聞く耳を持たない。
 彼はデッキの上に立つヴィクトリアに向かって、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

「ヴィクトリア! 待ってくれ! 君は勘違いしている! あれは……、そう、あれは一時の迷いだったんだ! 僕が本当に愛しているのは君だけだ! 君の淹れた紅茶が恋しいんだ!」

 その声は、製鉄所の轟音に負けじと響いたが、あまりにも空虚だった。
 ヴィクトリアは、背を向けて立ち去ろうとしていた足を止めた。

 彼女はゆっくりと振り返り、警備員たちに片手を挙げて制止の合図を送った。

「……待って」

 警備員たちが動きを止める。
 ギルバートは希望を見出したように顔を輝かせた。

「ヴィクトリア! 分かってくれたんだね! やっぱり君は僕の妻だ!」

 ヴィクトリアは、デッキの階段をゆっくりと降りてきた。
 その一歩一歩が、処刑台へと続く階段のように重く、そして静かだった。

 彼女はギルバートの目の前、鉄格子越しに立ち止まった。
 その距離はわずか数メートルだが、そこには深淵のような断絶があった。

「……ギルバート様。最後に、貴方のその愛とやらの成分分析をして差し上げましょう」

「え? 分析……?」

 ヴィクトリアの声は、研究発表を行う学者のように淡々としていた。

「貴方はおっしゃいましたね。『愛している』と。ですが、貴方の行動には、矛盾が生じています」

 ヴィクトリアは真っ直ぐにギルバートを見据えた。

「貴方は、私が徹夜で仕上げた書類よりも、シルヴィア様の淹れた甘いコーヒーを優先しました。私が熱を出して倒れた日、貴方は『うつるといけないから』とシルヴィア様と観劇に行きました。……そして、私が必死に守ろうとしたデータを、『たかが紙切れ』と呼びました」

「そ、それは……、あの時は状況が……!」

「状況など関係ありません。金属の性質は、極限状態でこそ露わになるものです」

 ヴィクトリアは冷ややかに言い放った。

「貴方が愛していたのは、ヴィクトリア・アッシュフォードという人間ではありません。貴方が愛していたのは、『自分の面倒な仕事を肩代わりし、文句も言わずに稼ぎ、心地よい生活を提供してくれる便利な妻です」

「ち、違う! 僕は君の知性を尊敬していた! 君の強さを!」

「いいえ。貴方は私の強さにしていただけです」

 ヴィクトリアの言葉が、鋭利なメスのようにギルバートの欺瞞を切り裂く。
 ギルバートは口をパクパクとさせたが、反論の言葉が出てこない。

 それは彼にとって、完全に図星だったからだ。

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