「君は地味な裏方だ」と愛人を優遇するサイコパス気質の夫。〜私が去った後、商会の技術が全て私の手によるものだと気づいても、もう手遅れです〜

水上

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第25話:謎の刻印

 深夜の地下工房は、墓場のように静まり返っていた。
 外部の職人たちが逃げ出してから数時間が経過していたが、マティアスはその場を動くことができなかった。

 彼の周りには、沈黙した研磨機たちが、巨大な鉄の屍のように横たわっている。

 納期まで、あと数日。
 王立研究所への納品が遅れれば、違約金だけでなく、商会の信用そのものが消滅する。

 それは、マティアス・ゲイルという男の社会的死を意味していた。

「……何か、手はあるはずだ。論理的に考えろ」

 マティアスは乾いた唇を舐め、眼鏡の位置を直した。
 焦燥感で胃が焼け付くようだ。

 彼は縋るような思いで、壁際の保管庫へと足を向けた。
 そこには、過去にクララが製作した試作品や、予備のレンズが保管されているはずだ。

 もし、仕様に合う在庫があれば、それを今回の納品に回せるかもしれない。

 震える手で鍵を開け、保管庫の重い扉を引く。
 棚には、大小様々なガラス製品が整然と並んでいた。

 埃ひとつないそれらは、薄暗い照明の中でも、自ら発光しているかのように静謐な輝きを放っていた。

 マティアスは、その中の一つ、星屑のレンズの初期モデルを手に取った。

 ひやりとした感触。
 完璧な曲線。

 光にかざすと、イザベラや雇われ職人が作ったものとは比較にならない、圧倒的な透明度がそこにあった。

「……美しい」

 思わず漏れた言葉は、経営者としての評価ではなく、一人の人間としての素直な感嘆だった。

 なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
 彼はこの製品を売上を生む商材としてしか見ていなかった。

 数字の羅列として処理し、その向こう側にある美を直視したことがなかった。

 マティアスは作業机に戻り、高倍率のルーペを覗き込んだ。
 このレンズの仕様を確認し、代替品として使えるか判断するためだ。

 拡大されたガラスの世界は、まるで宇宙のように広がっていた。

 微細な傷ひとつない表面。
 分子レベルで整列された結晶構造。

 そして、レンズの側面に視線を移した時、彼は息を呑んだ。

「……なんだ、これは」

 肉眼では決して見えない、髪の毛の太さほどの極小の刻印が、縁に沿って刻まれていたのだ。

 『No.0925 - M.G.』

 製造番号だろうか?

 マティアスは眉をひそめた。
 だが、商会の正規のロット番号体系とは異なる。

 彼は他のレンズも次々とルーペで検分した。

 『No.1224 - M.G.』

 『No.0214 - M.G.』

 すべてのレンズに、異なる数字と、共通する『M.G.』というイニシャルが刻まれている。

 M.G.。

(マティアス・ゲイル。私の名前だ)

 では、数字は?

 0925。

 マティアスは記憶の糸を手繰り寄せた。

 商売上の数字には強い彼だ。
 日付であればすぐに思い当たる。

 そして、彼はその答えに辿り着いた。

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