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第25話:連鎖する崩壊
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「失礼いたします。先日納品いただいた夜明けの青の追加発注についてですが……」
「あ、ああ! もちろん、すぐに用意させる」
伯爵は揉み手をして出迎えたが、商人の目は笑っていなかった。
「いえ、実は先日納品された分に、色ムラがあるとクレームが入っておりまして。アデライド様が検品されたものでしょうか?」
「そ、それは……」
「それに、アデライド様が工房を離れたという噂を耳にしました。このまま品質が維持できないようであれば、契約を見直させていただきます」
商人は冷ややかに告げ、返事も待たずに去っていった。
契約打ち切り。
それはクライスト家の破産を意味する。
「お父様、どうするのよ!」
ソフィアが金切り声を上げた。
「お姉様がいないと何もできないじゃない! あの人、無責任よ! 家族を見捨てるなんて信じられない!」
「お前が! お前が『感性だけで作れる』などと言うからだ!」
父が初めてソフィアを怒鳴りつけた。
ソフィアは目を見開き、ショックで過呼吸の発作を起こしそうになる。
だが、誰も背中をさすってはくれなかった。
母はおろおろするばかりで、使用人たちは冷ややかな目でこの崩壊劇を眺めている。
「……エリアスお義兄様。お義兄様なら何とかしてくれるはずよ」
ソフィアは震える手で、唯一の命綱であるエリアスへの手紙を書き始めた。
涙でインクを滲ませながら。
夕刻。
エリアスが帰宅すると、玄関にはソフィアからの至急の使いが待っていた。
彼は着替える間もなく、クライスト伯爵邸へと馬車を走らせた。
サロンに入ると、そこは地獄絵図だった。
ソフィアはソファで泣き崩れ、義父は酒を煽りながらブツブツと呪詛を吐いている。
「エリアスお義兄様ぁ!」
ソフィアが駆け寄り、エリアスの胸に縋り付いた。
いつもなら愛おしく感じるその重みが、今日はずっしりと重い。
まるで鉛のように。
「聞いてください、お姉様が酷いの! 私たちのこと、何もかも放り出して逃げたのよ!」
「……逃げた、というのは?」
「工房の職人を引き抜いて、大事なレシピも全部持って行ったの! おかげで注文はキャンセル続き、違約金まで請求されそうなのよ!」
ソフィアは涙に濡れた顔を上げ、訴えた。
「お義兄様、お姉様を連れ戻して! 謝らせて、元通り働かせてよ! そうじゃないと私、新しいドレスも買えないし、夜会にも行けない!」
エリアスは立ち尽くした。
ソフィアの口から出るのは、心配や愛情ではなく、自分の保身と欲望の言葉ばかり。
可哀想な妹の皮が剥がれ落ち、その下にある浅ましい自己愛が露呈していた。
ふと、エリアスの脳裏に、アデライドの静かな声が蘇った。
『ソフィアの感性がなければ、この色は生まれなかったでしょう』
あの時、彼女は微笑んでいた。
あれは、嘘だったのか。
いや、嘘をつかせていたのは、自分たちだ。
「……お義父様。アデライドの行き先に心当たりは?」
「知らん! だが、見つけ次第、タダではおかんぞ。親不孝者めが!」
義父がグラスを床に叩きつけた。
その破片が飛び散る様を見て、エリアスは数日前の記憶――アデライドが大切にしていたマグカップが割れた瞬間を思い出した。
あの時、自分は彼女に何と言った?
『また作ればいい』と言ったか。
今、目の前でまた作ることが誰にもできず、全員が狼狽している。
作れるのは、アデライドだけだったのだ。
代わりの利かない唯一無二の存在を、「誰でもいい」「強いから大丈夫」と軽んじて、追い出してしまった。
「……お義兄様? 何とか言ってよ」
ソフィアが服を引っ張る。
エリアスは、彼女の手をそっと、しかし拒絶の意志を込めて外した。
「……僕にも、分からないんだ」
「え?」
「彼女がどこに行ったのか、僕も探しているんだ。家にも、彼女の荷物は何もなかった」
エリアスの声は乾いていた。
「僕たちは、彼女がいなければ何もできない子供だったんだな。……ソフィア、君も、僕も」
その言葉に、ソフィアは凍りついたように口を開けた。
エリアスの顔には、もはや頼れる義兄の覇気はなかった。
あるのは、自分の生活基盤を失い、途方に暮れる男の情けない顔だけ。
屋敷の外では、風が強まり始めていた。
アデライドという要石を失った二つの家は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
そして、まだ誰も、その崩壊を止める術を持っていなかった。
「あ、ああ! もちろん、すぐに用意させる」
伯爵は揉み手をして出迎えたが、商人の目は笑っていなかった。
「いえ、実は先日納品された分に、色ムラがあるとクレームが入っておりまして。アデライド様が検品されたものでしょうか?」
「そ、それは……」
「それに、アデライド様が工房を離れたという噂を耳にしました。このまま品質が維持できないようであれば、契約を見直させていただきます」
商人は冷ややかに告げ、返事も待たずに去っていった。
契約打ち切り。
それはクライスト家の破産を意味する。
「お父様、どうするのよ!」
ソフィアが金切り声を上げた。
「お姉様がいないと何もできないじゃない! あの人、無責任よ! 家族を見捨てるなんて信じられない!」
「お前が! お前が『感性だけで作れる』などと言うからだ!」
父が初めてソフィアを怒鳴りつけた。
ソフィアは目を見開き、ショックで過呼吸の発作を起こしそうになる。
だが、誰も背中をさすってはくれなかった。
母はおろおろするばかりで、使用人たちは冷ややかな目でこの崩壊劇を眺めている。
「……エリアスお義兄様。お義兄様なら何とかしてくれるはずよ」
ソフィアは震える手で、唯一の命綱であるエリアスへの手紙を書き始めた。
涙でインクを滲ませながら。
夕刻。
エリアスが帰宅すると、玄関にはソフィアからの至急の使いが待っていた。
彼は着替える間もなく、クライスト伯爵邸へと馬車を走らせた。
サロンに入ると、そこは地獄絵図だった。
ソフィアはソファで泣き崩れ、義父は酒を煽りながらブツブツと呪詛を吐いている。
「エリアスお義兄様ぁ!」
ソフィアが駆け寄り、エリアスの胸に縋り付いた。
いつもなら愛おしく感じるその重みが、今日はずっしりと重い。
まるで鉛のように。
「聞いてください、お姉様が酷いの! 私たちのこと、何もかも放り出して逃げたのよ!」
「……逃げた、というのは?」
「工房の職人を引き抜いて、大事なレシピも全部持って行ったの! おかげで注文はキャンセル続き、違約金まで請求されそうなのよ!」
ソフィアは涙に濡れた顔を上げ、訴えた。
「お義兄様、お姉様を連れ戻して! 謝らせて、元通り働かせてよ! そうじゃないと私、新しいドレスも買えないし、夜会にも行けない!」
エリアスは立ち尽くした。
ソフィアの口から出るのは、心配や愛情ではなく、自分の保身と欲望の言葉ばかり。
可哀想な妹の皮が剥がれ落ち、その下にある浅ましい自己愛が露呈していた。
ふと、エリアスの脳裏に、アデライドの静かな声が蘇った。
『ソフィアの感性がなければ、この色は生まれなかったでしょう』
あの時、彼女は微笑んでいた。
あれは、嘘だったのか。
いや、嘘をつかせていたのは、自分たちだ。
「……お義父様。アデライドの行き先に心当たりは?」
「知らん! だが、見つけ次第、タダではおかんぞ。親不孝者めが!」
義父がグラスを床に叩きつけた。
その破片が飛び散る様を見て、エリアスは数日前の記憶――アデライドが大切にしていたマグカップが割れた瞬間を思い出した。
あの時、自分は彼女に何と言った?
『また作ればいい』と言ったか。
今、目の前でまた作ることが誰にもできず、全員が狼狽している。
作れるのは、アデライドだけだったのだ。
代わりの利かない唯一無二の存在を、「誰でもいい」「強いから大丈夫」と軽んじて、追い出してしまった。
「……お義兄様? 何とか言ってよ」
ソフィアが服を引っ張る。
エリアスは、彼女の手をそっと、しかし拒絶の意志を込めて外した。
「……僕にも、分からないんだ」
「え?」
「彼女がどこに行ったのか、僕も探しているんだ。家にも、彼女の荷物は何もなかった」
エリアスの声は乾いていた。
「僕たちは、彼女がいなければ何もできない子供だったんだな。……ソフィア、君も、僕も」
その言葉に、ソフィアは凍りついたように口を開けた。
エリアスの顔には、もはや頼れる義兄の覇気はなかった。
あるのは、自分の生活基盤を失い、途方に暮れる男の情けない顔だけ。
屋敷の外では、風が強まり始めていた。
アデライドという要石を失った二つの家は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
そして、まだ誰も、その崩壊を止める術を持っていなかった。
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