「君は強いから一人でも平気だろう?」と妹を優先する夫。~陶器の心を持つ私の完璧な微笑みに、夫が凍りつくまで~

水上

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第33話:執事の静かな怒り

 森の工房に、連日の雨が降り注いでいた。
 アデライドは窓際のろくろに向かい、静かに土を挽いていた。

 雨音は天然の遮音壁となり、集中力を高めてくれる。
 しかし、その静寂を破るように、窓の外には一つの影が佇んでいた。

 エリアス・ベルンハルトだった。
 かつて社交界で麗しの貴公子と呼ばれた男の面影は、今の彼にはない。

 頬はこけ、無精髭が伸び、上等だったコートは泥と雨で濡れそぼっている。
 彼は傘もささずに、ただじっと工房の入り口を見つめていた。

 まるで、捨てられた犬が飼い主の帰りを待つように。

(……また、来ているのね)

 アデライドは一瞥だけくれ、すぐに視線を手元の土に戻した。
 ここ数日、彼は毎日こうしてやってくる。

 最初は花束を持って。
 次は手紙を持って。

 そして今は、ただ自身の哀れな姿を晒しに来ている。
 「ここまで落ちぶれて反省している僕を見て、どうか慈悲を」という無言の訴えだ。

 だが、アデライドの心は揺れなかった。
 可哀想だとも思わない。

 ただ、作業の邪魔だなという事務的な感想しか抱かなかった。
 彼女はサイラスに目配せをした。

「……行ってまいります」

 サイラスは心得たように頷き、傘を手に取って外へ出た。

 雨の中、エリアスは震えていた。
 寒さのせいだけではない。

 孤独と、焦燥と、自己嫌悪が体を芯から冷やしていた。

 ガチャリ、と扉が開く音がした。
 エリアスは弾かれたように顔を上げた。

「アデライド……!?」

 しかし、現れたのは彼女ではなく、黒い傘をさした執事のサイラスだった。
 エリアスの顔に失望の色が浮かぶ。

「……なんだ、お前か。アデライドはどうした? 風邪を引いてしまうよ、僕がここで待っていると伝えてくれ」

「お断りします」

 サイラスは冷徹に言い放った。
 傘を差し出すこともしない。

「奥様は作業に集中しておられます。貴方様の姿が視界に入るだけで、筆が止まるとのことです。どうぞお引き取りを」

「筆が止まる……? 僕が邪魔だと言うのか?」

「はい。邪魔でございます」

 サイラスの言葉は鋭利な刃物のようにエリアスを切りつけた。
 エリアスはよろめき、泥水の中に膝をついた。

「そんな……、僕はただ、謝りたいだけなんだ。彼女を愛しているんだ! 彼女がいないと駄目なんだ!」

 エリアスは叫んだ。
 雨音にかき消されそうな、悲痛な叫びだった。

 実家は崩壊し、ソフィアは借金の形に売られたと聞いた。

 自分の屋敷も、アデライドの管理がなくなってからというもの、使用人たちが次々と辞めていき、ゴミ溜めのように荒れ果てている。

 誰も彼を敬わない。
 誰も彼を愛さない。
 アデライドだけが、彼を立派な当主として扱ってくれていた唯一の存在だったのだ。

「サイラス、お前なら分かるだろう!? 夫婦喧嘩が、少し長引いているだけだ! 彼女だって、まだ僕に未練があるはずだ。あんなに尽くしてくれたんだから!」

 エリアスはサイラスのズボンの裾に縋り付いた。
 サイラスは、汚いものを見るような目でそれを見下ろし、深く溜息をついた。

「旦那様。……いいえ、エリアス様」

 サイラスは初めて、主人に対する敬称を捨てた。

「貴方様がおっしゃる愛とは、一体何ですか?」

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