「君は強いから一人でも平気だろう?」と妹を優先する夫。~陶器の心を持つ私の完璧な微笑みに、夫が凍りつくまで~

水上

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第36話:新しい光

 老紳士は満足げに頷いた。

「実は、陛下も大変お気に召しておられます。王室御用達として、正式に契約を結びたいとの仰せです」

「光栄です。ですが、条件がございます」

 アデライドは、まっすぐに相手の目を見て言った。

「契約の相手は、クライスト家でも、ベルンハルト家でもありません。私個人、アデライド・クライスト個人として契約させていただきます。そして、制作の全権限は私が持ちます。……誰かの感性という名の横槍は、二度と受け入れませんので」

 老紳士は目を丸くし、それから愉快そうに笑った。

「ははは! いいでしょう、その気概こそが一流の証。喜んで条件を飲みましょう」

 周囲から拍手が起こった。

 それは、アデライドという一人の女性が、家柄や夫の庇護ではなく、己の実力のみで勝ち取った喝采だった。

 その拍手の輪の外れに、見知った顔があることにアデライドは気づいた。
 ポメロイ男爵夫人だ。

 夫人はウィンクを一つ送ってきた。
 『よくやったわね』という無言のエール。

 アデライドもまた、小さく頷いて返した。

(……ああ、そうか)

 アデライドは会場を見渡しながら、ふと気づいた。

 ここには、アデライドを便利な道具として見る人はいない。
 彼女を「強いから大丈夫」と放置する人もいない。

 みんな、彼女の作品を見て、彼女という人間を見て、対等に評価してくれている。

 かつて、エリアスに認められたくて必死だった自分が、遠い過去のように感じられた。
 なぜあんなに、彼のご機嫌取りに執着していたのだろう。

 彼がいなくても、自分はこんなに息ができるのに。
 こんなに、世界は鮮やかなのに。

「アデライドさん」

 不意に、背後から落ち着いたバリトンの声が掛かった。
 振り返ると、そこには知的な風貌の青年が立っている。

 隣国の貿易商であり、今回の展示会のスポンサーの一人でもある。

「素晴らしい作品でした。貴女の青には、悲しみを知る者だけが出せる優しさがありますね」 

「……恐れ入ります」

「実は、我が国でも貴女の作品を紹介したいと考えていまして。もしよろしければ、少しお時間をいただけますか? もちろん、ビジネスパートナーとして」

 彼は右手を差し出した。
 その手は、エリアスのように甘えるための手でも、父のように搾取するための手でもない。

 未来を共に築こうとする、対等な握手を求める手だった。

 アデライドは一瞬だけ躊躇した。
 まだ、人と深く関わることへの恐れが残っているのかもしれない。

 しかし、彼女の心の中の青が、背中を押した。

 大丈夫。
 今の自分は、誰かに依存しなくても立っていられる。

 だからこそ、誰かと手を繋ぐこともできるはずだ。

 アデライドは微笑んだ。
 それは、凍りついた仮面が溶け落ちた後の、春の陽射しのような本物の笑顔だった。

「ええ、喜んで。ぜひお話を聞かせてください」

 彼女は差し出された手を、しっかりと握り返した。
 その掌の温かさは、彼女に新しい予感を運んできた。

 それは恋愛かもしれないし、信頼できる友情かもしれない。
 どちらにせよ、それは彼女が自分の意志で選び取った新しい光だった。

 アデライドはもう、過去を振り返らない。
 彼女の視線の先には、無限に広がる可能性という大海原が待っていた。

 彼女の人生の第ニ章は、今、鮮やかに幕を開けたのだった。

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