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第8話:歓喜の追放刑
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論理で殴られ、物理(音響)で羞恥を晒され、心理(投影)で心を抉られたレイモンド殿下は、もはや青ざめるのを通り越して、顔を真っ赤にして震えていました。
人は、議論で勝てなくなった時、最後に何を持ち出すか。
それは暴力か、あるいは権威です。
「だ……、黙れ、黙れ黙れ!」
殿下は床を蹴って立ち上がりました。
その目は血走り、もはや理性の光は失われています。
「私は王太子だ! この国の次期国王だぞ! 物理だの心理だの、小賢しい理屈などどうでもいい! 私が黒と言えば白い壁も黒になる、それが権力というものだ!」
会場の貴族たちが息を飲みます。
それは為政者として言ってはいけない、暴君の台詞でした。
しかし、追い詰められた殿下には、もうそのカードしか残されていなかったのです。
「ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル! 貴様のその、人を小馬鹿にしたような態度……、そして、私の愛するシルヴィアをあのような形で辱めた罪は万死に値する!」
殿下は震える指で、ホールの出口――北の方角を指差しました。
「婚約は破棄する! そして貴様は、国外追放……、いや、北部の辺境伯領へ追放だ! あの何もない、泥と岩だけの不毛の地で、一生石ころでも磨いているがいい!」
会場がどよめきました。
北部の辺境伯領。
そこは過酷な気候と未開拓の荒野が広がる、貴族令嬢にとっては監獄にも等しい場所です。
通常であれば、泣き崩れて慈悲を乞う場面でしょう。
しかし。
「――本当、でございますか?」
私の声は、弾んでいました。
眼鏡の奥の瞳が、歓喜で輝くのを抑えきれませんでした。
「へ……?」
予想外の反応に、殿下が間の抜けた声を上げます。
私は手帳を取り出し、急いでメモを取りました。
『婚約破棄、成立。辺境への移動命令、受諾』
羽根ペンが紙の上を踊ります。
「ありがとうございます、殿下! 心より、心より感謝申し上げます!」
「な、なに……?」
「辺境伯領といえば、古代の地層が露出する地質学的パラダイス! しかも王都の喧騒を離れ、しがらみのない土地で、一から都市計画を引けるのですか? そんな夢のような環境を、罰として与えてくださるなんて!」
私はパタンと手帳を閉じ、満面の笑みで殿下を見つめました。
「それに、何より嬉しいのは……これで、あなたという欠陥住宅に住まなくて済むということです」
「け、欠陥住宅だと……!?」
「ええ。基礎(人格)が腐り、柱(倫理観)が傾き、屋根(権威)だけで辛うじて建っている。そのような物件に人生という家具を運び込むのは、リスクマネジメントの観点から見て自殺行為でした」
私はスカートの裾を摘まみ、今宵一番の優雅さでカーテシーを行いました。
それは王太子への敬意ではなく、契約解除への感謝の礼です。
「避難勧告を受理いたします。倒壊する前に逃げ出せるなんて、私はなんと幸運なのでしょう」
その時、天井から間の抜けた声が降ってきました。
『えっ? なに? ジュリアンナ、追放されたの? やったー! ざまぁみろ~! これで王太子妃の座は私のものね! ……あ、ねえ、早くここから出してよ。なんか下の方、空気が変なんだけど』
シルヴィア様は、まだ状況を理解していませんでした。
自分が勝ち取ったものが倒壊寸前の事故物件であり、自分がこれから降り立つ場所が針の筵であるとも知らずに……。
会場の貴族たちは、もはや殿下とシルヴィア様を見る目から敬意を完全に消し去っていました。
あるのは憐れみと、関わり合いになりたくないという拒絶だけです。
「さようなら、殿下。そしてシルヴィア様。……どうぞ、崩れゆく愛の巣で、お二人仲良く瓦礫に埋もれてくださいませ」
私は踵を返しました。
背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく歩き出します。
「行きましょう、ロッテ。荷造りですわ。私の設計図、測量器具、それから実験機材……全て持ち出しますよ」
「はい! お嬢様! ……あの、おやつも持って行っていいですか?」
「もちろん。北への旅は長いですからね。栄養計算も必要です」
私たちが扉を開けて出て行こうとすると、背後でレイモンド殿下が何かを喚いていました。
「ま、待て! 悔しくないのか! 泣いて詫びれば許してやらなくも……!」
その声は、虚しくドーム天井に反響し、誰の心にも届くことなく消えていきました。
私の計算式において、彼はもう誤差(エラー)ですらない。
計算から除外すべきノイズになったのです。
重厚な扉が閉まる瞬間、私は冷たい夜風を肌に感じました。
それは絶望の風ではありません。
新しい土地、新しい素材、そして新しい建築(じんせい)の始まりを告げる、希望の風でした。
*
(※ロッテ視点)
お嬢様は、廊下に出た途端、スキップをしそうな勢いで歩き始めました。
本当に、本当に嬉しそうです。
「ロッテ、聞きましたか? 辺境ですって! あそこには良質な石灰岩があるという論文を読んだことがあります。セメントが作り放題ですわ!」
「セメントですか……。食べられませんよね?」
「食べられませんが、道が作れます。橋が架けられます。国が作れます!」
お嬢様の眼鏡がキラリと光りました。
あーあ。
レイモンド殿下は逃がした魚の大きさに気づいていないみたいです。
お嬢様はただの公爵令嬢じゃありません。
お嬢様は、一度更地になった場所ほど、とんでもないお城を建ててしまう建築オタクなんですから……。
「泥と岩だけの不毛の地? ふふっ、最高の基礎じゃありませんか!」
お嬢様の楽しそうな声が、王宮の廊下に響きます。
こうして、私たちの国作りの旅が始まりました。
人は、議論で勝てなくなった時、最後に何を持ち出すか。
それは暴力か、あるいは権威です。
「だ……、黙れ、黙れ黙れ!」
殿下は床を蹴って立ち上がりました。
その目は血走り、もはや理性の光は失われています。
「私は王太子だ! この国の次期国王だぞ! 物理だの心理だの、小賢しい理屈などどうでもいい! 私が黒と言えば白い壁も黒になる、それが権力というものだ!」
会場の貴族たちが息を飲みます。
それは為政者として言ってはいけない、暴君の台詞でした。
しかし、追い詰められた殿下には、もうそのカードしか残されていなかったのです。
「ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル! 貴様のその、人を小馬鹿にしたような態度……、そして、私の愛するシルヴィアをあのような形で辱めた罪は万死に値する!」
殿下は震える指で、ホールの出口――北の方角を指差しました。
「婚約は破棄する! そして貴様は、国外追放……、いや、北部の辺境伯領へ追放だ! あの何もない、泥と岩だけの不毛の地で、一生石ころでも磨いているがいい!」
会場がどよめきました。
北部の辺境伯領。
そこは過酷な気候と未開拓の荒野が広がる、貴族令嬢にとっては監獄にも等しい場所です。
通常であれば、泣き崩れて慈悲を乞う場面でしょう。
しかし。
「――本当、でございますか?」
私の声は、弾んでいました。
眼鏡の奥の瞳が、歓喜で輝くのを抑えきれませんでした。
「へ……?」
予想外の反応に、殿下が間の抜けた声を上げます。
私は手帳を取り出し、急いでメモを取りました。
『婚約破棄、成立。辺境への移動命令、受諾』
羽根ペンが紙の上を踊ります。
「ありがとうございます、殿下! 心より、心より感謝申し上げます!」
「な、なに……?」
「辺境伯領といえば、古代の地層が露出する地質学的パラダイス! しかも王都の喧騒を離れ、しがらみのない土地で、一から都市計画を引けるのですか? そんな夢のような環境を、罰として与えてくださるなんて!」
私はパタンと手帳を閉じ、満面の笑みで殿下を見つめました。
「それに、何より嬉しいのは……これで、あなたという欠陥住宅に住まなくて済むということです」
「け、欠陥住宅だと……!?」
「ええ。基礎(人格)が腐り、柱(倫理観)が傾き、屋根(権威)だけで辛うじて建っている。そのような物件に人生という家具を運び込むのは、リスクマネジメントの観点から見て自殺行為でした」
私はスカートの裾を摘まみ、今宵一番の優雅さでカーテシーを行いました。
それは王太子への敬意ではなく、契約解除への感謝の礼です。
「避難勧告を受理いたします。倒壊する前に逃げ出せるなんて、私はなんと幸運なのでしょう」
その時、天井から間の抜けた声が降ってきました。
『えっ? なに? ジュリアンナ、追放されたの? やったー! ざまぁみろ~! これで王太子妃の座は私のものね! ……あ、ねえ、早くここから出してよ。なんか下の方、空気が変なんだけど』
シルヴィア様は、まだ状況を理解していませんでした。
自分が勝ち取ったものが倒壊寸前の事故物件であり、自分がこれから降り立つ場所が針の筵であるとも知らずに……。
会場の貴族たちは、もはや殿下とシルヴィア様を見る目から敬意を完全に消し去っていました。
あるのは憐れみと、関わり合いになりたくないという拒絶だけです。
「さようなら、殿下。そしてシルヴィア様。……どうぞ、崩れゆく愛の巣で、お二人仲良く瓦礫に埋もれてくださいませ」
私は踵を返しました。
背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく歩き出します。
「行きましょう、ロッテ。荷造りですわ。私の設計図、測量器具、それから実験機材……全て持ち出しますよ」
「はい! お嬢様! ……あの、おやつも持って行っていいですか?」
「もちろん。北への旅は長いですからね。栄養計算も必要です」
私たちが扉を開けて出て行こうとすると、背後でレイモンド殿下が何かを喚いていました。
「ま、待て! 悔しくないのか! 泣いて詫びれば許してやらなくも……!」
その声は、虚しくドーム天井に反響し、誰の心にも届くことなく消えていきました。
私の計算式において、彼はもう誤差(エラー)ですらない。
計算から除外すべきノイズになったのです。
重厚な扉が閉まる瞬間、私は冷たい夜風を肌に感じました。
それは絶望の風ではありません。
新しい土地、新しい素材、そして新しい建築(じんせい)の始まりを告げる、希望の風でした。
*
(※ロッテ視点)
お嬢様は、廊下に出た途端、スキップをしそうな勢いで歩き始めました。
本当に、本当に嬉しそうです。
「ロッテ、聞きましたか? 辺境ですって! あそこには良質な石灰岩があるという論文を読んだことがあります。セメントが作り放題ですわ!」
「セメントですか……。食べられませんよね?」
「食べられませんが、道が作れます。橋が架けられます。国が作れます!」
お嬢様の眼鏡がキラリと光りました。
あーあ。
レイモンド殿下は逃がした魚の大きさに気づいていないみたいです。
お嬢様はただの公爵令嬢じゃありません。
お嬢様は、一度更地になった場所ほど、とんでもないお城を建ててしまう建築オタクなんですから……。
「泥と岩だけの不毛の地? ふふっ、最高の基礎じゃありませんか!」
お嬢様の楽しそうな声が、王宮の廊下に響きます。
こうして、私たちの国作りの旅が始まりました。
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