12 / 69
第12話:辺境への道中
しおりを挟む
王都を出てから三日。
私たちの乗る馬車は、舗装された石畳の街道を抜け、次第に土埃の舞う未舗装路へと入っていきました。
「あだっ! ……ううぅ、お嬢様ぁ。お尻が、私のお尻が四つに割れそうですぅ」
大きく馬車が跳ねるたびに、向かいの席でロッテが悲鳴を上げています。
私は揺れに合わせて重心を移動させながら(構造力学を応用した姿勢制御です)、優雅に紅茶を啜りました。
もちろん、カップの中身は波ひとつ立っていません。
「我慢なさい、ロッテ。この振動は、私たちが文明圏を離れ、自然の驚異(未開発地帯)へと足を踏み入れた証拠です」
「自然の驚異っていうか、ただの悪路じゃないですかぁ。こんな道、馬車酔いしちゃいます」
「ええ。路盤材の締め固め不足ですね。雨水による洗掘も見られます。典型的なメンテナンス放棄道路ですわ」
私は揺れる車窓から、凸凹の道を冷徹に分析しました。
すると、御者台から手綱を引いていたマックス様が、申し訳なさそうに小窓から顔を覗かせました。
「すまない。北部は予算不足で、街道の整備まで手が回らないんだ。……もう少しの辛抱だ。あと半日もすれば、俺の領地に入る」
彼の表情には、少しの翳りがありました。
王都の華やかな貴族社会から、辺境の貧しい土地へ嫁ぐことになった公爵令嬢。
普通に考えれば、これ以上の都落ちはありません。
彼は私が失望することを恐れているのでしょう。
「ジュリアンナ嬢。……今のうちに言っておくが、北には本当に何もないぞ」
マックス様は、自嘲気味に告げました。
「王都のような煌びやかな夜会もなければ、最新のドレスを売る店もない。あるのは荒れ狂う吹雪と、ゴツゴツした岩山と、愛想のない武骨な男たちだけだ。君が想像している以上に、退屈で過酷な場所かもしれない」
その言葉に、ロッテが「ひいぃ」と怯えて、隠し持っていたビスケットを抱きしめました。
「岩と雪だけ!? そんなの、遭難しに行くようなものじゃないですか! お嬢様、私たち、とんでもないところに来ちゃったんじゃ……」
不安がる二人を見て、私はカップをソーサーに置きました。
カチャリ、と乾いた音が響きます。
「マックス様。そしてロッテ。……あなたたちは、大きな勘違いをしていますわ」
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、ニヤリと口角を上げました。
「何もない? それは建築家にとって、最高の言葉です」
「……は?」
マックス様が目を丸くします。
「考えてもご覧なさい。王都はどうでしたか? どこもかしこも、既存の建物だらけ。新しいものを建てようと思えば、まず古い建物を解体し、権利関係を整理し、近隣住民の苦情を処理し、さらに地下にはいつ埋設されたかも分からない古い配管が走っている……。まさに負の遺産の山でした」
私は王都の方角を指差しました。
「リノベーション(改修)には限界があります。基礎が腐っていれば、上をどれだけ飾り立てても無駄。今回のレイモンド殿下の件で、それは証明されましたわね?」
「あ、ああ……。確かに」
「しかし! 辺境はどうでしょう!」
私は身を乗り出し、北の空を指差しました。
声のボリュームが自然と上がります。
「何もないということは、解体費用がゼロだということです! 近隣トラブルもゼロ! 地下埋設物の心配もゼロ! つまり、真っ白なキャンバスなのです!」
私の瞳は、興奮でギラギラと輝いているはずです。
「都市計画を引く際、既存の道路に縛られることなく、最適な動線を一から設計できる。排水勾配も自由自在。地盤さえ良ければ、摩天楼だって建て放題! ……これほど贅沢な環境が他にあって?」
マックス様はポカンと口を開けて私を見つめていました。
きっと、恐怖しているのでしょう。
私のあまりのポジティブさに。
「つまり……、君は、失望していないのか?」
「失望? とんでもない! 武者震いが止まりませんわ。……ああ、そうだ。マックス様、領地の地質図はお持ちで?」
「え? あ、ああ。軍事用の簡易なものなら……」
彼が懐から取り出した羊皮紙の地図を、私はひったくるように受け取りました。
広げた瞬間、私の口から歓喜の吐息が漏れます。
「素晴らしい……! 見て、ロッテ! この等高線!」
「わぁ、ミミズがいっぱいです」
「違います。ここは石灰岩の層! そしてこっちは火山灰土! セメントの材料が現地調達し放題ですわ! それに、この記号……、川沿いに粘土層がありますね。煉瓦も焼き放題!」
私は地図を指でなぞりながら、脳内で高速シミュレーションを開始しました。
ここに窯を作って、あそこに採石場を開いて、川の水流を利用して水車を回せば……。
「マックス様、前言撤回をお願いします。『何もない』なんて嘘ですわ。まさに宝の山。ここにはすべての材料が埋まっています」
マックス様は、しばらく呆然としていましたが、やがて「ふっ」と吹き出し、肩を震わせて笑い出しました。
「くくっ……、ははは! そうか、そうだったのか。岩だらけの荒地を宝の山と言ったのは、君が初めてだ」
彼の笑い声は、北の風のように豪快で、けれど温かいものでした。
「安心したよ。君なら、俺の領地を……、いや、俺の想像もつかない何かを作り上げてくれるかもしれない」
「お任せください。基礎から叩き直して差し上げますわ」
私は地図を丁寧に畳み、胸に抱きました。
「ロッテ、覚悟なさい。着いたら忙しくなりますよ。まずは測量、そしてボーリング調査です」
「ぼーりんぐ? よくわかりませんけど、お嬢様が楽しそうなら良かったです! ……でも、お尻が痛いのは治らないので、早くフカフカのベッドで寝たいですぅ」
「ええ。まずはこの悪路をどうにかしましょう。……私の新しい領地に続く道が、こんなにガタガタでは格好がつきませんもの」
馬車は峠を越えました。
眼下に広がるのは、灰色の荒野と、その先に聳える黒い城。
一般の令嬢が見れば卒倒しそうな景色ですが、私には無限の可能性を秘めた更地にしか見えません。
さあ、着工の時間です。
私たちの乗る馬車は、舗装された石畳の街道を抜け、次第に土埃の舞う未舗装路へと入っていきました。
「あだっ! ……ううぅ、お嬢様ぁ。お尻が、私のお尻が四つに割れそうですぅ」
大きく馬車が跳ねるたびに、向かいの席でロッテが悲鳴を上げています。
私は揺れに合わせて重心を移動させながら(構造力学を応用した姿勢制御です)、優雅に紅茶を啜りました。
もちろん、カップの中身は波ひとつ立っていません。
「我慢なさい、ロッテ。この振動は、私たちが文明圏を離れ、自然の驚異(未開発地帯)へと足を踏み入れた証拠です」
「自然の驚異っていうか、ただの悪路じゃないですかぁ。こんな道、馬車酔いしちゃいます」
「ええ。路盤材の締め固め不足ですね。雨水による洗掘も見られます。典型的なメンテナンス放棄道路ですわ」
私は揺れる車窓から、凸凹の道を冷徹に分析しました。
すると、御者台から手綱を引いていたマックス様が、申し訳なさそうに小窓から顔を覗かせました。
「すまない。北部は予算不足で、街道の整備まで手が回らないんだ。……もう少しの辛抱だ。あと半日もすれば、俺の領地に入る」
彼の表情には、少しの翳りがありました。
王都の華やかな貴族社会から、辺境の貧しい土地へ嫁ぐことになった公爵令嬢。
普通に考えれば、これ以上の都落ちはありません。
彼は私が失望することを恐れているのでしょう。
「ジュリアンナ嬢。……今のうちに言っておくが、北には本当に何もないぞ」
マックス様は、自嘲気味に告げました。
「王都のような煌びやかな夜会もなければ、最新のドレスを売る店もない。あるのは荒れ狂う吹雪と、ゴツゴツした岩山と、愛想のない武骨な男たちだけだ。君が想像している以上に、退屈で過酷な場所かもしれない」
その言葉に、ロッテが「ひいぃ」と怯えて、隠し持っていたビスケットを抱きしめました。
「岩と雪だけ!? そんなの、遭難しに行くようなものじゃないですか! お嬢様、私たち、とんでもないところに来ちゃったんじゃ……」
不安がる二人を見て、私はカップをソーサーに置きました。
カチャリ、と乾いた音が響きます。
「マックス様。そしてロッテ。……あなたたちは、大きな勘違いをしていますわ」
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、ニヤリと口角を上げました。
「何もない? それは建築家にとって、最高の言葉です」
「……は?」
マックス様が目を丸くします。
「考えてもご覧なさい。王都はどうでしたか? どこもかしこも、既存の建物だらけ。新しいものを建てようと思えば、まず古い建物を解体し、権利関係を整理し、近隣住民の苦情を処理し、さらに地下にはいつ埋設されたかも分からない古い配管が走っている……。まさに負の遺産の山でした」
私は王都の方角を指差しました。
「リノベーション(改修)には限界があります。基礎が腐っていれば、上をどれだけ飾り立てても無駄。今回のレイモンド殿下の件で、それは証明されましたわね?」
「あ、ああ……。確かに」
「しかし! 辺境はどうでしょう!」
私は身を乗り出し、北の空を指差しました。
声のボリュームが自然と上がります。
「何もないということは、解体費用がゼロだということです! 近隣トラブルもゼロ! 地下埋設物の心配もゼロ! つまり、真っ白なキャンバスなのです!」
私の瞳は、興奮でギラギラと輝いているはずです。
「都市計画を引く際、既存の道路に縛られることなく、最適な動線を一から設計できる。排水勾配も自由自在。地盤さえ良ければ、摩天楼だって建て放題! ……これほど贅沢な環境が他にあって?」
マックス様はポカンと口を開けて私を見つめていました。
きっと、恐怖しているのでしょう。
私のあまりのポジティブさに。
「つまり……、君は、失望していないのか?」
「失望? とんでもない! 武者震いが止まりませんわ。……ああ、そうだ。マックス様、領地の地質図はお持ちで?」
「え? あ、ああ。軍事用の簡易なものなら……」
彼が懐から取り出した羊皮紙の地図を、私はひったくるように受け取りました。
広げた瞬間、私の口から歓喜の吐息が漏れます。
「素晴らしい……! 見て、ロッテ! この等高線!」
「わぁ、ミミズがいっぱいです」
「違います。ここは石灰岩の層! そしてこっちは火山灰土! セメントの材料が現地調達し放題ですわ! それに、この記号……、川沿いに粘土層がありますね。煉瓦も焼き放題!」
私は地図を指でなぞりながら、脳内で高速シミュレーションを開始しました。
ここに窯を作って、あそこに採石場を開いて、川の水流を利用して水車を回せば……。
「マックス様、前言撤回をお願いします。『何もない』なんて嘘ですわ。まさに宝の山。ここにはすべての材料が埋まっています」
マックス様は、しばらく呆然としていましたが、やがて「ふっ」と吹き出し、肩を震わせて笑い出しました。
「くくっ……、ははは! そうか、そうだったのか。岩だらけの荒地を宝の山と言ったのは、君が初めてだ」
彼の笑い声は、北の風のように豪快で、けれど温かいものでした。
「安心したよ。君なら、俺の領地を……、いや、俺の想像もつかない何かを作り上げてくれるかもしれない」
「お任せください。基礎から叩き直して差し上げますわ」
私は地図を丁寧に畳み、胸に抱きました。
「ロッテ、覚悟なさい。着いたら忙しくなりますよ。まずは測量、そしてボーリング調査です」
「ぼーりんぐ? よくわかりませんけど、お嬢様が楽しそうなら良かったです! ……でも、お尻が痛いのは治らないので、早くフカフカのベッドで寝たいですぅ」
「ええ。まずはこの悪路をどうにかしましょう。……私の新しい領地に続く道が、こんなにガタガタでは格好がつきませんもの」
馬車は峠を越えました。
眼下に広がるのは、灰色の荒野と、その先に聳える黒い城。
一般の令嬢が見れば卒倒しそうな景色ですが、私には無限の可能性を秘めた更地にしか見えません。
さあ、着工の時間です。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】
暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」
高らかに宣言された婚約破棄の言葉。
ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。
でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか?
*********
以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。
内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。
「予備」として連れてこられた私が、本命を連れてきたと勘違いした王国の滅亡フラグを華麗に回収して隣国の聖女になりました
平山和人
恋愛
王国の辺境伯令嬢セレスティアは、生まれつき高い治癒魔法を持つ聖女の器でした。しかし、十年間の婚約期間の末、王太子ルシウスから「真の聖女は別にいる。お前は不要になった」と一方的に婚約を破棄されます。ルシウスが連れてきたのは、派手な加護を持つ自称「聖女」の少女、リリア。セレスティアは失意の中、国境を越えた隣国シエルヴァード帝国へ。
一方、ルシウスはセレスティアの地味な治癒魔法こそが、王国の呪いの進行を十年間食い止めていた「代替の聖女」の役割だったことに気づきません。彼の連れてきたリリアは、見かけの派手さとは裏腹に呪いを加速させる力を持っていました。
隣国でその真の力を認められたセレスティアは、帝国の聖女として迎えられます。王国が衰退し、隣国が隆盛を極める中、ルシウスはようやくセレスティアの真価に気づき復縁を迫りますが、後の祭り。これは、価値を誤認した愚かな男と、自分の力で世界を変えた本物の聖女の、代わりではなく主役になる物語です。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】
繭
恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。
果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる