殿下、婚約破棄は承りましたので、戻ってと懇願されても知りませんよ?~白い結婚の契約内容に溺愛は含まれていなかったと思うのですが~

水上

文字の大きさ
11 / 14

第11話:水の恵み

しおりを挟む
 グラナート辺境伯領にある小さな村。
 セレフィーナは、腕組みをして村の中央にある井戸を凝視していた。

「……非効率的です」

 彼女の視線の先では、村の女性たちが二人がかりで井戸のポンプのハンドルを押し下げていた。

 錆びついた金属が擦れ合う不快な音と共に、チョロチョロとわずかな水が出るだけ。
 女性たちは汗だくで、腰をさすりながら苦痛に顔を歪めている。

「あれでは、仕事量に対して得られる出力が少なすぎます。それに、あの動作姿勢は腰椎への圧縮荷重が過大です。早急に改善が必要ですね」

 隣に立つグレイグが、少し眉を上げた。

「あの古井戸か。もう何十年も使っているからな。老朽化で仕方ないと思っていたが……、直せるのか?」

「直せます。むしろ、直さないという選択肢は私の辞書にはありません」

 セレフィーナは動きやすいドレスの裾をたくし上げ、工具箱を手に前進した。

「奥様、そんな汚い場所に近づいてはいけません!」

「汚れているのは機械の表面だけです」

 セレフィーナはハンドルを握り、その重さを確認した。

 ピストンとシリンダー内壁の隙間が不均一で、かつパッキンの革が乾燥して硬化している。
 これでは水を汲んでいるのか、摩擦熱を生み出しているのか分からない。

「旦那様、馬車から例の油とサンドペーパー、それに予備のベアリングを持ってきていただけますか?」

「ああ、分かった。……お前が嬉々として工具を持つと、俺まで楽しくなってくるな」

 グレイグは苦笑しつつも、手際よく資材を運んできた。
 セレフィーナの作業は迅速かつ的確だった。

 ポンプを分解し、シリンダー内壁の錆を研磨して表面粗さを低減。

 乾燥した革パッキンに、植物油ベースの特製潤滑剤(菜種油に蜜蝋をブレンドして粘度調整したもの)を十分に浸透させる。

 ハンドルの支点部分に、持ち込んでいた簡易ベアリングを組み込む。

「これで……、完了です」

 作業時間はわずか30分。
 セレフィーナは、村の女性の一人に声をかけた。

「どうぞ、動かしてみてください」

「え、ええ……。でも、重いから二人じゃないと……」

 おっかなびっくりハンドルに手をかける女性。
 力を込めようとした、その瞬間。

「えっ!?」

 ハンドルは、まるで空気でも掴んだかのように軽々と押し下がった。
 
 次の瞬間、吐出口から勢いよく清水が溢れ出した。

「う、嘘!? こんなに軽く……!?」

「きゃあ、すごい! 一回押しただけで桶がいっぱいになったわ!」

 村人たちが歓声を上げる。

「すごい……! 今までは水汲みだけで毎日腰が痛くて、夕飯の支度も辛かったのに……、これなら簡単に動かせるわ!」

「ありがとうございます、領主様、奥様!」

 感謝の言葉と共に、老婆たちが拝んでくる。
 セレフィーナは少し照れくさそうに視線を逸らし、淡々と解説した。

「摩擦損失を低減し、運動エネルギーを効率よく水の位置エネルギーに変換しただけのことです。物理法則に従った結果に過ぎません」

「……素直に『どういたしまして』と言えばいいものを」

 グレイグが呆れたように笑い、大きな手でセレフィーナの頭をポンと撫でた。

「だが、よくやった。お前の知識が、民の生活を救ったんだ」

「……救ったなどと大げさな。ただ、私はスムーズに動くべきものが動かないのが気持ち悪かっただけで……」

 彼女の知識が、誰かの痛みを取り除き、感謝される。
 王都では笑われたその能力が、ここでは称賛されていた。

 言い訳をするセレフィーナの頬は、夕焼けのせいだけではなく、少し赤らんでいた。

 一方その頃、王都の王宮では――。

 物理法則が、残酷な牙を剥こうとしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。 彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。 しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。 「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」 逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。 あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。 しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。 気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……? 虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。 ※小説家になろうに重複投稿しています。

弟が悪役令嬢に怪我をさせられたのに、こっちが罰金を払うだなんて、そんなおかしな話があるの? このまま泣き寝入りなんてしないから……!

冬吹せいら
恋愛
キリア・モルバレスが、令嬢のセレノー・ブレッザに、顔面をナイフで切り付けられ、傷を負った。 しかし、セレノーは謝るどころか、自分も怪我をしたので、モルバレス家に罰金を科すと言い始める。 話を聞いた、キリアの姉のスズカは、この件を、親友のネイトルに相談した。 スズカとネイトルは、お互いの身分を知らず、会話する仲だったが、この件を聞いたネイトルが、ついに自分の身分を明かすことに。 そこから、話しは急展開を迎える……。

魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす

三谷朱花
恋愛
 ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。  ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。  伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。  そして、告げられた両親の死の真相。  家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。    絶望しかなかった。  涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。  雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。  そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。  ルーナは死を待つしか他になかった。  途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。  そして、ルーナがその温もりを感じた日。  ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。

出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→

AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」 ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。 お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。 しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。 そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。 お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。

まさか、今更婚約破棄……ですか?

灯倉日鈴(合歓鈴)
恋愛
チャールストン伯爵家はエンバー伯爵家との家業の繋がりから、お互いの子供を結婚させる約束をしていた。 エンバー家の長男ロバートは、許嫁であるチャールストン家の長女オリビアのことがとにかく気に入らなかった。 なので、卒業パーティーの夜、他の女性と一緒にいるところを見せつけ、派手に恥を掻かせて婚約破棄しようと画策したが……!? 色々こじらせた男の結末。 数話で終わる予定です。 ※タイトル変更しました。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

何かと「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢は

だましだまし
ファンタジー
何でもかんでも「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢にその取り巻きの侯爵令息。 私、男爵令嬢ライラの従妹で親友の子爵令嬢ルフィナはそんな二人にしょうちゅう絡まれ楽しい学園生活は段々とつまらなくなっていった。 そのまま卒業と思いきや…? 「ひどいわ」ばっかり言ってるからよ(笑) 全10話+エピローグとなります。

【完結】婚約破棄された私が惨めだと笑われている?馬鹿にされているのは本当に私ですか?

なか
恋愛
「俺は愛する人を見つけた、だからお前とは婚約破棄する!」 ソフィア・クラリスの婚約者である デイモンドが大勢の貴族達の前で宣言すると 周囲の雰囲気は大笑いに包まれた 彼を賞賛する声と共に 「みろ、お前の惨めな姿を馬鹿にされているぞ!!」 周囲の反応に喜んだデイモンドだったが 対するソフィアは彼に1つだけ忠告をした 「あなたはもう少し考えて人の話を聞くべきだと思います」 彼女の言葉の意味を 彼はその時は分からないままであった お気に入りして頂けると嬉しいです 何より読んでくださる事に感謝を!

処理中です...