29 / 37
第29話:再会
グラナート辺境伯領の春は、遅れてやってくるが、その分だけ爆発的な生命力に満ちている。
雪解け水が用水路を駆け巡り、水車が軽快なリズムを刻み、街道は交易品を積んだ馬車で溢れかえっていた。
「……物流密度が増加していますね。道路の拡幅工事を前倒しする必要がありそうです」
領都の広場を視察しながら、セレフィーナは充実した表情で手帳にペンを走らせていた。
その肌は健康的で艶やかだ。
以前のような青白さはなく、頬には林檎のような赤みが差している。
グレイグによる徹底的な栄養管理と、ストレスのない環境が、彼女を本来の美しさへと修復させていた。
「ああ、予算ならある。お前が開発した特産品のおかげで、税収は過去最高だ」
隣を歩くグレイグが、誇らしげに彼女を見下ろす。
その時だった。
一台の、泥だらけの馬車が広場に滑り込んできた。
紋章は泥で隠れているが、王都の様式のものだ。
馬車が止まると、中からフードを目深に被った男が転がり出るように降りてきた。
「……セレフィーナ」
その男は、ふらふらと覚束ない足取りで近づいてくる。
足を引きずっている。
靴が合っていないのだ。
「誰だ! 領主夫妻に近づくな!」
護衛の兵士が槍を交差させる。
男はフードを脱ぎ捨て、叫んだ。
「私だ! ルーカスだ! 通せ!」
現れたのは、かつての婚約者、王太子ルーカスだった。
だが、その姿にかつての煌びやかさは微塵もない。
金髪は脂ぎって乱れ、目の下には深い隈があり、頬はこけている。
着ている服は上質だが薄汚れており、何よりその瞳には焦燥と狂気が宿っていた。
「……殿下?」
セレフィーナは瞬きをした。
驚きはしたが、心拍数は上がらなかった。
ただ、劣化が激しいなと、物体としての状態変化を冷静に分析してしまった。
「セレフィーナ! ああ、やっと会えた……!」
ルーカスは兵士を押しのけ、セレフィーナに手を伸ばそうとした。
しかし、その手首を、グレイグが鋼鉄のような握力で掴み上げた。
「……俺の妻に、気安く触れるな」
「ひっ……!」
グレイグの低い声と、殺気立った藍色の瞳に、ルーカスは悲鳴を上げて後ずさった。
彼の威圧感は、温室育ちの王太子には致死レベルだ。
「ぐ、グレイグ……! 私は君に用はない。セレフィーナと話がしたいだけだ!」
「……話?」
「そうだ! これは国の存亡に関わることなのだ!」
ルーカスは懇願するようにセレフィーナを見た。
「セレフィーナ……、戻ってきてくれ。頼む、お前が必要なんだ」
広場の喧騒が止まり、市民たちが遠巻きに見守る中、ルーカスの情けない声が響く。
「王都はもう限界だ。時計塔は止まり、下水は溢れ、工場は燃えた。扉一つ、窓一つまともに開かない。毎日毎日、どこかで何かが壊れる音に怯えるのはもう嫌なんだ!」
「……それは、大変でございますね」
セレフィーナの声は、氷点下の朝のように冷たく、透き通っていた。
「ですが、それは全てメンテナンス不足の結果です。原因と結果の因果関係は明白。私が関与すべき問題ではありません」
「だ、だが! 元はと言えばお前がやっていた仕事だろう!? お前がいなくなってから全てがおかしくなったんだ!」
ルーカスは必死にまくし立てた。
「フェリシアは駄目だ! あいつは『可愛い』とか『綺麗』とか言うだけで、何一つ役に立たない! 油と水の区別もつかない馬鹿だ! やはり、私にはお前しかいないんだ!」
あまりに身勝手な言い分に、周囲の領民たちがざわつき、敵意の視線を向ける。
だが、ルーカスは気づかない。
「許してやる。婚約破棄は撤回しよう。だから今すぐ王都へ――」
「――お断りします」
セレフィーナの言葉が、ルーカスの言葉を遮った。
彼女は一歩前に進み出た。
その瞳は、ルーカスを映しているようで、彼という欠陥部品の構造的限界を見据えていた。
そして、セレフィーナは冷徹な瞳で、ルーカスに語り始めた。
雪解け水が用水路を駆け巡り、水車が軽快なリズムを刻み、街道は交易品を積んだ馬車で溢れかえっていた。
「……物流密度が増加していますね。道路の拡幅工事を前倒しする必要がありそうです」
領都の広場を視察しながら、セレフィーナは充実した表情で手帳にペンを走らせていた。
その肌は健康的で艶やかだ。
以前のような青白さはなく、頬には林檎のような赤みが差している。
グレイグによる徹底的な栄養管理と、ストレスのない環境が、彼女を本来の美しさへと修復させていた。
「ああ、予算ならある。お前が開発した特産品のおかげで、税収は過去最高だ」
隣を歩くグレイグが、誇らしげに彼女を見下ろす。
その時だった。
一台の、泥だらけの馬車が広場に滑り込んできた。
紋章は泥で隠れているが、王都の様式のものだ。
馬車が止まると、中からフードを目深に被った男が転がり出るように降りてきた。
「……セレフィーナ」
その男は、ふらふらと覚束ない足取りで近づいてくる。
足を引きずっている。
靴が合っていないのだ。
「誰だ! 領主夫妻に近づくな!」
護衛の兵士が槍を交差させる。
男はフードを脱ぎ捨て、叫んだ。
「私だ! ルーカスだ! 通せ!」
現れたのは、かつての婚約者、王太子ルーカスだった。
だが、その姿にかつての煌びやかさは微塵もない。
金髪は脂ぎって乱れ、目の下には深い隈があり、頬はこけている。
着ている服は上質だが薄汚れており、何よりその瞳には焦燥と狂気が宿っていた。
「……殿下?」
セレフィーナは瞬きをした。
驚きはしたが、心拍数は上がらなかった。
ただ、劣化が激しいなと、物体としての状態変化を冷静に分析してしまった。
「セレフィーナ! ああ、やっと会えた……!」
ルーカスは兵士を押しのけ、セレフィーナに手を伸ばそうとした。
しかし、その手首を、グレイグが鋼鉄のような握力で掴み上げた。
「……俺の妻に、気安く触れるな」
「ひっ……!」
グレイグの低い声と、殺気立った藍色の瞳に、ルーカスは悲鳴を上げて後ずさった。
彼の威圧感は、温室育ちの王太子には致死レベルだ。
「ぐ、グレイグ……! 私は君に用はない。セレフィーナと話がしたいだけだ!」
「……話?」
「そうだ! これは国の存亡に関わることなのだ!」
ルーカスは懇願するようにセレフィーナを見た。
「セレフィーナ……、戻ってきてくれ。頼む、お前が必要なんだ」
広場の喧騒が止まり、市民たちが遠巻きに見守る中、ルーカスの情けない声が響く。
「王都はもう限界だ。時計塔は止まり、下水は溢れ、工場は燃えた。扉一つ、窓一つまともに開かない。毎日毎日、どこかで何かが壊れる音に怯えるのはもう嫌なんだ!」
「……それは、大変でございますね」
セレフィーナの声は、氷点下の朝のように冷たく、透き通っていた。
「ですが、それは全てメンテナンス不足の結果です。原因と結果の因果関係は明白。私が関与すべき問題ではありません」
「だ、だが! 元はと言えばお前がやっていた仕事だろう!? お前がいなくなってから全てがおかしくなったんだ!」
ルーカスは必死にまくし立てた。
「フェリシアは駄目だ! あいつは『可愛い』とか『綺麗』とか言うだけで、何一つ役に立たない! 油と水の区別もつかない馬鹿だ! やはり、私にはお前しかいないんだ!」
あまりに身勝手な言い分に、周囲の領民たちがざわつき、敵意の視線を向ける。
だが、ルーカスは気づかない。
「許してやる。婚約破棄は撤回しよう。だから今すぐ王都へ――」
「――お断りします」
セレフィーナの言葉が、ルーカスの言葉を遮った。
彼女は一歩前に進み出た。
その瞳は、ルーカスを映しているようで、彼という欠陥部品の構造的限界を見据えていた。
そして、セレフィーナは冷徹な瞳で、ルーカスに語り始めた。
あなたにおすすめの小説
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
妹の方がかわいいからと婚約破棄されましたが、あとで後悔しても知りませんよ?
志鷹 志紀
恋愛
「すまない、キミのことを愛することができなくなった」
第二王子は私を謁見の間に連れてきて、そう告げた。
「つまり、婚約破棄ということですね。一応、理由を聞いてもよろしいですか?」
「キミの妹こそが、僕の運命の相手だったんだよ」
「そうですわ、お姉様」
王子は私の妹を抱き、嫌な笑みを浮かべている。
「ええ、私は構いませんけれど……あとで後悔しても知りませんよ?」
私だけが知っている妹の秘密。
それを知らずに、妹に恋をするなんて……愚かな人ですね。
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
聖女の力を妹に奪われ魔獣の森に捨てられたけど、何故か懐いてきた白狼(実は呪われた皇帝陛下)のブラッシング係に任命されました
AK
恋愛
「--リリアナ、貴様との婚約は破棄する! そして妹の功績を盗んだ罪で、この国からの追放を命じる!」
公爵令嬢リリアナは、腹違いの妹・ミナの嘘によって「偽聖女」の汚名を着せられ、婚約者の第二王子からも、実の父からも絶縁されてしまう。 身一つで放り出されたのは、凶暴な魔獣が跋扈する北の禁足地『帰らずの魔の森』。
死を覚悟したリリアナが出会ったのは、伝説の魔獣フェンリル——ではなく、呪いによって巨大な白狼の姿になった隣国の皇帝・アジュラ四世だった!
人間には効果が薄いが、動物に対しては絶大な癒やし効果を発揮するリリアナの「聖女の力」。 彼女が何気なく白狼をブラッシングすると、苦しんでいた皇帝の呪いが解け始め……?
「余の呪いを解くどころか、極上の手触りで撫でてくるとは……。貴様、責任を取って余の専属ブラッシング係になれ」
こうしてリリアナは、冷徹と恐れられる氷の皇帝(中身はツンデレもふもふ)に拾われ、帝国で溺愛されることに。 豪華な離宮で美味しい食事に、最高のもふもふタイム。虐げられていた日々が嘘のような幸せスローライフが始まる。
一方、本物の聖女を追放してしまった祖国では、妹のミナが聖女の力を発揮できず、大地が枯れ、疫病が蔓延し始めていた。 元婚約者や父が慌ててミレイユを連れ戻そうとするが、時すでに遅し。 「私の主人は、この可愛い狼様(皇帝陛下)だけですので」 これは、すべてを奪われた令嬢が、最強のパートナーを得て幸せになり、自分を捨てた者たちを見返す逆転の物語。
現聖女ですが、王太子妃様が聖女になりたいというので、故郷に戻って結婚しようと思います。
和泉鷹央
恋愛
聖女は十年しか生きられない。
この悲しい運命を変えるため、ライラは聖女になるときに精霊王と二つの契約をした。
それは期間満了後に始まる約束だったけど――
一つ……一度、死んだあと蘇生し、王太子の側室として本来の寿命で死ぬまで尽くすこと。
二つ……王太子が国王となったとき、国民が苦しむ政治をしないように側で支えること。
ライラはこの契約を承諾する。
十年後。
あと半月でライラの寿命が尽きるという頃、王太子妃ハンナが聖女になりたいと言い出した。
そして、王太子は聖女が農民出身で王族に相応しくないから、婚約破棄をすると言う。
こんな王族の為に、死ぬのは嫌だな……王太子妃様にあとを任せて、村に戻り幼馴染の彼と結婚しよう。
そう思い、ライラは聖女をやめることにした。
他の投稿サイトでも掲載しています。
お姉さまに婚約者を奪われたけど、私は辺境伯と結ばれた~無知なお姉さまは辺境伯の地位の高さを知らない~
マルローネ
恋愛
サイドル王国の子爵家の次女であるテレーズは、長女のマリアに婚約者のラゴウ伯爵を奪われた。
その後、テレーズは辺境伯カインとの婚約が成立するが、マリアやラゴウは所詮は地方領主だとしてバカにし続ける。
しかし、無知な彼らは知らなかったのだ。西の国境線を領地としている辺境伯カインの地位の高さを……。
貴族としての基本的な知識が不足している二人にテレーズは失笑するのだった。
そしてその無知さは取り返しのつかない事態を招くことになる──。
魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
【完結】「お前に聖女の資格はない!」→じゃあ隣国で王妃になりますね
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【全7話完結保証!】
聖王国の誇り高き聖女リリエルは、突如として婚約者であるルヴェール王国のルシアン王子から「偽聖女」の烙印を押され追放されてしまう。傷つきながらも母国へ帰ろうとするが、運命のいたずらで隣国エストレア新王国の策士と名高いエリオット王子と出会う。
「僕が君を守る代わりに、その力で僕を助けてほしい」
甘く微笑む彼に導かれ、戸惑いながらも新しい人生を歩み始めたリリエル。けれど、彼女を追い詰めた隣国の陰謀が再び迫り――!?
追放された聖女と策略家の王子が織りなす、甘く切ない逆転ロマンス・ファンタジー。