「君は可愛くない石ころだ」と婚約破棄されましたが、私の鑑定のおかげ詐欺師に大金を払わずに済んでいる現状を理解しているのでしょうか?

水上

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第1話:終わりと始まり

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「ソフィア・ランバート! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」

 王宮の大広間に、よく通る声が響き渡りました。

 シャンデリアの煌めきの下、着飾った貴族たちが一斉にざわめき立ちます。
 まるで、静かな湖面に巨大な岩石を投げ込んだかのような騒ぎです。

 私は、手にしていたシャンパングラスを給仕のトレイに静かに戻し、眼鏡の位置を指先で直しました。

「……左様でございますか」

 私の返答があまりに平坦だったからでしょうか。
 
 目の前で顔を真っ赤にしている元婚約者――この国の王太子であるエドワード殿下は、さらに苛立ちを募らせたようです。

「なんだその態度は! 少しは悲しむとか、縋り付くとか、可愛げのある反応はできないのか!」

「事実を事実として受け入れるのに、感情の振れ幅は必要ありませんので」

「そういうところだ! そういうところが、冷血な石ころ女だと言うんだ!」

 殿下は私のことを、よくそう呼びます。

 華やかなドレスよりも鉱山でのフィールドワークを好み、宝石を装飾品としてではなく、鉱物学的標本として愛でる私への蔑称です。

 ですが、私はその呼び名を内心気に入っていました。

 石ころ。
 ええ、素晴らしい響きです。

 何億年もの地殻変動に耐え、静かにそこに在る存在。
 人間の浅はかな感情よりも、よほど信頼がおけます。

「ソフィア、君には失望したよ」

 殿下の隣に寄り添っていたアメリア男爵令嬢が、潤んだ瞳でこちらを見ていました。

 彼女は小柄で、金ブロンドの髪がふわふわと揺れる、いかにも殿方が好みそうなご令嬢です。

「アメリアは違う。彼女は君と違って純粋で、私の言葉一つ一つに心から反応してくれる。私の心を癒やしてくれるのは、彼女だけだ」

 殿下はアメリア嬢の腰を抱き寄せ、勝ち誇ったように笑いました。

「見ろ、これこそが俺たちの真実の愛の証だ!」

 殿下がポケットから取り出したのは、豪奢な小箱でした。

 パカッ、と音が鳴り、中から現れたのは――巨大な無色透明の宝石が嵌め込まれた指輪です。
 周囲の令嬢たちから「まぁ!」「なんて大きなダイヤモンド!」と羨望の悲鳴が上がりました。

「この輝きを見ろ! 王家に伝わる最高級のダイヤモンドだ。君のような地味な女には到底似合わない、眩いばかりの輝きだろう?」

「エドワード様ぁ、こんな素敵な指輪……、嬉しいですぅ!」

 アメリア嬢が感極まって涙ぐみます。
 私は、その石をじっと見つめました。

 ……違和感がある。

 職業病でしょうか。
 私は懐から愛用のルーペを取り出すと、スタスタと二人の前まで歩み寄りました。

「な、なんだ。未練か?」

「失礼します。少々拝見しても?」

 殿下の許可を待たず、私はその愛の証に顔を近づけました。
 ルーペ越しに石を覗き込みます。

 光源に対する光の分散、カット面の稜線の摩耗具合、そして何より――。

「……ああ、やはり」

 私はルーペを閉じ、小さく息を吐きました。

「な、なんだその哀れむような目は!」

「殿下。恐れながら申し上げます」

 私は広間に響くよう、あえてハッキリとした声で告げました。

「それはダイヤモンドではありません」

 一瞬、静寂が訪れました。

 最初に吹き出したのはアメリア嬢でした。

「やだ、負け惜しみですかぁ? こんなにキラキラしてるのに」

「ええ、確かに輝きは強いですね。ですが、これはジルコンです」

 私は淡々と解説を始めました。

「ダイヤモンドは単屈折の鉱物ですが、ジルコンは複屈折率が高いのが特徴です。ご覧ぐさい、ルーペで見ると、裏側のカット面が二重に見えるでしょう? これはダブリングと呼ばれる現象で、ダイヤモンドには決して現れません」

 私は呆然とする殿下に、さらに追撃を加えます。

「それに、カット面の稜線が白く摩耗していますね。ダイヤモンドはモース硬度10。地球上で最も硬い鉱物であり、このように簡単に傷つくことはありません。対してジルコンの硬度は7.5。空気中の埃に含まれる硬度7の石英より少し硬い程度ですから、長年の保管で摩耗してしまうのです」

 会場の空気が凍りつきました。
 羨望の眼差しは、一瞬にして疑惑と嘲笑を含んだものへと変わります。

 王太子が、婚約破棄の慰謝料代わりに、あるいは真実の愛の証として贈ったのが、ダイヤモンドではなく安価な代用品だった。

 その事実は、彼の愛の薄っぺらさを証明するには十分すぎました。

「き、貴様……っ! 俺の愛にケチをつける気か!」

「いいえ、ただの鉱物学的鑑定結果です。ですが……」

 私は殿下とアメリア嬢、そしてその指にある傷つきやすい石を交互に見やりました。

「真実の愛にしては、随分と傷つきやすく、脆いようですね」

「――っ!!」

 殿下の顔が怒りで紫色に変色するのを尻目に、私は恭しくお辞儀をしました。

「鑑定は以上です。婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。どうぞ、そのお似合いの石と共にお幸せに」

 踵を返し、私は出口へと向かいました。

 背後で「待て!」「衛兵!」と喚く声が聞こえましたが、会場の貴族たちはヒソヒソと王太子の無知を笑っており、誰も私を止めようとはしませんでした。

 夜風が冷たい王宮のテラスに出ると、ようやく肩の力が抜けました。
 手すりに寄りかかり、夜空を見上げます。

「……ふぅ」

 毅然と振る舞ってはみましたが、やはり疲れます。

 長年、この国の宝石産業を影で支え、質の悪い石が王家に入り込まないよう鑑定を続けてきたのは私です。

 その苦労も知らず、あの人は見た目だけの輝きに惑わされ、本物を切り捨てた。
 まったく悔しくないと言えば、嘘になります。

「……派手な立ち回りだったな」

 突然、背後の闇から低い声がしました。
 驚いて振り返ると、そこには一人の男性が立っていました。

 夜闇に溶け込むような黒に近い髪に、猛禽類を思わせる鋭いアンバーの瞳。
 長身で、貴族というよりは戦士のような威圧感を纏っています。

 辺境伯、ジークフリート・オルスト様でした。
 彼が、なぜこんな場所に。

「見ていらしたのですか」

「ああ。ジルコンのくだり、痛快だった」

 彼はぶっきらぼうにそう言うと、私の隣に並び、同じように夜空を見上げました。

「辛くはないのか。長年連れ添った男だろう」

「……」

 私は自分の胸に手を当てました。
 そこにあるのは、失恋の痛みというよりは、理不尽な評価に対する憤りです。

 でも、それこそが原動力になることを、私は知っています。

「炭素は、地底の高温と高圧に耐え抜いたものだけがダイヤモンドになれるんです」

 私は夜空に向かって、自分に言い聞かせるように呟きました。

「今のこの理不尽なプレッシャーは、私が輝くための生成過程に過ぎません。……むしろ、不純物が取り除かれて清々したくらいです」

「不純物、か」

 ジークフリート様が、喉の奥でクックッと笑いました。
 その笑い声は意外なほど温かく、私の強張った心を少しだけ溶かしました。

「強いな、あんたは。……いや、硬い、と言うべきか」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「ああ、最大限の賛辞だ」

 彼は私の方を向くと、真剣な眼差しで言いました。

「俺の領地に来ないか? うちには石ころばかりで、宝石と呼べるものが何もない。……あんたのような、本物の鑑定眼を持つ人間が必要なんだ」

 それは、唐突なスカウトでした。
 ですが、王都に未練はありません。

 偽物を愛でるような場所には、もううんざりです。

「条件次第ですね。私は高くつきますよ?」

「構わん。望むだけの対価は払う。少なくとも、ジルコンをダイヤだと偽るような真似はしない」

 その不器用な誠実さに、私は初めて自然な笑みを浮かべました。

 こうして、私の第二の人生が始まったのです。
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